しとしとと雨が降る。
しょうがなしに今日は部屋で本を読むことにした。いよいよ場面が盛り上がってきたところで、廊下を走る音がする。
「葵!」
僕の名前を呼ぶ彼は久しぶりだ。ふわふわとした金髪を雫まみれにして、へたれた髪を振り乱し、僕のもとへ走ってくる。僕は急いで箪笥からバスタオルを引っ張り出していると、後ろから抱きしめられた。薄い浴衣からへたりと彼からつたわる雫が肌を濡らす。
「葵、葵…」
「せいちゃん」
ひたり、と回された腕に触れる。つめたい。
身じろぎ、後ろを向いてバスタオルを頭からかけてあげて、わしわし、と拭ってあげる。
「風邪ひいちゃうでしょ?」
タオルの下からは、わっわっわっ、と聞こえてくる。思わず笑ってしまう。腕をつかまれ、ふわふわのバスタオルからせいちゃんは頭をだした。
「子供扱いしないでよ」
じと、と見られるけど、頬を緩ませながら、ごめんと適当にあやまる。掴まれた腕を引っ張られ、冷えた身体に倒れ込んでしまう。
せいちゃんは深く息を吸い込み、安心したかのような柔らかい声で僕の名前を囁く。
「葵…会いたかった…」
せいちゃんは、龍輝さん、光司さんの弟、つまり光晴さんの御子息の末っ子、晴之介さんだ。唯一の年下。僕にとって、本当の弟のような存在。
ふわふわな金髪と色白な肌は生まれつきだ。たぶん、お母さんは外国の人なんじゃないかと思う。瞳は光晴さん似のグレーの瞳だ。
とくんとくん、と鼓動が聞こえる。
「せいちゃん、風邪ひいちゃうよ?」
「風邪ひいたら、葵に看病してもらえるでしょ?」
濡れた唇が耳元に吸い付いた。冷たい手のひらが頬に添えられ、顔をあげるとせいちゃんの瞳は深い青に変わっている。興奮してる。
せいちゃんは興奮すると瞳の色が少しだけ変わる。青みがでてくる。その瞳に吸い込まれるように唇を覆われる。
ちゅ、ちゅ、と自然と音が出てしまう。そのままゆっくりと押し倒されてしまう。
「葵…」
「せいちゃん、だめ…」
「だめ」
顔中に優しくはむように唇で遊ばれながら、そっと肩を押す。
「もうすぐ晩御飯だから…」
「葵でいいよ」
「だめ、今日、鯖の味噌煮だから」
ぴく、と動きを止める。
うちは料理担当の人がいて、彼の作る和食は天下一品。なんでも光晴さん直々に口説き落としてここで働いてもらってるとか。
そんな彼の料理を幼い頃から食べ親しんでいるせいちゃんにとっては、まさに彼の料理がお袋の味といったもので、中でも鯖の味噌煮はせいちゃんの一押しだ。
「せいちゃんが帰ってくるって知って、3日前から準備してたよ?」
「………ぐうっ!」
うなだれるせいちゃんは正直で可愛いなあ。
その頭をぽんぽんと撫でると、ぱっと顔をあげてキスをした。
「一緒に食べよ?」
こつ、と額をつけて、そう尋ねると、小さな声でうんと答えた。くすりと笑って、せいちゃんを抱きしめた。
風呂に入り、身体を温めてから、とろとろの鯖の味噌煮を綺麗に美味しく頂戴し、料理長のおすすめの緑茶をすする。
その間にせいちゃんの近況をたくさん聞いた。せいちゃんは、中学を卒業したと同時に九州へと行くことになってしまった。なんでも九州にうちの組の兄弟組があって、そこで経験を積むと同時にその管理も任されて、ひとり九州へと経った。そのとき、相当ぐずられて大変だった。
月に一回ある定期報告会のために帰還しては、その短い時間をひたすら付きっきりになる。
晩御飯はいつもなら、組のみんなと食べるのだが、せいちゃんは僕と2人っきりを望み、自室で食べる。
ごろり、と横になり、僕の膝に頭をのせてくる。
「食べてすぐ横になると身体によくないよ」
「いいんだよ、葵に触れて元気になるんだから」
意地悪っぽく笑うせいちゃんは可愛い。と、思ってしまうのは、やはり弟バカみたいなものだと思う。
せいちゃんはどんどん大人っぽくなってゆく。時にはひどく妖艶で、僕の知らないせいちゃんが顔をだす。でも、こうやって無邪気に笑う姿もせいちゃんで。
湯のみをおき、乾いてふわふわになった髪の毛を撫でる。一本一本が細くて絡みやすい。だから、昔はずっと短髪だった。
気持ちよさそうに瞼を下ろしていた。猫みたい。
ゆるむ頬で見つめていると、ゆったりと瞳がのぞき、手を優しくとられる。指先を何度も撫でられ、くすぐったいような心地よさ。
「俺、毎日毎日、葵のことばっかり考えてる。葵は?俺のこと考えてくれてる?」
「今日のごはんのことを考えてから、考えてるよ」
「なんだよそれー」
そういって眉間に皺をよせるせいちゃんにまた笑う。
「考えるよ。雨が降ってくると、せいちゃんは雨に濡れてないかな、とか心配になるよ」
「また子供扱いして…」
そっぽを向いて、せいちゃんはいじけてしまった。そ、と肩に触れて、身を屈めて囁く。
「この雨雲はせいちゃんと出会ったのかなって思うと、悔しくなる」
ぴくり、と耳が動いた。
「この雨粒は、せいちゃんに触れて蒸発して、また僕のもとに降り注いできたのかなって考える。ずるいよね」
せいちゃんが欲しがる言葉は知り尽くしている。
肩においた手を暖かい掌が包む。筋張った男らしい大きな掌だ。強い力で引っ張られたと思ったら、隣に既に敷かれていた布団に投げられ、唇を覆われた。
何度も触れたり、吸われたり、噛まれたり。口内を味わっていたと思ったら、可愛らしい触れるだけになったり。ひたすら唇を弄ばれている感じだ。
「ぽってりしてる…かわいい…」
熱を持った唇を一撫ですると舌でなぞり、はんでくる。
あまい。
せいちゃんと過ごす時間はとてもあまい。おそらく恋人たちとのそれと変わらないと思う。
丁寧に愛撫をされて、高められる。挿入するとせいちゃんは満たされた表情で動く前に顔中にキスをした。微笑みかけてくる。深い青色の瞳が愛しくて抱きしめる。ゆっくりと、僕の身体を気遣いながら動き始める。
「あ、おい、きもち、い?」
「は、っ、んん…きもち、い、よ」
こうして何度も確認してくる。それもまた可愛い。
僕らのはじめてはこんな可愛いものではなかった。その反動のような気もしている。
快感に震えながら、ぼんやりと思い起こす。
僕がここにきて、唯一の遊び相手が、一番年の近かったせいちゃんだった。ひとりで庭で紙風船をぽんぽんと、飛ばしていると角から小さな男の子がこちらを覗いていることに気がついて、声をかけたのだ。おずおずと最初はなかなか喋ってくれず、名前がせいのすけだということくらいしかわからなかったけど、僕らはそれから毎日会った。少しずつせいちゃんのこともわかっていったし、会話数も増えていった。いつの間にかせいちゃんはいつも僕の後ろをついて廻り、葵ちゃん葵ちゃんとその愛らしい笑顔で呼んでくれた。大好きだった。
僕が中学にあがると帰りが若干遅くなる。急いで帰ってくると僕の部屋の前で、せいちゃんは待っていて僕を見つけるとわんわん泣いた。それから、僕を迎えにくる車に乗り込んで一緒に迎えに来てくれた。可愛くてしかたがなかった。
いよいよせいちゃんも中学にあがる時には、成長期真っ只中で身長は少しだけ抜かされてしまっていた。それでも昔と同じように抱きついてくるし、一緒にいるときは基本くっついていた。お兄ちゃんとして少し劣等感があったし、大きくなっていくせいちゃんに寂しさも抱いていた。
毎日昼休みは僕のクラスまで迎えに来てくれて一緒にごはんを食べた。朝は教室まで送ってくれて、帰りは迎えにくる。相変わらずべたべたで、やっぱりせいちゃんは僕がいないとだめなんだ。ふわふわの髪の毛をなでるとせいちゃんは子供扱いするなと怒った。それも可愛い。気づけばこの頃から、葵と僕を呼ぶようになっていた。
非常に穏やかだった。
それが変わったのは、僕が15歳になろうとしていたからだ。仕事を覚え始めた。
でも、夜は会えなくなったくらいで大した支障はなかった。ただ、光司さんと二人で何をやっているのかはキツく問いただされた。あまりせいちゃんには言いたくなくて、誤魔化していた。しばらくすると、せいちゃんも自身の仕事を覚えるためにお互い多忙ですれ違うようになってしまった。
いつの間にか僕は初仕事を終えた。次の日の夜だった気がする。何事もなく電気を消して布団にもぐったのだ。すると、ばたばたと荒い足音が聞こえて、障子が乾いた音を大きく鳴らした。
「ど、したの、せいちゃん?」
久しぶりに見たせいちゃんは髪が伸び、身長も伸びて、男の人になっていた。
体を起こそうとした僕にせいちゃんは馬乗りになり、布団に押し倒すと荒々しく唇を塞がれた。わけがわからず、抵抗すると、ばしん、と頭に響いた。
「葵、ふざけんなよ…ゆるさねえ…」
後から右頬が熱くなって、ひどい痛みが襲ってきた。
久しぶりに聞くせいちゃんの声は低く響いた。声変わりもしていた。
パニックで放心状態になっていると、せいちゃんは僕の浴衣を剥いだ。そして、首ともに唇を落とし、噛みついた。荒々しく性器をいじられ、後ろを解かれてひとつになってしまった。
はじめて、性行為で感情がつまって、泣いた。泣きながら、僕を揺さぶるせいちゃんに尋ねた。
「なん、で?せい、ちゃっ、っああ!」
「なんで?そんなの、葵は俺のものだからに決まってんだろ」
がつがつと骨がぶつかる。嫌でも快感を拾う身体。今まで見たこともないせいちゃん。あの愛しい笑顔のせいちゃんはどこ?
「なのに、葵は、俺を裏切ってあんなジジイと…クソッ!許さねえ、許さねえ、許さねえ!」
「いっ!あっ!」
鎖骨あたりをかぶり、と噛みつかれた。頬も相変わらず痛い。でも、的確に快感はわかってる。
「クソ親父もクソ兄貴共もぶっ殺してやる、葵は俺だけのものだ」
喘いで必死に呼吸をしているというのに、それを押さえるかのようにキスをされ、酸欠で頭がくらくらした。
何度も何度も、その行為は終わらず、空が白んでくるとようやく解放された。あちこちが軋んだし、どこが痛いのかもわからなかった。でも、そんな僕を抱きしめて、せいちゃんは愛してると何度も囁いた。
「せいちゃん…」
かすれた声で届いたわからないが、名前を呼んで僕は意識が霞んでいった。
「葵ちゃん、大好き」
そう聞こえて、僕は微笑んだ。
次、目を覚ますと光司さんがいて、僕は綺麗な浴衣と布団で横たわっていた。ぼんやりとする僕に暖かい白湯を飲ませてくれて、寝るように促した。全身が綺麗にされていて、ガーゼやらが貼ってある。右頬がずきずきとする。白湯を飲んだとき染みた。
「熱がでているから、無理をしない方がいい」
「せいちゃんは…?」
重い瞼で光司さんを見つめると眉を寄せて困ったようにかすかに笑っていた。そ、と前髪を撫でられて、瞼に唇が触れた。ひんやりとした唇が気持ちいい。
そのまま僕は眠りについた。
それから二週間ほどして、せいちゃんはやってきた。左腕にギブスをして、頭には包帯を巻いていた。僕はそれがびっくりでこの前のことなんかすっかり忘れてしまったかのように近寄っていった。
「せいちゃん!どうしたのこれ?!」
「葵…」
顔色が悪く、隈もひどい。そっとその頬に触れる。ひんやりとして、いつもの血色の良いせいちゃんではなかった。
「大丈夫?」
ぐしゃり、と表情を崩して、せいちゃんは右腕を僕の腰に回し抱きしめた。ごめん、と何度も囁いた。震えながら、僕を抱きしめている。顔をうめている右肩は、ほんのりと濡れてきた。
そ、と背中に手を回して、なぜか僕も涙を流した。
「いいんだよ、せいちゃん。僕は平気だから。だから…泣かないで」
「葵、葵…ごめん、ごめん…」
ゆっくりと身体を離して、その頬を両手で包む。はらはらと零れる涙はとても美しかった。
「せいちゃんの涙は、宝石みたいだね」
微笑むとせいちゃんはまた涙を零した。小さく吐息に混ぜて僕の名前を呼んだ。そして、ゆったりと瞼を下ろし、震える唇が触れた。揺れる吐息が唇に伝わる。
もう少し抱きしめたあと、せいちゃんは去っていった。
そうして、せいちゃんはまず大阪へ飛んだ。そこで中学を卒業して、一度こちらに帰ってきたが、それからすぐ九州へ旅立った。
大阪から帰ってきたせいちゃんとは2年ぶりの再会で、あまりにも男らしくなっていて、かっこよくなっていたから驚いた。それでも震える身体で抱きしめてきたから、可愛くて笑うと、子供扱いするなと少し怒った。
そして、僕らの関係は始まった。いや、実はもう始まっていたのかもしれない。
「俺、大阪から帰ってきたとき、本当に怖かった。葵に拒否られたら死ぬつもりだった」
腕枕に寄り添いながら、思い出話をぽつりぽつりしているとせいちゃんは言った。
「死ぬなんて…」
「そのくらい葵は俺にとって特別だから、命よりも大切だから」
仰向けになったせいちゃんは動いて、僕を胸の中へ収めた。
「だから、受け入れてくれて…本当に嬉しかった…これから、もっと大切に、もっともっと愛そうって決めたんだ」
葵、大好きだよ。
そう囁いた。
「ありがとう、せいちゃん。大好きだよ」
僕は彼を抱きしめた。