氷菓童話
- ナノ -

01

女性が喜ぶだろう求婚の仕方。
それを男は知識として理解していた。不測の事態も、相手によって合わせることも予測した上で行動することは男にとっては難しいことではなかった。
何故そう断言出来るのかと言えば、落とせるかどうかも分からなかった駆け引きの相手である生涯番にすると決めた人への求婚にも似た告白を既にしていたからこそだろう。
唯一無二の、ジェイド・リーチという人魚だからこその、氷の魔女であるエミルへの告白。
それは喜ばれるかも、断られるかも分からないものだったからこそ、ジェイドの記憶に深く刻まれ続けているのだ。


「ジェイド・リーチ君とフロイド・リーチ君はただちに購買部前へと集合してください」

オクタヴィネル寮のリーチ兄弟にその話が舞い込んで来たのは突然のことだった。
切羽詰まった声で学園長に呼び出される時は大概あまり良くないことが起きている。
面白いことに首を突っ込みたい性質がある二人と言えども、実りのない――自分達の興味に引っ掛からない厄介ごとに"手助け"をするという性質は無かった。
朝から突如現れたゴーストたちに追い掛け回されて避難してい中、購買部前へと集合がかかる。


「購買部前は安全ということでしょうか」
「ハマシギちゃんとこにはゴースト居ないんだ〜?」
「巻き込まれていないようで何よりですね。何せ購買部の中までゴーストに荒らされるとなると、エミルさんが家に帰れなくなりますからね」
「それはそれでいいとか思ってるくせにさ」
「おや、フロイドにはお見通しですか」


彼女が家に帰れなくなったのなら、あれこれと理由を付けてアズールにも説明をしたうえで部屋に泊まらせることも可能だったが。
自分の思考にいち早く気付くフロイドの指摘に、ジェイドは歯を見せて悪戯に笑った。
購買部前で呼び出しされるということは、今回のゴーストの騒動の件でサムかエミルが解決に関わっているのではないかと予測しながら随分と行き慣れた購買部前へと招集に応じて来たのだが。

――花嫁ゴーストに求婚して貰いたい。
集まった生徒達に学園長が告げた内容オペレーション・プロポーズだった。
500年もの間理想の王子を探し続けていた花嫁である姫が花婿に望む条件は多岐に渡るが、"180センチ以上の高身長"という明確な条件を元に、リーチ兄弟を含める七人は集められたのだ。
断ろうにも、このままでは学園がイデアの弟であるオルトの手によって破壊される、或いはテレビでニュースに取り上げられた時にはモザイクを消すという脅しがあったから全員が断れない状況だった。


「……困りましたね……」
「えー、ジェイドヤバくね?言葉だけ考えると浮気じゃん」
「業務的なプロポーズにはなりますが」


既に番と決めた女性が居るのだが、その事を知っているのはフロイドとアズールだけだと考えると、条件的には呼ばれるのは仕方がないだろうとジェイドは困ったように肩を竦める。
それもまた、集合場所が彼女が中にいる購買部前だと言うのもまた皮肉という以外の何物でもない。
商人として合理的な思考も持ち合わせている彼女ならば、今回の作戦における人選として条件的には自分が選ばれるというのは理解するだろう。
しかし、感情をこめていない嘘のプロポーズと言えども、エミルという女性が居ることを考えると複雑な部分がやはりある。

(理解が早そうですが……エミルさんは嫉妬を、するんでしょうかね)

何せこの学園は全寮制の男子校であるために、女性の数が少ない。嫉妬をするような対象となる女性が居ないのもあって、彼女が嫉妬をする姿というのを見せたことは無かった。
それが見られるかもしれないという可能性と、寧ろ嫉妬を通り越して『浮気された』と思われて別れ話を切り出されるなんて可能性を考えるとあまり笑えない賭けではある。


その話は、購買部の中に居たエミルの耳にも、既にサムからの情報提供により届いていた。
同じミステリーショップを間借りして商売する仲間であるイデア・シュラウドがゴーストの姫に見初められて連れ去られてしまった挙句、学園やオンボロ寮は姫の付き添いであるゴースト達に追い出されて占拠されてしまう事態になっている、と。
被害を受けていない購買部で、エミルはサムが用意して欲しいと言ったものを準備しつつ今回の状況を見守っていたのだが、窓の外に見えた集められた生徒達の姿に、エミルは持っていたはたきを落としそうになった。


「っ、ジェイド……!?と、フロイド君に、皆さんも……」

180cm以上の高身長である彼らが集められたようだが、その中には当然ジェイド・リーチも含まれていた。
――当たり前だ。彼の素の性格はともかく、それを取り繕って嘘を吐くことに徹すれば、彼は女性への間違わない対応を知っているから、作戦的には一番上手くこなす可能性が高い。

「そんなの、分かってます。……分かってる……」

理解している筈なのに、根底で理解しきれていない自分に、エミルは自分を戒めるように拳を握り締める。
嘘でも違う女性に口説くどころか、求婚をするという事実に、氷の塊――鋭利な氷柱を呑み込んだような感覚になるのだ。
穏やかな顔で、愛の言葉を囁くのだろうか。
ダイヤモンドダストが輝き、極光が映える夜空の下で。オクタヴィネル寮の外の海の中で。言ってもらった告白のように。

自分の手の体温がぐっと下がっていく感覚を覚えながら、上の空の状態でサムの店の手伝いをしていたエミルだったが、バンッという大きな音と共に開いた扉に肩を揺らす。
客人にしては手荒な来訪の仕方に一体だれかと視線を出入り口へと向けると、フロイド・リーチの姿があった。
似た雰囲気の人物が入って来たことに、びくりと肩を揺らしたエミルはこのタイミングで本人に会わなかったことにほっと一息を吐く。


「フロイド君、いらっしゃいませ」
「やっほ〜ハマシギちゃん、だーいじょうぶー?」


直球で聞いて来たフロイドに、エミルは思わず口元を引きつらせそうになる。
自分の感情が落ち着くまで知らないふりを決め込んで、結果を聞いてからそのことをからかえる位の気持ちに落ち着いてから触れようと思っていたのに、フロイドはそれを許してはくれなかった。


「……ま、まぁ、あの懐に入り込む技術と礼儀を欠かないように接する物腰を考えればジェイドを選ぶのは妥当な選択肢です。私が学園長の立場ならそうしますよ」
「へぇ〜めっちゃ物分りいいじゃん」
「学園が無くなると困るのは私も、ですし。……、……ジェイド以外の方が見初められる可能性だってあるから」
「ふーん?」


商人らしくあくまでも合理的な意見をさらさらと述べていく一方で、根底にある精一杯の強がりに、フロイドはからかう訳ではなかったが、笑みを浮かべた。

(ハマシギちゃんにしか興味無いから別に心配する必要なくね?まぁ、ジェイドが終わったら話に行くって言ってるからいーんだけど)

素の好奇心さえ出さなければ、ジェイドの人との駆け引きだとか、懐に潜り込む技術はアズール以上。寧ろこのナイトレイブンカレッジでは一番だろう。
けれど、ジェイドという男は何処までも、そして誰よりも本能的な好奇心だとか自分の興味関心を満たすことに忠実だ。
そんな彼が、誰かに好奇心を抱くというのは兄弟であっても本当に特別な理由があってのことであったし、ましてや彼女というよりも番だと定めて求婚することは二度とないことなのだ。

用事があると言って大食堂に行く前に購買部の中へと入って行ったフロイドの背中を見送ったジェイドは視線を外せなかった。
フロイドのことを気にしているのだろうかと思い込んだトレイは首を傾げる。


「どうした、ジェイド?」
「いえ。購買部は追い出される場所にされてなくて良かったと思いまして」
「そういえばそうだな。そのお陰でこの作戦も決行出来るわけだしな。ミステリーショップが荒らされていたらそもそもの計画が成り立たない」
「くふふ、エミルも居場所に困っていたかもしれないしのう?」


気付いているのか気付いていないのか分からないようなリリアの言葉に、ジェイドは笑みを浮かべて受け流す。
彼女が家に帰れなくなるだけではなく、この作戦を知ればジェイドに何となく気まずくて近付こうとしない可能性を考えれば、エミルの避難場所は本当に限られる。
体調が悪い時に校舎の尖塔のバルコニーに居ることもあるが、現在はゴーストによって校舎内に居ると追い出されてしまうから余計に。


「大食堂に行く前に少し植物園へと寄ってもいいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ。皆さんも心の準備と作戦の準備は整えてからお願いしますよ」
「へぇ、何か策でもあるのか?」
「ふふ。僕なりの趣向を凝らそうかと」


――元々興味のないプロポーズ・オペレーションなのだ。これ位は、いいでしょう?


結婚式場となっている大食堂へと乗り込むと、既に参列用の墓や、青と紫を基調とした花が飾られ、白い布を柵に取り付けてカーテンのように装飾している。
食堂の奥には捕まっているイデアの姿があり、花嫁であるイザベラは求婚者である彼らに対して「イデア以上の理想の王子は居ない」と言いながらも、求愛を聞き遂げる。
500年間もの間、高すぎる理想の花婿が見つからなかったこともあり、高身長という条件で揃えた寮長を始めとする生徒達は次々とイザベラに平手打ちをされる。
さて最後に残ったのは七人の中では一番可能性の高いジェイドであると、既に平手打ちを食らった六人は彼とイザベラのやり取りを見守る。


「お近づきの印にこちらをどうぞ」


柔らかい物腰と穏やかな笑顔でお近付きの印として差し出した花。
イザベラが理想とする、花嫁に対して花を渡すロマンチックな行動に、イザベラは王子様のようだと感心を示す。ジェイドの用意周到な行動に、他の生徒達も流石だと舌を巻いたのだが。
その花に見覚えのあったフロイドは笑った。

あれは、毒の花。
普通の人間が素手で触れるとかぶれる程で、他のテラリウムに入れている植物に悪影響をもたらす程の花を『ゴーストなら触れるとどうなるか』という実験を兼ねて渡したのだ。
何せ、ジェイドは元々テラリウムが趣味だったけれど、エミルの氷結の花を持って帰って来てからは特にそれを大切にしている。
例え既に枯れてしまっていて、冷気を発さない花に変わったとしても、砕け散らないように薄い氷の膜で出来た透明な花弁の花を保管し続けている。
興味本位で毒の花を何かに利用できないかと思って持って帰って来たはいいものの、氷結の花を枯らして完全に腐らせてしまうことを嫌がって、捨てようとしていたことをフロイドは知っていた。

ーーなぁんだ。知ってたけどさージェイド、初めっからあのお姫サマにちゃんとしたプロポーズする気ないじゃん。

そして案の定、それが毒の花であるとバラされてもジェイドは作戦を邪魔されたことを怒る訳でもなく、愉しそうな笑みを浮かべて魂胆を語り出す。
プロポーズの言葉も出す訳でもなく、平手打ちを食らっている兄弟の姿に、フロイドは購買部で今頃上の空だろうエミルを思い浮かべるのだった。


「調子いいっていうかさー本当だったらもう少しうまくやれたのにわざとじゃん」
「どうでもいい求婚に真剣になる意義もありませんから、あの花の効力を試しつつ処理できるのは好都合でしょう?」
「あは、ジェイドらしー。ハマシギちゃんにも花渡したりしたことあんの?」
「いえ、僕が貰いましたよ?」
「マジで。あ、ジェイドの部屋にあるテラリウムに入ってるアレかぁ」
「えぇ。……胸ポケットに花を挿すなんて正気ですかと言われましたが。……懐かしいですね」


彼女の店で購入したものとはいえ、あの時初めてエミルが見せた綻びを思い出して、ジェイドは微笑んだのだ。


180センチの高身長七人全員が張り手を受けて、高身長ではなくとも第二陣としてアズールやケイト、リリアにデュースも玉砕した中で帰って来たのは再び購買部前だった。
今夜の0時に結婚式を執り行い、イデアの魂が抜き取られてしまうという状況で学園長は焦っているが。
もう既に求婚を断られた挙句、助けるはずのイデアによる煽り文句で『これ以上の協力に非協力的になった面々』は顛末こそは見ようとするものの、既に他人事になってしまっていた。
それもそうだろう。元々この学園に集まるのは優秀が故に個人主義で、少々協調性には欠けた所が目立つ生徒が多いのだから。

学園長が必死に他の花婿候補を探して、深夜零時を迎えるまでに解決した後。
動けるようになったジェイドは自分の番が終わるまで足を踏み入れようとしなかったミステリーショップに、フロイドとアズールには後で合流する旨を伝えて足を運んだ。
本来ならばとっくにミステリーショップの営業時間は終わっている。しかし、今日ばかりは時間制限があった緊急事態故に、エミルは店を開けていたし、サムもまた一応出られるように部屋の奥で待機はしていた。
扉が開いた音に気付いたエミルは振り返ってその姿を捉えたと同時に目を開き、ジェイドを見た後にわざとらしく視線を逸らした。
「ヘイ、小鬼ちゃん!何をお探しだい?」というサムの問いかけに、ジェイドが慣れた様子で「本日はミスター・リズベットに用事がありまして」と告げると、サムはミステリーショップの奥へと引っ込んでいってしまう。

「さ、サムさん……!」

置いて行かないでくださいと言わんばかりの震えた声で彼を呼ぶが、エミルがサムの商売を邪魔しないように、サムはエミルの商売を邪魔しないのだ。
二人きりの状況になってしまった気まずさに、どうしようと思考が渦巻く。
盛大に全員フラれて張り手をされて帰って来たという会話は知っている。ジェイドも何故フラれたのはまでは知らないが、彼女に選ばれなかったのだ。
少し赤みのさした頬は、イザベラに勢いよく叩かれた痕だ。滅多に人から何らかの攻撃を受けないだろうジェイドに傷をつけるのは大したものだと感心するとともに、こっ酷くフラれたことを察する。

それだけでもほっとしてしまっている自分の独占欲の醜さを自覚しているからこそ、それを本人には出したくなかった。


「ふふ、聞きましたよ。ジェイド君ともあろう人が平手を食らったんですか!どうせ余計なことを言ったとか『まぁ嘘ですけど』位の失礼なことでも言ったんじゃないですか?」
「嘘ですとは言いませんでしたが、お近づきの印に処理に困っていた毒の花束を渡しました。人が手袋をせずに触るとかぶれるんですが、ゴーストにはあの毒は利かないみたいですね」
「なっ……それは流石にどうかと思いますよ!?ゴーストとは言っても女の子ですよね!?」


悪意の強過ぎる行動に、エミルは流石にそれはどうなのかと顔を顰める。
普段の行動や物腰の柔らかさだけは紳士的に見えるのに、素の性格は何処までも物騒だ。
もしもゴーストにも猛毒が効いて痕が残る位にかぶれてしまったりしたらどうするつもりなのかと呆れたように問いかけても、意味は無いのだろう。
何せジェイドにとって別にそのゴーストの女性はどうでもいい人なのだから。気遣う余地など無いのだろう。やはりそこが物騒さに繋がっているのだが。

「そんなことさえしなければ上手く行っていたかもしれないのに。……懐に入り込んでその気になれば人を不快にさせずに卒なく関係を構築出来るじゃないですか。素の悪意が強過ぎますよ」

少しだけ声を震わせているエミルの強がりに、ジェイドが気付かない訳が無かった。
彼女は理解している。人を純粋に喜ばせるの知識や対処法を誰よりも知っているからこそ可能性が最もあり、今回の作戦に選出されるべきだったことも。
もしかしたら愛の言葉を囁くまでに話が進み嘘でも「結婚してください」という言葉をその女性に囁く可能性が高かったということも。

理解しているからこそ、恋ゆえの嫉妬心を噛み砕いて呑み込もうとしている姿に、ジェイドは思わず口角が上がりそうになる。
可愛い嫉妬心。健気で純粋な恋心。

――既に僕の番は、貴方でしょう?貴方はあの言葉を冗談だと思っているかもしれませんが。


「エミルさん」


ジェイドが手を差し伸ばすと、それまで自分を納得させるための言葉を並べていたエミルは、諦めたように無言でジェイドの胸に頭を埋めた。
強がってみたけれど。これは作戦なのだから気にするに値しないことなのだと理解していたのだけれど。
大切なものを作ることを恐れて、ジェイドと付き合うまでは人とのプライベートな縁を薄くしていたからこそ、実感してしまう。

もう、切り離せないものなのだと。寂しい一人きりの雪の女王にはなれないのだと。

何時もよりも冷たく感じられる手を取って絡め取り、ジェイドは頭をそっと撫でた。


「……ジェイドが、選ばれなくてよかった」
「ふふ。もう既に、エミルさんを選んでいる身ですから」
「〜っ」


ゴーストの花嫁が聞かなかっただろう、愛の告白。
それは冷え切った自分の手と繋がれた自分よりも少し温かい体温と同じように、冷えた心をいともたやすく溶かしてしまうのだ。