木漏れ日の紫陽花
- ナノ -

01

ヒスイという地は、この世界においてはもう何百年も前の時代になる。
それを知るのは未来の人々であり、ヒスイに今も住まう人達はヒスイがシンオウという名前に代わり、ディアルガとパルキナ等の神々と呼ばれるポケモンが伝承として多くの人の中では風化しているものであることも知る由はない。

しかし、青天の霹靂とは人の都合など関係なく、無情に起きる。
それはショウやノボリがヒスイの地にアルセウスに導かれてやって来たように。
――空が裂けて、異なる時間軸を結びつけるのだ。


光が差し込み、眩い光に目を閉じていたルネは瞼を持ち上げて息を呑んだ。
何時眩しい光を浴びたのかという記憶はなかったが、咄嗟に目を開けなければいけないという意識だけはあったのだ。

「えっ……」

ヒスイの、何時も居るコトブキムラやコンゴウ団の集落のような見慣れた地ではなかった。
コトブキムラのギンガ団本部のような技術が使われた家々が溢れている。
空を見上げると青と緑だけではなく、高い建物が数多く視界に入る見慣れない狭い空だ。
見たこともない景色に夢だろうかと瞬くが、隣には相棒のゾロアークも居て、そして婚姻を結んだばかりのセキも居る。
そして、セキだけではなくなぜかシンジュ団の集落に居るはずのカイまで居たことにルネは再び瞬く。

――私は、夢を見ているんだろうか。

自分の頬をつねりそうになったが、先にそれをしていたのは隣に居たセキだった。

「さっきまでコンゴウ団の集落に居たってのにどうなってんだ!?ルネと……何故かカイは居るようだが」
「それはこっちのセリフだ!私もシンジュ団の集落に居たんだが……どうしてルネはともかくセキが居るんだ!?それに見慣れない場所で、どうなっているんだ」
「私はセキさんと一緒に居たんじゃなくて、確かコトブキムラに居たと思うんだけど……あれ、そうだったっけ……覚えてる?ゾロアーク」

ゾロアークに問いかけると彼は首を振り、同じようにセキのリーフィアにも確認をしているようだが、やはり直前まで何をしているかという記憶が全員曖昧になっていた。
多分直前にそれをしていたような気がする、という認識に留まり、何時どうやってこの場所にやって来て今こうして立っているのかが不明だった。

「私たち以外には居ないんですね。……ヨネにツバキ、ワサビちゃんも大丈夫かな」
「ルネがはぐれなくて良かったが……カイは知り合いと来た記憶はないのか」
「そもそもシンジュ団集落を出た記憶がないんだ。直前に何をしていたか……だめだ、思い出せない」
「人が居る所とかに向かって情報収集してみるか……しかしここから見える景色、どう見てもオレ達の技術の範疇を越えてる」

ディアルガ様の与える試練で未来に飛ばされたのではないかと思案しながら、セキは異常事態の中でも一緒に育ってきたリーフィアや、婚姻を結んだばかりのルネが居たことにだけは安堵していた。
人が向かっている通りを辿っていくと、建物が密集している街が姿を現したが、やはりそれはヒスイの技術の範疇を越えていた。

「セキさん、ここって……ほ、本当にこれ同じ村と思えないね……!?」
「街並みがコトブキムラ……いやそれ以上に進化してやがる。ってことは、こりゃあ未来の世界に来ちまったってことだろ。ディアルガ様の試練だろうな」
「はあ!?これはパルキアさまの試練に決まっているだろう。違う空間……ヒスイから遠く離れた違う場所に私たちがやって来たんだ」
「んなわけねえだろう。未来の世界に決まってる」
「分からず屋だな……ってまさかルネまでセキの言うことを信じてるのか!?」
「えっと……私も、ディアルガ様が未来に連れてきたのかなって思ってたんだけど」

ほぼ無条件にセキに味方をしてしまうのがルネでもあるが、コトブキムラの人々やシンジュ団の人とも上手く付き合っているものの元々コンゴウ団に所属している身だ。
時間を司るディアルガ様による試練だろうと信じるルネに対して、カイは渋い顔をして「ルネはセキに甘過ぎだ」と呟く。

この時間の試練と空間の試練のどっちなのかという論争で『パシオ』という島の街の広場で騒ぎを起こし、ショウとテルによく似たヒカリとコウキによってヒスイ地方とは現代において大昔の地名であることを知る。
──ショウがやって来た時も、空から降って来たと言っていたことを考えると、この未来の世界とヒスイの世界は何らかの繋がりがあるのだろうと推測できたし、小さな次元の裂け目が残っている以上、三人は今すぐ帰ろうという判断をしなかった。


突然無一文の状況で連れて来られたセキとルネだったが、大昔から来たという状況を知られて、パシオで寝泊まりする為の環境をこの人工島パシオのオーナーであるライアーによって整えてもらったことで生活をし始めた。
ライアーの判断にも、そして彼に掛け合ってくれたヒカリとコウキにも感謝してもしきれなかった。

現代ではリビングと称されることが多い居間の環境で座布団ではなく、椅子に座って緑茶を入れたルネは窓から見える景色に浅い溜息を吐く。

「でも、私達みたいにヨネ達が本当に来たらどうしよう。会えるの自体は嬉しいけど、私達みたいに帰れるかどうかっていう不安な状況に皆もなるってことだし……」
「そういう仲間を路頭に迷わせない為にもオレ達が基盤を作らなくちゃな。だが、改めて思うが、今回ルネが一緒に来てくれて良かったぜ」


緑茶の入った湯呑を机に置いて、セキはルネの手を取る。
そこで漸くはっとしたルネは今回の試練がもしも片方だけだったら、という想像をして青ざめる。
ルネの生き方は、自分自身というよりもセキの存在によって引っ張られているものだ。彼が居るのが当たり前であり、セキが居ない場合を想定して生きていない。
もしも自分が置いて行かれて何年も何年も、セキがここから帰ってこないことになったら。

――あぁ、私は抜け殻のように。
水を得られないまま枯れて朽ちる紫陽花の花のようになっていたかもしれない。

「あ……真っ先にセキさんとカイちゃん見付けてそんなこと考えてなかったけど、もしセキさんだけがここに来てたら私、セキさんが帰ってくるまで会えなかったってこと……?」
「ディアルガ様の試練自体は喜んで受けるが、ルネと会えなくなるのだけは勘弁だぜ。だからこそ、気を利かせて夫婦で連れて来てくれたのかもしれねぇけどな!」

夫婦という言葉にまだ慣れきっていないルネは照れくさそうに耳に着けたピアスを弄りながら「……そうですね」と同意を示した。
昔から一緒に育って来たヨネやツバキが居ないことも戸惑いがあるが、ルネにとってセキとゾロアークが居ないという状況だけは自分がどのように取り乱していたか想像がつかなかった。

「セキさんもリーフィアも、ゾロアークも居てくれて本当に良かった。私、それならどこでもきっと大丈夫だから」

ルネの言葉に、セキは満面の笑みを浮かべて「どこだろうとルネのことを幸せにするからな!」と答えたが。
──もし、ルネだけがこの世界に来ていて、自分がヒスイの地に残されていたらどう感じていただろうかと薄暗い感情が奥底で靄となっているのを飲み込んでいた。
無いとは思うが、ルネがこの未来の世界でオレにもう会うことが出来ないと嘆いて脆くなった心に漬け込むように見知らぬ男が隣に来ようとしていたら。
あぁ、最悪だ。オレが守ることも見ることも出来ない場所で、ルネに誰かが好意を抱くことも、掬われるのも御免だ。
そんな縛る感情をルネには、見せる訳にはいかない。

「あぁそうだ。スマホロトムってのを受け取っただろ?離れててもルネに話が出来るらしいからな。オレが居ない時に困ったことがあったらこれでオレを呼んでくれよ?」
「ヒカリちゃん達に見せてもらったけど使いこなせるかなあ……この箱が光って文字を出して、話も出来るなんて不思議だね。家で何回か練習しないと使いこなせなさそう……」
「はは、後で練習するか。顔を見て話したい気持ちはあるが、直ぐに会いに行かなくても話せるって時短の技術は本当に未来の世界はすごいな。話すんじゃなくて手紙のやり取りもこれですぐ届くらしいしな」
「何だか本当に便利過ぎて吃驚しちゃう……料理もこれ捻るだけで火が出て出来るし、このレンジっていうのだけで出来るみたいだし」
「それはそれで味気なさはあるが……この未来の調理器具での料理に興味はあるから今日の夜ご飯はオレに任せてくれよ」

火を炊いて料理をするのではなく、コンロで火をつけられるという現代においては当たり前なキッチンを利用するのも二人にとっては初めてのことだ。
新しい場所に来てから初めての料理を夫に任せるのは妻として気が引けると焦って立ち上がる。

「わ、私もやりますから!新しい機械というものでやってみましょう」
「じゃあ夫婦共同でやるか!」
「せ、セキさんずるい……」

新しい場所で生きていく二人の新しい生活は、始まっていくのだ。

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