氷菓童話
- ナノ -

cooking curiosity

ミステリーショップは、ある準備で朝からエミルもサムも慌ただしくなっていた。
サムは商品の仕入れに頭を悩ませ、その間に来店する客の対応はエミルが行う。
エミルも商人ではあるが、明確な目的のために物々交換を行っているために、学校行事に伴う仕入れを考えなければいけないサムのことを純粋に尊敬していた。


「育ち盛りの小鬼ちゃんたちがどれだけ食べるか分からないからね。エミル、明後日は忙しくなるけどよろしく頼むよ」
「えぇ、お任せ下さい、サムさん。マスターシェフの授業が行われるんですよね。このお店的には生徒の方が料理を失敗してくれればくれるほど売れるんですけどね」
「さすがはエミル、商売人の鑑だ!」
「あ、いや……失敗しろなんて思ってませんけどね?美味しい料理を食べられるのは羨ましいですし」


この学園で行われるマスターシェフの授業では、元々実習用に用意されている食材があるとはいえ、毎回生徒が買い足しにやって来る。何でも揃っているミステリーショップにとっては稼ぎ時だ。
学園関係者であればマスターシェフの審査員として、生徒が作った料理を食べることが出来るらしいが、売る方に専念していたエミルは一度も参加したことがない。

(前回のマスターシェフはどうやらトレイさんだったようですし、食べたかったな……ま、まぁトレイさんのように料理上手な人が授業に参加するのはなかなかないことですが)

基本的に料理を作れない、あるいは慣れていない人が基本的な調理方法を学ぶのがこの授業の目的だ。
そこまで考えた所で、エミルの中でふと一人の人物が浮かぶ。
彼も、モストロ・ラウンジというレストランのキッチンを任されるほどの料理の腕前なのだから、マスターシェフの授業に参加することもないのだろう。
マスターシェフの授業に参加する生徒が着ているようなコック服を着る機会も勿論ないことだけは惜しい気がしたが。
カランと店の扉が開く音が鳴って、思考にふけていたエミルは顔を上げて笑顔で客を出迎える。

「いらっしゃいま――」

そして、瞬時に顔が凍り付いた。
思い浮かべていたこのタイミングに、どうして来るのだろうと。


「こんにちは、エミルさん」
「こ、んにちは、ジェイド君。モストロ・ラウンジの買い出しですか?」
「いえ、エミルさんに直接伝えようと思ってミステリーショップまで足を運んだのですよ」
「?何をでしょう?」
「明後日のマスターシェフ、受講するので食材等の買い出しに僕が来るかもしれません」
「ジェイド君がマスターシェフを受けるんですか!?……正直、ジェイド君の腕前なら受講する意味って……」


マスターシェフはあくまでも、料理に慣れていない生徒が、基礎から学ぶ為の授業だ。
慣れない料理のレパートリーを増やしたいという意図はあるかもしれないけれど、ジェイドならレシピを検索すれば習わなくても作れそうな筈なのに。
そこである考えに至る。ジェイドは、何かの興味を抱かない限り、自主的に動くことが少ない筈だ。
そういう人だと、客と店主としての一年の付き合いと、パートナーとしての付き合いの期間を通して自分は知ったのだから。


「何か、企んでいません……?」
「……、いえ、なにも」


──あぁこれは絶対に何かを企んでいる顔だ。
何時もならジェイドが料理を作るのなら食べたいと思うし、ご馳走になることも多いのだが、あくまでもそれは安全な物に限る。
未知の山菜を取ってきました、と連絡が入った後はフロイドの勧めもあってジェイドの料理に警戒するようにもなった。
軽はずみにジェイドがマスターシェフに参加すると言った直後に「ジェイドの料理食べに行きたい」と言わなくてよかったと心底安堵して「お店で待ってますねー」と自分の身の安全を選ぶのだったが。
その判断が正解だったと、当日にモストロ・ラウンジの買い出しでやって来たフロイドの情報で痛感する。


「こ、今回のメンバーがリリアさんとジェイド……!?」
「そーそー、ジェイドが出るって聞いたからオレは審査員辞めたんだけど、知らなかったアズールが出んだよね」
「美食家のアズール君にそれは随分と酷な……リリアさんの料理の噂は私も知っていますが、シェフのゴーストの皆さんが幽霊なのに悪夢を見たと言っていましたよ」
「オレとしては面白そうだからそれでもいーけど。まぁ、もうジェイドのキノコ料理は食わねぇけどさぁ。ハマシギちゃんは審査員として出ねーんだ?」
「……、え、そのメンバー聞いたら遠慮以外ないじゃないですか。会場が犯行現場になってしまいますよね」
「えー、ジェイドの料理食いに行かねーの?」
「普通の料理でしたら食べたいですけど……サムさんと食材売り出しの準備をしなくてはいけないですし」


ミステリーショップのデリバリーサービスをサムの代わりに行っているのが自分だから、口実を使って遊びに行けるには行けるのだが。
今回のマスターシェフばかりは覗きに行くことで恐ろしい料理を味見させられないかと不安にもなる。
第一に、リリアは面倒見がいい。そして程ほどに交友関係もある。だからこそ、彼のことだから厚意で料理を振舞おうとする可能性がある。
第二に、ジェイドは付き合っているとはいえ。自分の好奇心でとんでもないことをしようとしてくる。身内だろうと、たとえ彼女であろうと。


「ジェイドなら来てくれたら喜ぶんじゃね?身の安全を考えれば一瞬だけにした方がいいけどさぁ」
「……なるほど、一瞬だけ顔を出す作戦」


薦められても食材を届けに来ただけなので、と言い訳をして逃げられるのなら。
それもいいかもしれないと、フロイドに流され始めるエミルは、頭を悩ませた末にサムに「少し席を外していいですか?」と声をかける。
なぜかは分からないが、先ほどマスターシェフの指導をしているゴーストからサム宛に『食材がすごい勢いでなくなっていって、ほかの生徒達が困ってるんだ』という泣きつくような連絡が入ったことは聞いていた。

(食材ってそんな勢いで無くなりますかね……あぁでも前回の多ければ多い程いい!ってカリムさんは全部使い切ったって言ってましたね)

今回もそうやって使い切った生徒が居たのだろうかと思案した所で、リリアが参加していることを思い出したエミルはふるりと体を震わせて料理で使用しているという食材一式を持って、ミステリーショップを後にする。
「私が変なもの食べさせられていたら、モストロ・ラウンジのご飯をご馳走してくださいね……」とフロイドに保険を掛ける様に懇願してから。

──大食堂で行われている審査と、調理。
エミルは籠を手に、そろそろと騒ぎの渦中となっている調理場へと足を運び、元々青白い顔のゴーストが更に顔を青くして混乱している状況に足が止まる。
これは、予想通りの惨状が繰り広げられていると。
その光景を果たして目の当たりにしていいのかと思いながらキッチンを除いたエミルを見つけて笑顔で出迎えたのは、輝かしい笑顔で迎えてくれる、今のゴーストにとっては死神のように映るだろう料理の破戒者だった。


「おお、エミル!まさかミステリーショップから届けに来てくれたのか。世話をかけるな」
「ど、どうもーリリアさんー。……随分と、楽しんで料理をしていらっしゃる、みたい、……ですね」
「食べてくれる相手を想いながら料理を考えるのは楽しいからな。エミルには何時も世話になってるからな!どうじゃ?わしの作った豆苗のガーリック炒め、食べて行かんか?」
「わーあ、りがとうございますリリアさんーでもさっき食べてきてしまった所でお腹いっぱいなんですよー」


今の会話の選択肢を一つでもミスしていたら、きっとそれでも食べさせられていたような気がして、冷や汗が止まらなくなる。
身体は氷のように冷たい筈なのに、だ。


「む、そうじゃったか。それは残念じゃな」
「ここは育ち盛りの一年生や、同じディアソムニア寮のシルバーさんとセベクさんに先輩の料理をご馳走してあげてください」


あんな色の豆苗炒めがあるだろうか。豆苗炒めが紫色だったり黄色だったり赤色だったりするだろうか。
後ろに見えたゴーストの怯え切った顔が目に焼き付いている。シルバーやセベクには申し訳なく思いながらも、今回のマスターシェフでは審査員の誰かがリリアの料理を被弾することになるのだから、気の毒で堪らない。
キッチンというよりも、これでは本当に事件現場だ。
そんな惨状になっている横のキッチンも明かりがついていて、一人の生徒がレシピを見ずに機嫌よく料理している背中が見えた。

「や、やっぱり、キノコが用意されてる……!」

コック服のジェイドよりも何よりも気になったのが、彼の手元に並ぶ、色鮮やかすぎるキノコだ。
一般のスーパーマーケットでは見かけないようなジェイドの用意したキノコを口にすればどうなるかなんて、想像しただけでも体が震える。
好きなものに対して全力であることは勿論いいことなのだけれど、彼の場合は悪意も好奇心に含まれてしまう。
エミルの声に気づいて振り返ったジェイドは、彼女の姿を確認して普通の青年らしく笑った。


「エミルさん!食材を届けに来てくださったんですか?」
「えぇ、そうなんですが……。……ジェイド、それ、山に登ってきた際に採った自前のキノコですよね」
「ふふ、来てくださって嬉しいです。最近はフロイドやアズールが食べてくださらないので、この機会にと思いまして」
「やっぱりそういう魂胆でしたか!?……す、すでに鍋にキノコのソースが用意されてる……」


食べたらどんな影響が出そうかも分からないキノコをふんだんに使用したソースに、審査員が気の毒で堪らなくなる。
多少料理でミスをしたらしいカリムはともかく、前回がトレイ、その前がリドルとシルバーだったマスターシェフの授業がどれだけ平和だったかと遠い目にもなるのだ。
エミルの中で即決する。
今日のジェイドの料理は絶対に口にしないと。
幾ら付き合っているとはいえ、自分の身の安全くらいは守りたい。


「エミルさんには僕が別途フルコースを用意しますよ」
「身体に異変を起こしそうなもの以外なら!大歓迎です!……切実に。今日ばかりはフロイド君の料理を食べに行きます」
「……、僕よりフロイドの料理を選ぶとは」
「どうしてそこで微妙に妬くんです!?これを目にして命を差し出せるほど無謀じゃないですからね!?」
「なるほど、普通のアレンジしない料理なら、エミルさんの部屋に行って振舞って、そのまま朝まで一緒に過ごしてもいいと」
「……えぇ、え?」


あまりにも流れる様に告げられた代わりの案を一瞬で飲み込むことが出来ずに、エミルは停止する。
普通の料理なら食べる。それは勿論だ。
しかし、その後になんて言っただろうか。部屋に行って、そのまま朝まで一緒に過ごす?


「なっ、なんでそうなるんです!?普通の料理は勿論食べたいですけど、頷きかけたじゃないですか!……モストロ・ラウンジで振舞って」
「おや、彼氏に対して厳しいですね。エミルさんの家に行くのは初めてではないというのに」
「……意識するから、嫌なんです」
「……」


エミルの回答を聞いたジェイドは手に持っていたおたまを置いて、腰を折り、エミルの耳元へと顔を近づける。
他の人が触らない彼女の氷のように冷たい手を取り、逃げられないようにして。
そしてこみ上げてくる愛情をささやくように、誘うのだ。


「今日、行きますね。意識させたいので。ウツボは通い婚ですから」
「っ……!?」


その言葉に、拒絶の言葉は出てこなかった。
繋がれた自分の手は冷たい筈なのに、熱を持ったように熱くなって。そして頷いてしまう。
結局、マスターシェフでの凶行を止められずに流されてしまうことに、エミルはジェイドに甘い自分を自覚して溜息を吐く。
もう、これ以上にない程に意識してるっていうのに、と。