Before Blue
- ナノ -

フランに四月、学生会館で出会ったのは本当に偶々だった。

元から知っていたとはいえ、ちょっとした興味を抱いたのも気紛れのようなもので、声をかけてちょっかいを出すようになったのもただの善意や好奇心ではなく、フランの行き着く理想の果てが見たかったというのもある。
当然、フランの未来に自分の姿を考えたことは無かった、筈だった。適度に助言をして自分自身を見詰めなおせたらいいがな、という先輩を気取ったお節介程度で留めるつもりだったのに、フランの中での自分の存在を大きくしたくなってしまった。

理想も夢も捨てて俺だけ信じれば怖い物なんて無くなるだろう?ーーなんて、安直に欲深く考えてもしまうが、フランはそんな人間じゃない。何もかもを諦めて人に縋ってしまうような弱い女じゃないって言うのは重々分かっている。
だからこそ惹かれた部分もあるし、知って欲しいと願った。俺を受け入れてもらいたいと、アイツの世界を染め上げたいと思った。

生き方において似たような決断をして、綺麗な世界も汚い世界も見て来たフランと俺が共有しているもの、そして互いに無いもの。俺にもあったかもしれない可能性の一つの姿だが、確実に異なるその傷付きながらも凛と一人佇むその姿があまりにも痛々しく、そして酷く美しくもあった。
フランは人に助けを求める術を知らない。でも、本当は誰よりも人に甘やかして欲しく、認めてもらいたかったし止めて欲しかった。幼いフランの心の叫び声を自らの意志で閉じ込めてしまったなら。

ーー俺が、この手で引き出すまでだ。どんな手を使ってでも。


旧校舎で起こった出来事の説明を一通り話を終えてフランがそのまま帰ろうとしている中、サラに医務室に行って来ると声をかけた。
既に自分の足で立っていたフランの手を掴んで背負うと、フランは吃驚したのか降りようと咄嗟に動く。


「ちょ、ちょっと、クロウも疲れてるでしょう!?」
「俺は前出てなかったしお前ほどじゃねーよ。腕痺れてるなら大人しくしろって」
「それは……」


何故腕が痺れてるのか、その訳を詳しく他の人間が居る場で話されたくなかったのか、フランは口ごもって大人しくなった。こんな細腕でよくあんな巨体を吹き飛ばせたもんだ。利き腕の方が力が入るのは納得出来るが、恐らくは本当に久々に左手で剣を持ったのかその重みに腕が耐えきれなかったんだろう。

俺達の様子に妬いたらしいアンゼリカが文句を言ってくるが、はいはいと聞き流してフランを担いだまま昇降機に乗って行った。


「小さいとは思ってたが、軽いな」
「っ、女子にそういうことは言うものじゃないの。私一人でも歩けるのに……」
「俺は遠距離攻撃してたからお前らほどへとへとって訳でもねぇし。ま、サービスだと思えよ」
「何も皆が居る前でしなくていいじゃない……」


流石に恥ずかしいものだと訴えてくるフランに満足げに笑う。意識してもらって構わまないし、俺がこいつの内面を一番理解しようとしてるのだと周りに主張したくもあった。
文句を言いながらも首に腕を回しながら揺られるフランは左手を開いたり閉じたりを繰り返していた。
ちらりと視線を後ろへやるとその様子が視界に映ったが、直接触れるべき話ではないとはわかっていた。
右手のみでの剣術が不完全なもので、そしてあの銃は一体何なのか──フランが聞かれたくなさそうにしてるのは十分分かっていた。
だから遠回しに、その問題を知らないふりして問いかけて弱さや脆さを引き出すのだ。


「しかしちっこいくせにお前もよく頑張ったな」
「……」
「お嬢のくせして無茶しやがって」
「……クロウも、人が悪いわね」


フランの言葉にぴたりと足を止めて後ろを振り向いたけれど、背中に顔を埋めているせいかフランの顔は見えなかった。しかし、首に回されていた腕に少しだけ力が込められた。


「私が不完全な剣術を披露したなんて分かってるんでしょう?だから私をサポートしてくれた」
「……はは、ばれたか。お前の為に言わねぇ方がいいと思ったんだが」
「ばか……気付かないと思う?」


そうか、流石に気付いたか。いや、気付いてなかったらお前の右手をカバーするなんて言えないか、と考えながら苦笑いをする。実際フランが戦っている姿を見るのは初めてだった。サラやリィン、アーサー達からフランがエペを使うという話は聞いていたが、個人的にそれだけでないことも知っていたし、フランが先程迷っていたことも見抜いた。

けど、現時点では最後の一線を保っているから一歩引いているような状況だ。フランは多分俺がわざとその距離を作っていることを感じ取っている。
それに、多分俺自身がフランに共感できる価値観を持っていることに気付いてる。経験してきたからこそ、裏の世界に生きて来たからこそ分かる助言もあるものだ。

未だに僅かに震えているフランの左手をまじまじと見た。俺より銃を触って来たんだろう指に付いたその痕は幼少期からフランが銃を握って来たという証だ。気張らなければいけない世界で耐えて来たフランの象徴と言えるものだが、歩む道が苦しむしかないのなら壊すべきだろう。


「お前の指、随分銃使い込んでるな」
「……」
「……なに、言いたくないなら無理に言わなくたっていいっての」


その問いに対してフランは口を噤んでいた。
今のはちょっとした意地悪な質問だった。貴族派から貰っていた情報でも知らなかった銃の存在は多分フランにとってあまり知られて快いものではないだろう。けど俺は知っているという事実をフランに認識させておきたかった。
安心させるように声をかけたのだが、フランから予想外の言葉が返ってきた。


「どうして、クロウは銃を使うの?」
「……、なんでって、それが一番俺に合ってたからだよ」
「何かを誤魔化すのに?」
「……」
「……ごめんなさい、ちょっと、つかれたみたい」


背中に頭を預けたフランを抱え直して、苦笑いを浮かべる。

銃という存在がフランにとっては私生活で親しい人には隠したい自分のもう一つの顔だったら、俺にとってこの銃は自分の本来の姿を隠すべきのものだ。何かを誤魔化す為の武器──本当に直感でその言葉を言ったんだろうが、気付き過ぎるのも厄介な縁を呼び寄せる。自分で言うのもどうかと思うが、俺のようなやつの関心を引き寄せてしまう場合もあるってもんだ。

だが、この様子を見る限り、もう限界なんだろう。


「……私、何も変われてなかった」
「ん?」
「仲間を守るためだったのに……それでも一瞬悩んだ。……駄目ね、そんな感じだからサラにも自分の為に人を守るのか、相手の為に守るのかも分かってないって、言われるのに……」
「けど、お前はリィンを守ることを選んだろ?」
「……いいえ……クロウが背を押してくれたから、でしょう?」


咄嗟に出した銃を見ないふりをして、剣で戦おうとしたフランをサポートすると言ったのが背中を押す形になり、フランは仲間を守ることを選んだ。
フラン自身が自覚していないだけで、Z組の仲間を守りたいと思っている筈だ。だが、今までの自分の生き方を否定する訳にはいかないのもあって無意識にブレーキをかけているだけだろう。


「……やっぱり、私ってそんなに頼りない、かしら」
「危なっかしいからほっとけねぇってのと、頼りないってのは全く違うだろ。……お前は何でも一人で抱え過ぎだし肩に力が入り過ぎてる分、心配になっちまうってだけだ」
「……」


こうも気落ちしているフランを見るとついつい甘やかして宥めたくなる。よいしょ、と抱え直して保健室の扉をフランに開いてもらって保健室に入ると、椅子に付いて書類を書いていたベアトリクス教官が立ち上がって近付いて来た。


「お二人とも、どうしたんですか?」
「ちょっと旧校舎で色々あったんすよ。俺達は自分でちょっと消毒して湿布くれるだけでいいけど、まだ旧校舎に居るリィンとその妹の方が心配だな」
「旧校舎で……私も確認をしてきますが、怪我をしているようですし貴方達の治療も……」
「いいっすよ、大したことねーし、適当にやりますし。な、フラン」
「え、えぇ……私達はあまり外傷も無いし消毒液と湿布だけ頂いていいですか?」


ベアトリクス教官に腕の様子を確認されるのが嫌だったのか同意したフランに、ベアトリクス教官は一瞬考え込むような素振りを見せたが、分かりましたと頷いて湿布と消毒液を取り出し、旧校舎に向かう為に保健室を後にした。
フランを降ろして椅子に座らせ、フランの僅かに震えてる左腕に湿布を貼った。


「まだ痛むか?」
「いえ……少し、痺れてるだけだから大丈夫。一日もすればましになると思うわ」
「おう、それなら良かったぜ」


自分の腕を確認しているフランの横でガーゼと包帯を取り出そうと探っていると、くいっとブレザーを引っ張られた感覚がしたから振り返った。俯いたままフランが俺のブレザーを握っていたから思わず固まった。

「……クロウ、ありがとう。本当に」

切に紡がれたその感謝の言葉にごくりと生唾を呑んだ。まるで俺を頼って、縋っているように錯覚する。そう思った時の一瞬の高揚や幸福感に、俺は呑まれかけた。
フランの頬に手を伸ばしかけたその瞬間、はっと気付いて動きを止める。

──俺は今何をしかけた?
頭を掻いて、深く息を吸って吐いた。今、このまま奪ってしまうおうかと過ぎった自分が居た。
手を引っ込めて悩んだ末、頭にぽんと乗せて撫でると目を丸くしたフランがふっと気の抜けた朗らかな笑みを見せてきて、何かが音を立てて崩れていくのがわかった。


「はは、どーいたしましてってとこだが、礼も期待していいのか〜?」
「えっ、それは、ちょっと……!」
「冗談だよ、冗談。これは俺の前払いみたいなもんだから気にすんな」
「……?」


フランの世界を壊して、目を覚まさせる。
俺の愛情が綺麗な物ではない事はもう重々自覚している。素直に伝えられるほど器用でもないし、フランには届かないと解っていた。人を巻き込まない為にも関心を向けられる対象ではないと自分を位置付けてるからだ。
けどもう誤魔化して無関係でなんか居られない。フランをただの後輩だと思い込めない。

随分長いこと葛藤したが、俺もそろそろ限界だ。

ポケットに手を突っ込むとそこに入れてたミラが指に触れ、それを取り出して悪戯に笑った。

「ちょっとしたゲームしようぜ」

首を傾げるフランに、コインを握った拳の親指の上に置いて、指で弾いた。垂直に落ちてきたそれを右手の甲に上に隠して左手で覆う。


「どっちだと思う?」
「……じゃあ、表で」


不意打ちで始めたのもあってフランはコインの動きを見ていなかったのか悩みながらも直感で表だと答えた。
別にこの結果がどうということもない。ただ、俺が賭けをこれからしていくにあたっての景気づけみたいなものだ。フランも、俺自身をも巻き込む、Cとしての賭けとはまた違う俺個人の感情の為の賭けだ。
フランの答えを聞いてからゆっくりと手を退けてコインを確認すると、それは裏側が上になっている状態だった。

今回は所詮戯れでしかないが、こんな結果にする為にも力を入れていかないとな。


「残念、裏だ。ははっ、俺の勝ちだな」
「う……なんだか凄く悔しいわね……クロウにしてやられた感じが」


結果は勝つか負けるか、勝率は高くない。軽蔑されて引かれてしまうかもしれない。その時点で失う可能性だって十分にある。

「くく、フランに負けるわけにはいかねーからな」

だが、上等だ。
自らの閉ざされた世界に閉じこもったフランの手を引けるなら悠長に手段を選んでる暇なんてないだろう?


──七月十八日、自らを偽って学生という仮面を被ることに徹していたその最後の一線を壊すまでの、ある一人の青年の葛藤の全てだったのだ。


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