駅までたどり着いたが、時間もかなり早く、気分も落ち着かなかったため、ひと駅歩いてみた。線路添いをひたすらに。
次の駅についたときには、大分気持ちも納まっていた。
ぐちゃぐちゃとしていた感情も結論なんかひとつも出なかったが、どうでもよくなり、すとんと何かが落ちて、すっきりしていた。
竹井さんに失礼なことをしてしまったことをとりあえず謝ろうと携帯を取り出した時、名前を呼ばれた。

「あっれえ?佐藤くんー?」

独特のどこか甘ったるい声の出し方をする人物を俺はひとり知っていた。

「小出水さん…」
「あはっ、やっぱり佐藤くんだー」

久しぶりーと人好みされる笑顔で近付いてきた小出水さんは、バイト先の先輩だ。しかし、会ったことは一度だけだった。それも結構前に。
なのに、俺が覚えているのには、理由がある。

「相変わらずいいケツしてるねー」

するりと撫でられる。
始めて会った時もそうだった。いつか相手してね、と言われたこともしっかり覚えている。
マッシュルームヘアを白に近い金髪に染め、身体のどこかにビビットカラーが主張している。明らかに個性派だ。そんな彼は、聞いた話によると美容系の専門生だとか。納得。

「髪、伸びてるねー」

襟足を摘まれる。
確かにそろそろ切りにいこうと思っていたところだ。

「俺が切ったげる。うん!それがいい!そうしよう!俺んちそこなんだ!行こうけってーいっ!」
「うわ!ちょっ…、俺、これから学校…」

俺の言葉が全く聞こえていないかのように、小出水さんは俺の手をつかみ、どんどん歩を進めてゆく。ちらちらと見えるのは、ビビットな大きいピアス。
あるマンションにだんだんと近付いていくにつれ、俺の気持ちも諦めに入っていく。

久しぶりに学業の心配。




部屋に入るとそこは至って普通だった。もの凄く。彼の部屋だとは到底思えなかった。一室に通され、腕を捲った小出水さんがせっせと働いていた。
唯一普通でないのは、この部屋にある鏡だった。二メートル以上ある鏡が直立していた。
その前に新聞紙を敷き詰め、椅子を起き、道具が乗ってたり収納されてたりひっかかったりしているトレーを引っ張ってきて、小出水さんは笑顔で俺を座らせた。そして、カットクロスに袖を通す。小出水さんの一連の仕草はとても慣れていた。

「前みたいにするー?変えるー?」

優しく髪を味わうかのように梳く。

「小出水さんのオススメとかあります?」
「俺の?んー、まずブリーチは外せないよね」
「……無難な感じでお願いします…」

俺の自慢の黒髪は変えたくない。
かしこまりましたぁ、と鏡越しに微笑まれた。
霧吹きで髪を湿らせ、クリップでとめ、チョキチョキと小気味のいい音がする。

「佐藤くんとは、あの日以来だねー。俺、長年あそこでバイトしてるけど、佐藤くんとは一回しかシフトかぶらなかったのは、なんでだろーねぇ」
「もうバイト始めて一年くらいなんですけどね」

始めたのは、四月入ってすぐ。もう三月だ。月日の流れはあまりにも早い。

「もう二年生?だよね?」
「え、あ、そうですね…」
「じゃあ、今よりもっとたくさんのこと悩むねー」

それはただ単に進路に関してということなのだろうか。しかし、それだけにしては少し含みが強い気がしてならなかった。






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