え…
身体が固まるのがわかった。
「あの男を殺して、ずっとずっと俺の隣にいてくれるなら、俺はお前と共に生きるよ。これ以上のしあわせな世界はないから」
彼を、殺す…?
む、無理だ……そんなこと、不可能だ…
僕にあんなに優しく、愛しい彼を殺すことなんて出来ない。
彼がいない世界を思うと涙がとまらなくなった。
「できないんでしょ?」
諦めたように司は力のないくしゃりとした笑みを浮かべた。
そして顔をあおぎ、カプセルを口にしようとした。
「やめて!司!僕をおいてかないで!」
腕をつかんでいた手にまた力を込める。
「両親が自殺して、ぼろぼろになっていた僕を救ってくれたのは、司の笑顔だった!」
半ば泣き叫びながら、伝えると司は少し目を見開いて、こっちを見た。
「…司の笑顔を、失いたくない…これ以上、大切なひとを失いたくない…っ、だから…自ら死ぬなんて、いわないで…しないで…」
死ぬとか殺すとか、そんな怖い言葉を司に使ってほしくない。僕の命を救ってくれた張本人だから。
「…司の、メイクリストの話、うけるよ……ずっと、そばにいる…だから、僕のそばにも、ずっといて…?」
僕は美容師だった。高校を卒業し、専門学校に通い、免許を取得し、ある美容院で新人なりに頑張っていた。そんな中だった。司が激怒したのは。
ずっと司に専属のメイクリストをスカウトされていた。でも僕は人気向上中のアイドルの専属だなんて恐れ多くて、もう少し技術を学びたいと言った。正直、この頃からもう司が怖かったのかもしれない。
ある日、いきなりだった。
司のマンションに帰ると、暗闇の中につったってる司がいて、うつろな目で今の仕事やめろって言われた。やっと軌道に乗り出ていたから、もちろん反対した。そしたら、利き手の親指を傷つけられた。
どうやら、こっそり仕事場にきていたらしく、楽しそうに知らない客と話し、髪とはいえ他人の一部に触れたことが許せなかったらしい。
僕は暴れる司を全身で泣き叫びながら止めた。
今と同じ。
それ以来、僕は親指の後遺症でハサミが持てなくなり、美容院を辞めた。司はそれくらいから仕事がますます増え、家に帰ってくることは少なくなった。司は、僕に金銭的支援も行ってくれていた。専門学校はなんとか自分でバイトして行っていたが、それがあってから、司は僕をマンションに閉じ込めた。
「僕も淋しかったんだよ…?司には全然会えないし、会えてもエッチして終わり…だけど、司からは女の人のにおいが消えないし…司、僕のこと本当に好きなのか不安だった…」
昔のことを思い出したら、すー、と気持ちが冷えて冷静になっていった。
「僕は特にいい見た目をしてるわけじゃないし、男だし…それに比べて司はとてもかっこよくて、国民レベルで愛されてて…いつもキラキラしてて、周りにはきれいな女の人がいっぱいいて……不安で、たまらなかったんだよ…」
ずっと、司の欲しがっていた言葉なんて、わかっていた。
あえて言わなかったのは、最後の僕の反抗だった。
でも、それも今日で終わり。
「要…!」
司は僕を抱きしめた。
久しぶりに、司に名前を呼ばれた気がする。
「要、要…!そんなに思われてたなんて知らなかった…ごめんな…」
「司…」
そっと背中に手を回す。
可哀想な司…
「なんにもわかってなかったのは、俺だった…ごめん…」
「ううん、わかってもらえたなら、僕はそれでいいんだ…」
誰も信じられなくて。
いつも孤独で。
味方がいなくて。
しあわせを知らない。
「だから、もう…死ぬとか、殺すとか…そんな言葉言わないで?司は、笑って?」
涙を流す頬を撫でると、司は目を細めた。その笑顔は、あの、僕の救われた笑顔だった。
僕は彼に、暖かいしあわせというものを教えてもらった。
本当に、彼と過ごす時間はゆったりとしていて、あたたかくて、なにもいらないと思えた。
充分だった。
本当に、本当に、しあわせだった。
最後にありがとうって言いたかったな。
しあわせをありがとうって。
「なんで、要は泣いてるんだ?」
ぽろぽろと雫が頬をなでる。
「しあわせになろうね、司」
今度は僕が彼にしあわせを教えてあげよう。
さようなら。さようなら。