氷菓童話
- ナノ -

深海を照らす願い星

星に願う祭り。
彼女が星に願うとしたら何なのか――そんなのは、勿論決まっているだろう。
"温かい体になりますように"
そういった類の願いに違いない。

本来ならば普通に学生をするはずの彼女が商人として自立して、そしてこの男子校を拠点にした理由はそれなのだから。


スターゲイザーに選ばれた三人の生徒――一年生のデュース・スペード、トレイ・クローバー、それからイデア・シュラウドと彼の弟であるオルト・シュラウドも兄をサポートするという名目で連日、舞の練習と星集めに勤しんでいた。
部屋から出てこようとしないイデアのタブレットをオルトが店に持ってきて買い物をしに来た際に、エミルは思わず「お疲れ様ですイデアさん」と憐れむように声をかけた。

エミルとイデアといえば、同じミステリーショップを間借りしている者同士だ。彼はイベント事の際にはスミスとして自作の商品を提供することでミステリーショップに身を隠させてもらっていたのだ。
その関係で、あまり交友関係が広くないと自負しているイデアはそれなりの距離を保ちつつ会話をしていた。


「ねぇ、エミルさんは願い星にお願いを込めないの?」
「えぇ、私はここの生徒ではありませんからね。しかし、毎度ながらフルネームを言わないでくれてありがとうございます、オルト君」
「エミルさんの名前をフルネームで言っちゃうとお店のことがバレちゃうって兄さんも言ってたからね」
「……エミル氏の店に客人が増えると、僕がミステリーショップの隠し部屋に隠れたい時とか困るし」


打算的な理由であっても、エミルにとってはその気遣いは匿名性を保持するためにはありがたい気遣いだった。
お互い利害の一致とまでは言わないが、お互いの場所を荒らさない人間という理解がそこにはあったのだ。


「オルト君たちは誰の願い星を集めたんですか?私がピンと来そうな方々で」
「えっとね、レオナ・キングスカラーさんとジェイド・リーチさんとフロイド・リーチさん辺りかなあ」
「……わぁ、そうだったんですか」


ジェイドの名前が上がった瞬間にエミルは笑顔を浮かべながらも複雑そうな心境に変わる。トレイとデュースがリーチ兄弟に声を掛けに行っていない所に作為を感じたからだ。


「今絶対濃いメンバーだって思ったでしょエミル氏。オルトだから集められた気がするけど、リーチ兄弟の家とかどうなってるんです?聞いてて拙者震えたんですけど」
「……、なんですか。その話は」
「あれ、エミル氏この話題に興味ある?濁されたんだけどあれ絶対ヤバいやつだわージェイド氏なんて特にお願い事も胡散臭かったし」
「……えっと。願い事なんて無さそうな彼がちなみに、どういった?」


ジェイドのお願いごと。大抵の事は自分ですぐに叶えられそうな所があるし、すぐに叶えられそうなこと自体に興味を持たなさそうなジェイドが一体何を望むのだろうか。
イデアがエミルに何でもない情報として教えたのは「フロイド氏とアズール氏のお願いが叶いますように」というジェイドのお願い事だった。


(……本当にどこまでもジェイドらしいですね)

ジェイドの言葉に、一番彼らしいお願いだと心の中で頷いた。
ジェイドが予想外のことをしてくれるからこそ面白いと思うフロイドとアズールのお願いが叶うまでの過程を見ることこそがジェイドにとっては予想外なことが起こりそうで楽しいのだろう。
彼らしいお願いで安心したと思うと同時に、少しの好奇心が湧く。私に対して何かあったりするのだろうか、と。特に願掛けするような事が無いなら無いで納得するけれど、あるのならば聞いてみたいのだ。

店を出たオルトを見送ったエミルはモストロ・ラウンジに行く予定を立てながら考える。

「……、ジェイドの実家が云々って話は……気にしないべきかな」

商売人でありブローカーである自分が人のことをとやかく言える立場ではないと思いつつも、少しだけ気になってしまったのだった。
イデアが言葉を濁したほどの事とは一体何だったのだろうかと。


――エミルの店の営業も終わり、エミルは閉店一時間前のモストロ・ラウンジへと足を運ぶ。
そのくらいの時間帯にもなれば人の姿は減っており、生徒達も「今バイトが終わったらしいエミルさんが少し遅れた夜ご飯を取りに来たのだろう」と認識する。
同じ給仕係のフロイドも、エミルが来たのはジェイドに何らかの用事があるのだろうかと悟り、ジェイドに目配せをする。
エミルが来たことに気付いたジェイドは、今の時間帯は誰も居ないカウンターテーブルにエミルを案内して、ドリンクなどが提供できるようにカウンターの中へと入った。


「夕食を取りに来た、だけではなく……もしかして僕に会いに来て下さったんですか、エミルさん」
「……もう、私のことなんてお見通しですか?」
「!」


想定外にエミルの素直な回答に、ジェイドは目を開く。
自分で聞いたはずではあるのだが、誤魔化すのが上手い彼女が包み隠さず本来のエミルという女性らしい本心を見せてくると、ぐっと心臓を鷲掴みにされた気分にもなる。
ジェイドはエミルに頼まれたドリンクと軽いフードをを準備しながら、エミルの話に耳を傾けた。
頼んでいない筈のエミルがよく頼むドリンクを準備して「僕からのご馳走です」と微笑むジェイドに、エミルは「そんなサービスいいんですか?」と肩を竦めながらも嬉しそうに表情を綻ばせた。
他の給仕が興味本位でジェイドとエミルの居るカウンターに近付かないのは、二人の関係を知っていなくとも、ジェイドやフロイドに好奇心で関わるべきではないとオクタヴィネル寮生は心得ているからだった。


「ジェイド君、私に対して何か特別なお願いごととかってあったりしますか?」
「……まさか、言ったら何でも叶えてくださるんですか?」
「そ、そこまでは言ってないじゃないですか!?ちょっとした興味本位で聞いてみたくて」


エミルがこんな質問をしてくるには理由がある。今行われている星祭り――スターゲイザーによる生徒達の願い星の件だろう。
ジェイドは思案する。エミルに改めて願掛けするようなことはあるだろうかと。番になって欲しい、というのは自ら現実にするつもりだからカウントしないとして、自分の手では彼女の意思を曲げられそうにないことと言えば。
これしかないとジェイドは確信する。


「貴方が黙って居なくならないように、ですかね」
「え……」
「ふふ、冗談ですよ。エミルさんのお店が繁盛しますようにと思ってます」


本気にしましたか、とでもいうような口調で訂正するジェイドの言葉に少しの違和感を覚えたエミルはグラスをゆっくりとカウンターテーブルにおいて、ぼんやりとゆらゆら揺れる真っ青な水面を眺める。

静かに揺れているその水面は男の表に出さない心情のようだった。
エミルがもしかしたら二週間の旅で体温を戻す方法を見付けて居なくなるかもしれないと危ぶんだ際に、彼女は卒業までは居るつもりだと言っていたけれど。
それでもやはり、つい願ってしまう位に、彼女の願い自体は強いのだ。


「……エミルさんのお願いって、何かありますか?」


今度はジェイドが問いかける番だった。
学園の生徒ではない彼女がスターゲイザーに願いを問われることは無いだろう。
誰もまだ聞いていない、エミルの星に願いたいようなお願いごと。フロイドのような欲しい物があるというお願いなのか、それとも。

二人の間に一瞬の沈黙が下りて、モストロ・ラウンジに流れているジャジーな音楽がやけに耳に入って来る。自分に都合のいい願いであれと望んでしまう傲慢さ。
そんなのは今に始まったことではないが。


「海の中に、少しでも行けるようになりたいです」
「……海に、ですか?」


温かい体になりたい、とは異なるニュアンスに、ジェイドはぱちぱちと瞬いた。
確かに今の身体のままでは単なる水の中で呼吸を出来るようにする薬を飲んだだけでは海水を凍らせてしまう。
つまりはやはり改善策を見付けたいということだろうかと思考を巡らせているジェイドに、エミルは視線を合わせて他の人には聞こえないような小さな声で、情愛を込めて答える。


「だって、ジェイドの故郷はそこじゃない。……心配しなくても、勝手に居なくならないから」


――お見通しだったということですか。
心の内の本心を捉えられるのはあまり無いことだったけれど、彼女にそんな感情を察されるのは悪い気分ではなかった。
人の目がなければ今すぐに手を引いていただろう。食器を片付けるふりをして彼女の手につうっとなぞるように触れて、熱い眼差しを向ける。


「エミルさんを何時か一度は深海に連れて行くためにも、その願いを僕に叶えさせてください」


結局、どれだけ"自分の願い"を考えても、自分の気に入った人の願いが叶うまでの過程と結果を自分の為に見たいのだ。
ただ――僕の為にもなるという意味は、フロイドやアズールに感じるものとエミルさんの場合は少しだけ性質が異なることを自覚して、熱い吐息を吐く。
それこそがきっと恋というものなのだろう。