氷菓童話
- ナノ -

農民の演算

ハッピービーンズデー。
それは2月に行われるナイトレイブンカレッジ式の伝統行事のことだ。
乱闘騒ぎになった過去を経て、体力育成の一環として全校生徒が寮・学年関係なしに農民と怪物のチームに分かれて行う異種試合スポーツ大会だった。
寮長と副寮長はバランスを考えて分けられることになっているらしい、というのはエミルも知っていたことだが。
正直、スポーツ大会自体には興味が無いというのが本音だった。

「スポーツ大会後は型落ちの魔法道具を交渉してもらえるのがいいんですけど、大会中ってあんまりやることないんですよね……」

大会中は客の出入りは圧倒的に減るし、大会後は多くの生徒が来るからこそ、エミルがミスター・リズベットとして商売を出来ない期間でもあるのだ。
暇そうにカウンターで溜息を吐くエミルに、サムは「まぁまぁエミル」と宥めた。


「すみませんサムさん。そう愚痴るつもりではなかったんですけど……アルバイトに徹しながらこういうイベントの空気を感じるのも好きですから」
「エミルも混ざりたい年頃じゃないかい?」
「えぇっ、ここのスポーツ大会は嫌ですよ。だって血の気が多いから隠れた所でルール無視の乱闘も多いじゃないですか」


名門のナイトレイブンカレッジだが、血の気が多い者が多く、乱闘騒ぎになったり力で解決することになることも多い。
非常に分かり易いが、生徒によっては不参加を決めたくなる者も出てくるわけだと納得した。
何せ珍しくも今日のミステリーショップは二人ではない。もう一人の職人が交換条件を元に滞在している。


「イデアさーん、お菓子いります?」
「まさか、拙者の好きな駄菓子ですか!?」


イデアの隠れ場所を提供する代わりに、イデア自作の強力なビーンズシューターを購買部に卸しているという話を知ったのは昨年、エミルが来たばかりのことだ。
外に出ることがそもそも好きではないイデアがスポーツ大会に進んで参加する訳もなく。こうして隠れ家で終了まで、待っているとというのがイデアの作戦だった。
補給物資もしくはサムの興味を引く珍しいものと交換という条件で、ビーンズシューターを提供しているのだ。


「エミル氏も商売したらどうでござる?」
「私の商品ってバレて、暫く営業停止ですなんて学園長に言われたら嫌じゃないですか。ルールには書いてないけど、一部の生徒に有利になるような営業はしないでくださいって言われかねないですし」
「はー、なるほど。学園内でブローカーが営業するって言うのも大変なんですなぁ」


エミルは扉を少しだけ開けて顔を出したイデアに駄菓子を差し入れながら、暇を持て余すように雑誌を眺める。
人見知りのイデアだが、彼がスミスとして度々ミステリーショップにこうして姿を現していることと、オルトを通じて頼まれた商品を届ける縁から、逃げられることは無かった。
ほどほどの距離感で、そこそこの関係が築けている。
大会が始まってから暫く経つが、未だにイデアのビーンズシューターを求めてくる生徒が居ない。
このまま大会終わりまで客が来ないなんてこともあるのだろうか――そんなことをぼんやりと考えていた所で、カランと扉が開く音が聞こえてくる。
反射的に顔を上げたエミルは、そこに居た客人に一瞬固まった。
農民チームのジャケットを着たジェイド・リーチがにこやかに微笑んでいたからだ。


「ジェ、ジェイド君、今単独行動中なんですね」
「えぇ、こんにちはエミルさん」


エミルにとって、恋人であるジェイド。彼の目的が十中八九イデアのシューターを求めて来たのだと察し付いた。
サム達が居る手前、その関係を気付かれるわけにはいかないと、ただのアルバイト店員という笑顔を張り付けてジェイドに挨拶をする。
ベレー帽に白を基調としたカラフルな豆のような斑点が可愛いジャケットに、黒いインナーシャツとベルトで締まって見える黒いズボン。
非常に、良く似合う。

(そんなこと零したら根掘り葉掘り、どこが格好いいのか説明させられかねませんし!)

一応他の客人が居る時は、ジェイドもエミルの立場を考えて、分かり易い態度はとらないことだけは救いだ。
欲しい物だけOut of stock。
そんなジェイドの言葉に反応したサムに、ジェイドは更にスミスの店を開くための合言葉を唱えていく。
カウンター奥の壁の前のガイコツの置物を倒すと、隠し扉がスライドして開き、そこに隠れていた農民チームのイデアがジェイドの姿に驚いているようだった。
スミスの正体も、店の在り処も教えていなかったというのに、自力で見つけてくるところがジェイドらしい。


「あれ、その氷柱キノコって、もしかしてジェイド君が育てたものですか?」
「えぇ、標高と温度が鍵を握る幻の食材なんて言われていますが、エミルさんの氷結の花がありましたから」
「なるほど……あれを使って、同じような環境を疑似的に作ったんですね。道理でいい物と交換して花と交換していくわけですね」


好きな物、好きなことに関しては出し惜しみをせず、極めようとする所がジェイドらしい。キノコの為というのは納得だった。
ジェイドが育てた氷柱キノコは、なかなか採れないツイステッドワンダーランド三大珍味と呼ばれている食材だ。
サムの在庫にない珍しい商品という条件を満たし、ジェイドが代わりにイデアから受け取ったのは長距離射撃用である見た目も豆らしいビーンズシューターだった。


「イデアさんのディティールにも拘る職人っぷり、流石ですね」
「おお、エミル氏分かる!?実用性を損なわないようにしながらも、遊び心を残して豆っぽくするのが拙者最大の拘り!」
「私としては何時もイデアさんの作る物のクオリティで、対価が控えめなのは気になりますけどね」
「流石は商人目線ですね、エミルさん」


ビーンズシューターを眺めながら満足気なジェイドだったが。彼の耳に届いた、購買部の外から聞こえてくる足音に、表情を変える。
忙しない足音――それが自分が聞きなれている人物のものであることに気付いたからだ。
イデアはすぐに扉を閉めて立てこもり、ジェイドはジャケットをおもむろに脱いで、店の荷物が幾つか詰まれて入り口から隠れられるような場所にかかしになりそうなラックに着させる。
そして張本人は何処に隠れるのかと思いながら眺めていると、彼は冷凍庫を指差した。


「ジェイド君、その中って……」
「言ったでしょう?僕ならこの位の冷たさも平気だと」


短時間とはいえ、冷凍庫に薄着で入って大丈夫な人間はいないだろう。しかし、ジェイドという人魚には関係ないのだ。
自分の手を、体温を。心地いいと言ってくれるように。
これ以上喋ると、サムやイデアの前でボロを出しそうだと思ったエミルは、少し熱くなった顔を仰ぎながら、サムと共に店の奥へと引っ込んだ。

店の奥から入り口を見ていると、扉を開けて購買部にやって来たのは、ジェイドが予想していた通りのアズール・アーシェングロット。そして、一年生で体力や運動神経が非常にいいジャック・ハウルだ。
サムとイデアに、アズールはジェイドがここに来た筈だと追及するが、本当に知らないイデアは首を横に振り、サムも顧客情報は売れないと断りを入れる。


「それならエミルさん。居るんでしょう?」
「はーい、何でしょうアズール君」
「いえ、貴方ならジェイドがどこに行ったのか、それとも何時来たのか、分かっている筈だと思いまして」


アズールの試すような質問に、エミルはにこりと微笑む。
確かに、ジェイドは恋人であるが。それ以前に、自分は一店主。ミスター・リズベットを名乗る商人なのだから。


「アズール君、購買部は中立地帯ですよ?それに、"店主のサムさんが答えられないと言っているのに、アルバイトの私"には答えられませんよー」
「……やれやれ。貴方は本当に食えない方ですね」
「?アズール、先輩。エミルさん困らせるのは良くないですよ」


エミルの店の条件は、不用意に顧客ではない別のお客様に店の情報を与えないこと。
イデアとジェイドは店の客だが、ジャックは違う。エミルはジャックが居る以上、アズールがここでミスター・リズベットへの質問が出来ないことを解っていたのだ。
今ではジェイドの縁もあってアズールやフロイドと話すことも多くなったが、プライベートを持ち込んで商人としての隙を見せる訳にはいかない。
それが、一年間アズールの言葉巧みな交渉もかわしてきた矜持なのだから。

エミルのその返事を、それぞれ隠れている場所で聞きながらイデアは「うわー高度な心理戦ー」と呟き、ジェイドは声に出さずとも満足げに微笑む。
ジェイドが仕込んだかかしを引っ張ったことで、ドリアンジュースの瓶が割れて、鼻が利かなくなったジャックに、アズールは良く知るオクタヴィネル寮副寮長の意地の悪い機転に溜息を吐いた。
彼らは諦めてミステリーショップを後にしたが、まさか冷凍庫の中に人が入っているとは予想もしないだろう。

流石は知略に長けたジェイドだろう。アズールも相当ではあるが、ジェイドが出し抜かれる所はあまり見たことが無かった。
店を出て行くジェイドはエミルを振り返り「ミスター・リズベットにご相談があるので、少し外でお願いします」と声をかける。
ミスター・リズベット、その名前を出されたら、エミルは応えないわけにはいかなかった。
外に出ると、ミステリーショップの周囲には流石にアズール達の姿もなく、他の生徒の姿も見えなかった。


「それにしても、流石でしたねエミルさん。アズールのかわし方、お見事です」
「ふふ、こう見えても商人ですから。けど、まさか冷凍庫にはいるなんて……」
「あの位は僕には心地よいですし、エミルさんの体温が心地いいって言ってたでしょう?」


ジェイドは、冷凍庫に暫く入ったことで冷え切った手を、エミルの手に重ねる。
北の深海育ちのジェイドにとって、マイナス10度の冷気が出続ける冷凍庫内の寒さは心地いいのだと言われた時に、どきりとしたのはばれているのだろう。
どちらが体温を奪っているか分からない位に、二人の手は冷たく凍り付いているようだったが、ジェイドのその言葉は、エミルの心を擽る。


「……頑張ったら、何かご褒美的なものを考えましょうか」
「!本当ですか」
「が、頑張ったらですけど」
「ふふ、それは俄然やる気が出ますね。興味のあることには、努力を惜しまないタチなので。寮長か副寮長クラスの生徒を仕留めましょうか」


上機嫌な様子で、ケイトのマジカメを見ながらメインストリートに向かって迂回するように購買部を離れていったジェイドの背中を見送るが。
エミルは自分が所謂"フラグ"というものを立てたことに気付かなかったのだ。
ジェイドの知略や策略は目を見張るものがあるし、長距離ビーンズシューターを持ってはいるが。
足を使っての純粋なスポーツ大会では、マジフト部のような鍛えている生徒の方が有利だろうと思っていたからだった。


――結果として、ハッピービーンズデーは怪物チームが勝利を収めたが。
最後の最後までジェイドが活躍したのだという話を本人からではなく、ケイトやユウに聞かされたエミルは、自分の発言を思い返して底知れぬ嫌な予感を覚えていた。
ご褒美、と気軽に言ってしまったけれど、その内容を全く考えていなかった。
本人が笑顔で、これ以上に無い上機嫌な様子でミステリーショップへと取り立て――もとい、請求しに来た時まで。
ミステリーショップの外、通りの裏側に出たエミルは目の前に迫って来るジェイドに、苦笑いを零す。


「エミルさん」
「今日はお疲れさま、ジェイド。いやー惜しかったですねージャック君の運動神経に負けましたね」
「えぇ、あとアズールの成績への執念は流石ですね。しかし――最後まで残り、アズールを足止め。そして、トレイさんを仕留めた。かなり活躍したと思うんですよね?」
「……えーっと……、新しい氷結の花を無料でどうでしょう?大盤振る舞いですよ!」
「それは正当な対価で交換するので結構です」


ばっさりと切り捨てられたエミルの表情は引きつったまま固まる。
かなり高価なものを提示してみたというのに、ジェイドにとってのご褒美には値しなかったらしい。
何せ、彼は興味のない事柄への反応が正直だ。
他に一体何を提示しようかと頭をフル回転させているエミルの姿に、ジェイドはくすりと笑って、鋭いその歯を見せる。
そしてくいっと顎を持ち上げると、ジェイドは腰を折り曲げて、エミルの唇に食らい付くように重ね合わせた。


「!?なっ、……!」
「統計的に、戦った後に高揚するというのは本当のようですね。さて、今日は"ご褒美に"僕の部屋に来て下さりますね?」


農民チームどころか、怪物にも負けず劣らずの捕食者のようだと頬を染めてエミルはか細い声で「嫌だって言っても聞かないじゃないですか」と呟く。
しかし、その手だけは、拒絶していない本音を示すようにジェイドの服の裾を握っていたことに、ジェイドはまた微笑むのだった。