次、目を覚ました時は辺りが真っ暗になっていた。しかし、身体には覚えのない毛布がかけられていた。
のっそりと身体をおこすとキッチンから光が差し込んでいる。カレーのにおいが、する。
鍋をかき回すその後ろ姿を見つけたとき、そっと身体を寄せた。首筋に頭をつけ、わき腹あたりのシャツを握りしめた。
「樹海?おはよう」
その声はいつもの暖かい声だった。きっと、またへらへらしているだろう。
「雄哉…ごめん、な…」
火を止めてから、俺を正面から強く抱きしめた雄哉は、へらへらとした面で言った。
「何が?」
こいつは本当にバカなのだろうか。
「…いや、なんでもないよ」
そっか、と言ってキスをした。それから、俺は身体を離して、皿やらご飯やらの用意をし、手早く二人で夕飯にした。
ごくりとひとつ飲み干してから、勇気をだして、尋ねてみた。
「ね、雄哉」
「ん?」
「雄哉さ…陸上部なの?」
視線を感じて、雄哉の方に首を捻ると佐々木と同じようにきょとんとしていた。
「あれ?樹海に言ってなかったっけ?」
そうだよ、と頷いてから、逆に質問された。が、それを無視してまた質問した。
「じゃあ、今日、朝早かったのも、帰りが遅かったのも…部活、なの?」
言ったあとに、やばいと思った。女々しすぎるだろ、これは。
「そうだよ?」
「そ、そっか…」
つい頬がゆるんでしまった。急いでカレーに目線を戻す。
その頬に急にキスされた。
「樹海、可愛い」
睨み付けるように雄哉を見ると満面の笑みで馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「まだ長距離やってんの?」
「まあ、一応ねー」
そういえば。
脱ぐとやけに筋肉質だな、と思っていたけど、あれはセックスじゃなくて、ちゃんと鍛えていたんだ。
「楽しい?」
その問いかけに雄哉は複雑と笑いながら答えた。
「俺、本当は樹海と同じ高校に行きたかった。けど陸上の推薦で学校決まってたから…走るのは好きだけど、それ以上に樹海が好きだから…」
ちょっと憎いものでもあるかな。
人のせいにするな、とつい言ってしまいそうになった。しかし、今はそんなことは言えなかった。
「樹海は、陸上、やらないの?」
「そうだね…なんだか入らなかったな」
俺の通っていた中学は部活に入ることが義務づけられていて、なんとなく陸上に入った。そして、比較的上級生の人数が少ない長距離のグループに入った。
走ることは、どちらかというと好きだ。
「疲れるからな…」
どうせなら、違う労働して疲れたい。
「じゃあ、マネージャーとかは?」
「男なんかにマネージングされても、嬉しかないだろ?」
「そんなことないよ」
樹海なら、嬉しいよ。
そう言って頭を撫でてきた。雄哉は本当に優しそうに微笑んでいて、佐々木が言っていたことは絶対嘘だと改めて思った。
「あ、でも樹海の学校のやつらが羨ましすぎるから、やっぱりダメ」
「なんだ、それ」
ぎゅ、と抱きしめられて、勝手なやつと悪態をついてみる。でも笑ってしまう。雄哉も笑っていた。
少し前の俺らからは想像も出来なかった。
「そういや、雄哉の現社のマーカー、むちゃくちゃ助かった!あのおかげで今年一番の成績とれるかも」
「本当?樹海の力になれて嬉しいよ」
そうして俺は気付いてしまった。明日の教科がまだ手付かずだということに。
食器は雄哉の好意に素直に甘えて片付けてもらった。
ペンを滑らせるように数字を書き続ける。わからないところは隣にいる雄哉がしっかりと教えてくれた。
そろそろ終わりが見えてきたところでなんとか雄哉を風呂に入れさせる。
「漢字は、明日、電車でやればいいか…」
目薬を浸透させながらつぶやいた。やばい、眠い。
ぐっ、と腹筋に力を入れて、再び残り数問に挑んだ。
ちょうど解き終えた瞬間に脱衣場の扉が開いた。
「終わったの?」
「んー…」
眠すぎて足元が覚束ない。ぽすり、と雄哉に寄りかかってしまった。やばい、ねむい。
「樹海?」
「……ね、むす…ぎて…」
くすりと笑ったのがわかった。すると急に膝の裏をすくわれた。
何事かと目をなんとか開けば、雄哉の笑顔がすぐそこにあって、風呂上がりの暖かい雄哉の体温の伝わり方で横抱きにされていることはわかった。
すぐにふわりとベッドにおろされて、隣に雄哉が入ってくる。
「さすが、現役は違う…」
「樹海が軽すぎるんだよ」
抱きよせられて、その体温が身体に染み渡ってきて心が溶けていくような気がした。
「おやすみ…」
朦朧とする意識でそれだけ伝えると雄哉の返答がぎりぎり聞こえて完全に眠りに落ちた。
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