暗い部屋で、猛は壁を向き寝てしまったようだった。その隣で俺はテレビのリモコンを手に取る。
スイッチをいれ、音量を下げてからチャンネルを回す。海の家特集という番組が目に入った。
「夏だし、海行きたい」
「はあ?ぜってーダメ」
独り言はキャッチされ、いきなり返された。少々驚きながらも猛って、海とかプールとかすごく好きそうなのに、去年も断られたな、とか考える。
「なんで?」
「……」
「俺なんかは貧相な身体してるけど、猛はいい身体してるじゃん」
テレビから百八十度顔を動かし、相変わらず壁と向き合う猛の二の腕を撫でる。
元野球部で、今も友人たちと草野球をやっているという若者らしい良い身体。うらやましい。
「俺も鍛えようかな」
「ハッ!」
鼻で笑われた。
かちん。
「……俺、本当はなよなよしたモヤシみたいな男が好きなんだよなー」
小さな声で、本当に独り言かのように話す。
しっかりそれは猛の耳に入っていたようで、彼は黙り込み、壁との隙間で腕筋をさすっていた。
にやりと笑ってしまうが、それをひた隠しにし、目線をテレビに戻す。そこでは、海の家に直接芸人が訪れるというシーンだった。
「あーでも、この相方みたいにぽっちゃりもいいよな…気持ちよさそう…」
ぷにぷにしてて。
と言おうとしたら、いじけ虫が小声で、しかし明らかに聞こえるようにいった。
「クソビッチ」
む。俺は誰でもいいわけじゃないんだぞ。性欲は人並みだし。
ころんと回転し、ぴたりと背中にくっつき、耳元で囁く。
「そのクソビッチがハジメテの相手だったクソガキは誰でしょう?」
「っ…お前、マジウゼー」
うーん。とちょっと考えてから、ベッドを抜け出し、脱ぎ捨てた服を身に纏う。
そして、携帯をもち、耳にあてながら、ベランダに出る。聞こえるように窓は開けておく。
「もしもし、林さん?お久しぶりです、和紗です。え?ふふっ、俺も楽しかった…実は、あの夜が忘れられないんです…今夜、空いてません…?…本当ですか?嬉しい…!じゃあ、三十分後にこの前のホテルで、いいですか?…はい、じゃあ、またあとで…」
ぱちんと携帯を閉じてから、部屋に戻り、財布を手に取る。
「おい…どこ行くんだよ…」
掛けたタオルケットが辛うじて隠してはいるが、猛は全裸で起き上がり、こっちを見ている。
「お前に言わなきゃならないわけ?」
予想よりも冷たい声が出て、少しだけ自分でも驚いた。が、こいつは俺以上に驚いたようだ。目を見開いてから、眉間にしわをよせ、怒鳴ってくるかと思ったら、しゅん、と効果音が聞こえるように頭を下げた。垂れてる耳と尻尾が見える。俯いたまま、かすかに震えながら、とても小さな声でこの犬はつぶやいた。
「……行くなよ…」
ドアが閉まった瞬間に聞こえた言葉にきゅんとしながらも、閉まってしまった手前、戻る勇気はない。うーん。とまた少し考える。少し待っても追ってこないということは、そういうことだ。
階段を降り、鍵をもち、家を出る。夜風が心地よい。
別に怒っているわけではないけど、やっぱり主従関係ははっきりさせておかないとね。