カタリナ
- ナノ -

04 虹に恋するゆびさき

「まさかここまでこじれる事になるとはね……」

「……すまない」


小声で呟くように謝ったアッバスに、ワジは対して気にしている風でもなく別にいいよ、と返して考え込むように口元に手を当てる。しかし、言葉とは裏腹にその顔には笑みさえ浮かんでいたから相変わらずだとアッバスは心の中で溜息を付いた。

教会内にあるワジの部屋は、あくまでも教会と言うだけあってクロスベルの時ほどではないけれど他の人と比較すると随分と洒落た部屋だ。とはいえ、帰って来る事の方が珍しい部屋は生活臭がしないのだが。
ログチェアの傍に設置されたサイドテーブルに置かれていたのはアリシアが先程持ってきたクリアケースだった。中身が見えないケースだったら良かったのかもしれないけどこれもまた貰い物だし、何より珍しい姿が見れたから結果としてはいいか。


「じゃあそれの後始末任せたよ」


ワジはそのクリアケースを手に取ると、アッバスに預けて部屋を出て行ってしまった。だからこれをどうしろと。そんな事を聞かずともワジの言いたい事が分かっているのか、アッバスはサングラスを掛け直しながら部屋を出て行く。
普段無駄な事を極力言わないアッバスだが、今回自分の配慮の足りない発言が原因になっている事を重々分かっていたから反省をしていた。

……贅沢したとしても三か月分の奴らの食費位にはなるか。この状況さえも楽しんでいる様子のワジならばどうにかするだろう。


一方アリシアはというと、膨大な量の書類保管庫に居座って各地の情報を頭に叩き込むように読みふけていた。別に仕事だから、という訳でもなくただ個人的な理由の為だけに行っていて、八つ当たりにも近かった。平常心を保とうと仕事頭に無理矢理しようとするのに、苛々は一向に収まらない。

――あぁもう、何でこんなに苛々が収まらないのか訳が分からない。ワジのこれまでの言動を思い返せば別に不思議な事でも珍しい事でもないじゃない。

既に私の手は完全に止まっていた。私が勝手に気付いてしまい、勝手に苛々しているのが悪いなんて分かっているけど。
事の発端はアッバスがメルカバ内のキャビン横の整備室で作業している所に行ってしまった事だった。本人からは適当な報告しか聞けないから、最近のヴァルドについてアッバスに聞こうと思っていた。


「こんな所で作業中なんて珍しいわね。部品とクォーツの管理?相変わらず働き者というか……」

「アリシアか……勿論それもある。任せるばかりでは把握しきれないのでな」


メルカバの調整や備品の管理は主に師団の従騎士に全て任せられている。アッバスはワジの補佐とはいえ正騎士だからそういった作業はせずともいいのに、積極的に買って出る傾向がある。無口に淡々と作業をこなしているから"積極的"とは評し辛い所もあるけど。まぁ、私も割と人の事を言えないか。
作業台に乗っているのはメルカバ内に貯蓄されているクォーツの数々、そしてそれとはまた違うクリアケースが目に入って首を傾げた。中に入っている装飾品が綺麗に並べられている。


「それは何?クォーツじゃなくて宝石、みたいだけど」

「これはワジの私物だ。全て貰い物ではあるが、そろそろ引き取らせなければならないな」


アッバスの言葉にぴくり、と眉を潜めた。

――つまりこれが一体何であるのか、その言葉で瞬時に理解してしまったから。
ワジの女性の扱いの上手さは十二分に理解している。むしろそれを武器にクロスベルで情報収集していたから。ホストではそれなりに人気があったみたいで、しょっちゅうプレゼントしてもらっていた訳だし。
自分からは歩み寄らない癖に、そのどこまでも飄々とした態度がマダム達の背徳感を擽らせるのか、貢がせ上手だ。だから色んな高級品を貰っているのは理解してるんだけど。何故か面白くなかった。
羨ましいって訳でもない。呆れてる……若干それもあるけどまたそれとは違う感情だと思う。じゃあ一体なに。


「……アッバス、これ、私がワジに返してくるわ」

「しかし、」

「別にこの後用事無いし任せてもらって構わないわよ?そういう気分だし」

「……承知した」


アリシアの柔らかく笑っているようで内心全く笑っていない表情にアッバスは何を思ったか、頷いただけだった。

高級なアクセサリーの揃ったクリアケースを手に持ち、ワジの部屋へ向かうアリシアの足音の間隔は短かった。誰がどう見てもアリシアは不機嫌そのものだというのに、本人に自覚は無かった。
ワジの部屋の前で立ち止まり、大きく息を吸ってから扉を叩いた。


「アリシア?……何かあった?」

「アッバスの代わりに、ワジに届けに来ただけ」


扉を開けて入って来たアリシアの表情を見た瞬間に機嫌のいい物ではないと気付いたワジはその理由を尋ねようとしたのだが、歩み寄ってきたアリシアが自分に差出した物に僅かに顔を歪めた。
……アッバスに押し付けて管理を任せてたけどまさかアリシアに見付かるとは。どうもこの様子だとご立腹みたいだし。商売の延長だったとはいえ、他の女性から貰った物があったら嫌がるか。


「流石はホストしてた位だからそういう高価な物も貰ってても当然よね。まったく、どうしてそう貢がせるのか」

「……はぁ、怒ってるでしょ、アリシア」

「別に怒ってないから。何でワジの交遊に私が一々口出ししないといけないの」


つんけんした口調で一息で言い切ると、それをワジに押し付けてアリシアは踵を返して部屋を出て行ってしまった。
言ってる事と内心がまるで矛盾しているアリシアに、こんな状況だというのにワジはくすりと笑みを零した。


アッバスにクリアケースを押し付けた後、ワジは書類保管庫に足を運んでいた。アリシアの性格的に、感情が乱れると無心になろうと仕事に打ち込む癖がある。そうなると可能性としては総長の所か、図書館か、メルカバ(アッバスと鉢合わせた場所らしいから無いだろうけど)、あとは書類保管庫だ。
中に入り奥の方の本棚を覗くと、本を片手に物憂げに溜め息を吐いているアリシアが居た。その視線は本に注がれていないし、手も止まっていて、心ここに在らずと言った様子だ。
足音に気付いたのか、アリシアはばっと顔を上げ、ワジを捉えるなり警戒心を強める。まるで猫の威嚇みたいだなぁ、と面白がりながらも近づいて行くと、あからさまに距離を取られた。


「やれやれ、随分と嫌われたものだね。まあ僕が悪いのは分かってるけどさ」

「……何のこと」

「まったく、素直に嫌だったって言えばいいのに。僕としてはそういうの、大歓迎だけどね」


素早く距離を詰めて手を取ると、冷たい視線が一瞬だけ向けられて、ふいと逸らされる。アリシアの手を振りほどこうとする力が案外強くて、割と本気で嫌がられた。

――怒っているからこその突っぱねるような態度なのか。それとも。
多分、アリシアは自分がどうして不機嫌なのか分かっていない。僕に不満があるのにそういう経験をするのが初めてだからどうしたらいいか分からなくなっている状態だろう。
一緒に居るようになってから半年経つけどこうなるのは初めてだし。


「非があるのは勿論僕だけど、そもそもアリシアは今どうして苛々してるか分かってる?」

「……、知ら、ない」

「だと思ったよ、むしろ僕以外にそんな態度取ってたら困るからね」

「何その偉そうな言い方…!大体ワジが――」


ワジが、一体何をした?続きが見付からなくて、言葉が喉奥で霧散する。
訳の分からない感情に翻弄されている自分にうなだれていると、腕を取っていたワジの手がアリシアの手を取った。


「嫉妬、――意味は知ってるけど経験するのは初めてみたいだね?」

「え……」


予想外の言葉だったのか一瞬時が止まったように固まり、そして目を丸くしてワジを見上げ、間が空いてから漸く自覚したのか顔に熱が集まる。
その意味を知らないほど無知ではなかった。他人の嫉妬心は直ぐ認識出来るのに、自分がそれを抱いたのは初めてで。
そっか、妬いてたから苛々して、ワジに当たってしまってたのか。……気付いたは気付いたで恥ずかしい。


「フフ、やっとそこまで意識してくれるようになったって訳だ。予想以上に長かったな……」

「し、仕方ないじゃない。初めてなんだから……何か今凄く複雑な気分」

「個人的にはもっと妬いてくれる機会が増えると嬉しいよ。弁解はしておくけど、確かに貰った物だけど一つも思い入れは無いよ。今頃アッバスが食費にしてるんじゃない?」

「それはそれで最低ね……」

「でも、悪い気分じゃないでしょ?」

「……私、自分で思ってるより嫌な人間かも」


ワジの確信を持った問い掛けに、アリシアは溜め息を吐きながらぽつりと呟いた。自分に呆れるように困った表情で笑っていた。こんなの傲慢だとは分かっているけど。


「聞いて、安心した」

「……それなら大歓迎だよ」


下らない張り合いだけど、僕がアリシアに初めて教えらる事があると思うと嬉しさと、それからケビン達に対して少しばかりの優越感を覚えるのは確かだ。
名実共にアリシアにとって初めての男、なんて言うと聞こえは良いね。ふと笑みを零して、アリシアを抱き締めると今度は抵抗することなく少し首を動かして見上げてきた。


「ワジ?」

「ここが教会じゃなかったら今すぐにでもデート、といきたい所だけどね。お楽しみはまだお預けしようと思うよ」

「……遊んでないでちゃんと仕事してよ」

「フフ、そんな事滅多に言わないくせにね」


外出の口実に、総長に幾つか仕事を分けてもらおうかな。ヴァルドの訓練はアッバスに任せて二人で行くのもいいかもしれないね。……総長には嗜められそうだけど。

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