愛を呟くひと

「恋人だった」


その言葉が頭の中を何度もぐるぐると駆け巡り、気持ちが落ち着かない。与えられた部屋のベッドに横たわって目を閉じ船の振動を感じる。どうやら船酔いはしていないようだ。


「……恋人かあ……」


少なくとも、アーロンが好みのタイプではないことは確かだ。こっちに来て男の人の趣味変わったのかな……?恋人だったのだとしたらきっとアーロンさん、とは呼んでいなかったんだろう。だからこそ、幹部のみんなのあの反応だったんだ。
私に以前の記憶が無いとわかった時、彼はいったいどんな気持ちだったんだろう……。


「……ダメだ、何かしてないと落ち着かない……」


大きくため息をつくとベッドから起き上がり、食堂へ行くことにした。以前はそこが職場だったらしい。就活に失敗しまくっていた私が記憶の無い間に海賊船に就職していたとは、とんだ話である。


「あのー……」


中では数人の船員がテーブルで何やら話をしていた。また、キッチンに一人が立って調理をしている――どうやら昼食の支度のようだ――私を認めると全員ギョッとした顔になる。


「……どうした」
「何かすることありますか?早く慣れようと思って……」
「あ、ああ……そうか。それなら、こっちを手伝ってくれ」


呼ばれてキッチンへ近付く私をテーブルに座った船員達が目で追った。渡されたナイフを使って芋の皮を剥いていく。お昼のメニューはスープのようだった。


「えと、タケ……さん?でしたよね」
「……タケでいいよ」
「そちらが、シオヤキさん、ピサロさん、カネシロさん」
「ああ、覚えててくれたんだな」
「おれ達にも楽に話してくれて構わねェよ」
「はい……うん、わかった」


笑顔を作って返事をしてみたが、自分でもなかなかぎこちなかったと思う。何とも言えない気まずい雰囲気が食堂に漂った。しばらくの沈黙の後、空気を変えるようにタケが明るい声を上げる。


「いや、傷が治って良かったよ!お前めちゃくちゃ血が出てて、ホントに死んじまうかと思ったもんな」
「そうそう、自分よりでっけェ男にあんな風に啖呵切るなんて見直したぜ」
「あはは……全然、記憶無いんだけどね……」
「……まあ、そのうち思い出すさ」
「船の乗り心地はどうだ?」
「結構乗り物酔いするタイプだから心配だったけど……意外と平気みたい」
「ああ、二年前の荒療治が効いたな」
「違えねェ!」
「……荒療治?」


知らない話が出てきて聞き返す。荒療治とは穏やかでないな。つい首を傾げる様子を見て、シオヤキがおかしそうに思い出し笑いしながら教えてくれた。


「船へ乗ったばかりの頃、船酔いするお前をアーロンさんが空へ放り投げたんだ。それも三度も」
「えっ!?な、何それ!?想像するだけで背筋がゾッとした……」
「お前、目を白黒させて震えてたよ」
「あれには笑ったぜ!」
「そんなことされたら誰だってそうなるよ!アーロンさん、いい人かと思ったのに結構意地悪なんだね」


顔とは対照的に意外と良い人なのかも?とか思っていた先ほどまでの私、ドンマイ……。
言いながらむくれると、笑っていた四人がぴたりと押し黙る。


「え、な、何かおかしなこと言った……?」
「いや……アーロンさん、か……」
「あ……やっぱり、そういう風には呼んでなかったの……?」
「……呼び捨てにしてたよ、恐れ多くもな」
「そ、そうなんだ……。船長なのに……」
「まあお前は……その……」


きっと記憶が無い私を慮ってのことだろう……モゴモゴと言い淀みながらどうしようかと気まずそうに顔を見合わせるみんなに、意を決して聞いてみた。


「…………恋人だった?」
「……そうだな、そうだったよ」
「……そっかあ……」
「……きっと刺されたショックで一時的に忘れてるだけさ。いずれ思い出すだろうよ」


ピサロが慰めるように言うが、何も言い返せず曖昧に笑う。
――だって退院するまでの一ヶ月、私は何も思い出せなかった。
その後もしばらく、食堂には気まずい空気が流れた。










それからさらにひと月ほどが経った。その間、生活に慣れようと船内の色々なことに手を出したが……今現在まで全員から腫れ物に触るように扱われてしまっている。
ならばと、主な仕事だったらしい朝のパンケーキ作りに精を出してみるものの、以前の私は全員の好みを把握していたらしく、そちらを思い出して懐かしむような顔をされてしまった。


「……お手上げだ」


甲板の隅っこで体育座りをして、遠くに砕ける波飛沫を眺める。
この一ヶ月でわかったのは、以前の私は別に嫌われてはいなかったということ。どちらかというと、みんなから好かれていたような印象さえ受けた。……そして、そんな私がいなくなってポンと現れたのが、リセットボタンを押された私≠ナある。
みんなの態度から、今の私にどう接して良いのかわからない、以前の私と比べてしまって苦しい、部屋に篭ったままほとんど出て来ないアーロンに気を遣ってなんと扱って良いかわからない……そんな感情が見え隠れした。


「…………うちに帰りたい」


ポロリと口から零れた言葉に慌てて唇を引き結ぶ。
そもそもどうやってこの世界へ来たのか、なぜ記憶がすっぽりと無くなってしまったのか……全くこれっぽっちもわからない今の状況では、元の世界に帰れる可能性はほぼゼロだ。希望を持っていればそれだけ、叶わなかった時の落差が大きい。下手な期待はしない方が良いだろう。


(……家に帰れなくても、せめて、以前の私を知る人のいない場所で一から始めたい……)


――船を降りようかな。
そんな気持ちが頭をよぎった。
元々、人間の街で暮らしていけそうもない貧弱な私が頼み込んで、拾ってくれたこの船に親切にも乗せてもらっていたという経緯らしいし、人間の街で降ろしてもらうのは当初の正しい選択だろう。幸いあと数日で次の島に到着すると聞いていたし、そこで降ろしてもらうというのはどうだろうか。……うん、それが良い。みんなのためにもきっとその方が良い。
よしと頷いて立ち上がるとパンとスカートを払い、アーロンの部屋へ向かった。


「……アーロンさん」


閉じられたままの大きな扉はまるで私を拒んでいるような気がする。そっとノックして呼びかけると、また細く扉が開いた。相変わらず、部屋の中は暗くてよく見えない。


「……何だ」
「お話が……」


立ち話もなんだしと自分の部屋へ案内する。コーヒーを淹れてソファへ座ったアーロンへ差し出すと、船を降りたいと思っていることを話した。


「……そういうわけで、みなさんにも気を遣わせている状態ですし……。私、頑張って独り立ちしようと思います」
「…………お前がそうしたいなら、そうすればいい」
「はい……あの……今までありがとうございました」


頭を下げると、無言の視線がつむじを貫いた。少しして顔を上げると、感情の読めない瞳と視線が絡み合う。
――今まではこの人にどんな瞳で見つめられていたのだろう……。


「……降りた後どうするつもりだ」
「えっと……とりあえず、住み込みの仕事を探して……それから……なんとかします……」


我ながら計画性ゼロだが、戸籍も職歴も無い私にはそれ以外の選択肢が無い。行き当たりばったりな計画を話すのが恥ずかしくなって、言葉が尻すぼみになった。


「何もプランがねェというわけか」
「……あの……はい……そうです……」
「……一週間、おれ達は島に停泊する。その間に住み込みの仕事を見つけろ。……その間は船に戻って来てもいい」
「へっ?」


驚きについ間抜けな声を上げると、アーロンは手元のカップにジッと視線を注いでいる。
――なんだ、やっぱりこの人は優しいんだ……?
荒療治事件の話を聞いてからちょっと警戒していた私は拍子抜けして、ゆっくりコーヒーを飲む姿を見るとはなしに眺めた。


「……ありがとうございます……」
「話は終わったな?」


それだけ言うと立ち上がり、アーロンは部屋を出て行った。
後には空になったコーヒーカップがひとつ、残された。










「海賊船に乗ってたってのはどうもなァ……悪いが、他を当たってくれ」
「……はい、お時間いただきありがとうございました」


頭を下げて店を出る。ため息をついて、また次の店を目指して歩いた。
島に上陸して今日で六日目、こちらの世界でも就活は難航している。海賊船に乗っていたのがネックになっているらしいがやはり、今までどんな仕事をしていたのか?今どこに寝泊まりしているのか?等聞かれてしまうと……答えないわけにはいかなかった。
これならいっそ、記憶が全然無い方がマシだと思えるくらいの門前払いっぷりである。


「あと一日で、本当に仕事が見つかるのかなあ……」


思わず零したため息が足元に落ちた。










「……えっ!?本当に雇ってもらえるんですか!?」
「ああ、いいよ」


ようやくもらえた色良い返事に大きな声で聞き返してしまった私へ、ニコニコと笑う愛想の良い店主は腕を組んで頷く。七日目の午前中のことだった。


「人生いろいろあるからな、海賊船にただ乗ってたってだけでチャンスを奪うのはもったいねェ」
「じゃ、じゃあ……!」
「ああ、さっそく今日から働いてもらうよ。ちょうど、新しい子を募集してたところなんだ」
「……っありがとうございます!頑張ります!」


やったー!仕事決まったーー!元の世界でも終わらなかった就活が終わったーー!!
半分スキップしながら船に戻り、早速アーロンに報告した。無愛想に「そうか」とだけ返ってきたが、自分の部屋に戻った私はるんるんで少ない荷物をまとめる。


「ニュウ……仕事決まったのか」
「うん!街の東の隅にある酒場でね、今日から働くことになったの!仕込みがあるらしいから、お昼過ぎには船を降りるね」
「そうか……」


寂しそうな顔で言うハチに手伝ってもらいながら部屋の片付けを済ませる。カバンにふたつほどになった荷物を持って甲板へ出ると、数人が見送りに来てくれた。


「お前がいなくなると寂しいよ」
「えっ、ありがとう……そんな風に言ってもらえて嬉しいよ」
「元気でな」
「うん!今までお世話になりました!」


手を振りながら船を降りる。空がとっても高い!
さーて、新しいお仕事頑張るぞー!!

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