18 あまくとろけた親指で攫って
※「truth」の時間軸です
「へぇ、オスカーからの依頼?」
「しかも今回は食材調達とかじゃないみたいだけど……手伝い?」
今日追加されていた一つの依頼は、特務支援課がよく知る人からのものだった。ロイドの幼馴染でガレージから直ぐ行けるパン屋で働いている青年だった。以前も新しいパンを作る為の食材調達を頼まれたけれど、今回はそれではなく『手伝って欲しい』と詳細を欠いたざっくりとした内容だった。オスカーらしいといえばオスカーらしいのだが、もう少し内容を書いてほしい、とロイドは頭を抱える。
「あいつらしいけどさ……でも何だろうな。また妙な依頼じゃなきゃいいんだけど」
「でも今日は他に依頼もありませんし、この間みたいな食材調達でも大丈夫ですよ」
それに店の何かの手伝いともなると特務支援課全員で行動する必要が無い。そうなると今日は取り合えず半数は事務仕事になり効率がいい。……そうだとこの時は全員思っていたのだが。オスカーが働いている《モルジュ》に向かい、オスカーの話を聞いて驚くことになったのは仕方がないだろう。
レジで何時もの朗らかな笑みを浮かべているオスカーとは対照的に、ロイドは相変わらずどこまでも抜けているというかマイペースなオスカーに頭を抱えて溜息を吐いていた。
「いや今日はセールでお客さん多いし人手が足りないから、誰かにウェイトレス頼みたくてさ。ベネットだけじゃ回しきれないしな〜」
「またそんなこと言うとベネット怒るぞ……というか依頼の内容が『手伝い』ってざっくり過ぎて伝わらないよ」
「そうか?いやーロイドなら大丈夫かと思ってさ!」
「……相変わらずだな……でもウェイトレス?って、女子ってことだよな」
「え、」
「そうそう、店長が女性が売る方が売り上げが増す筈、って言うもんだからさ〜」
何なんだその根拠も無さそうな理由は、とも思うが、ベーカリーカフェの雰囲気としては実際この特務支援課のメンバーの中では女性陣が合うだろう。ワジはやはりトリニティのバーのイメージが強く、ランディもまたバーで働いていそうな雰囲気と体格で、ロイドは西通りに住んでいた事もあって一時的な手伝いとはいえ顔見知りが多く、気まずさもあるだろう。
そうなるとやはり女性陣の中からだろうとロイドはちらりと四人を見るのだが、誰がやっても、というような様子だ。
「あ、でもアリシアがいいんじゃないか?」
「え、私?またどうして」
「あぁ、確かにな。お前、よく個人的にココに来るんだろ?それにうちの食べ物担当っつったら他に誰が居るよ?」
「なにそれ……そんなにそのイメージ定着してる?何か嬉しくないんだけど」
不満を口にするけれど、そう言われるような行動をしている自覚はあるのか否定はしない。ここのパンに詳しいのもまた一つの理由だけれど、彼女は日頃の言動や落ち着いた対応的にも接客に向いている。まぁ、自由気ままでマイペースな一面を除けば、だが、頼まれた事は的確にかつ迅速に行うようなタイプだから安心出来るだろう。
「おぉ、助かるぜー!それに、手伝い終わったらパンを何個か持っていっていいし」
「っ、それ本当?」
「目の色変わりましたね、アリシアさん……」
「勿論だって!それじゃあ着替え渡すから裏で――」
「着替えって何だい?てっきりエプロン付けるだけだと思ってたけどここって制服があったのかい?」
「俺も知らないな。もしかしてオスカーみたいなコックコートか?」
「何いってるんだロイド?ウェイトレス用の服に決まってるじゃんか」
明るい声でさらりと言われた言葉に全員がぴしりと固まった。不吉なその響きにアリシアは眉を潜めて頬を引き攣らせるが、対照的にランディはわざとらしく輝くような笑みを浮かべて詳しい話を聞こうとオスカーに食いつく。そんなランディに対して女性陣は冷ややかな視線を送り、アリシアは感情の篭ってない笑みを浮かべながらランディの足を踏んでいる。
「いって!仕方ないだろ……男の究極萌え衣装、メイド服かどうか気になるだろう!?なぁロイド!」
「萌ってなんだよ……うーん、確かにアリシアって仕事着以外着てる印象無いから気にはなるけど」
「アハハ、皆の期待に応える為にも早く着替えてきてもらわないとね。フフ、楽しみだなぁ」
「ワジは黙って……!というか誰か私と代わって、」
「行ってらっしゃいアリシアさん」
「えぇ、私もちょっと遠慮するわ」
「あたしも向かないので今回は……」
あまりに早過ぎる三人の答えにアリシアはまるで生贄にされている気分だと頭を抱えて深い深い溜息をついた。店長の言葉を真に受けてさも当然のように言っているオスカーもこういう状況になるとそのずれてる所がたちが悪いというか。
半ば諦め気味に、渋々カウンター奥の部屋に入ったのだが、用意されている服を手に取った瞬間にアリシアは固まり、気が遠くなるような思いがした。
――今日一日、乗り切れる気が全くしない。
「アリシア、もう着替え終わったかしら?開けるわ――えっ、アリシア?」
待つ事十分、もう着替え終わっているだろうかとエリィが奥の部屋の扉を開けようとしたのだけど、中から強く扉を引っ張られていて開かない事に驚いたエリィは困ったように後ろを振り返る。その様子を見て直ぐに状況が分かったのか、ランディは扉に近付いて、僕はその後ろを付いて行きながら笑みを浮かべる。この状況自体を楽しんでいるし、アリシアが出て来た瞬間一体どんな反応をするのかも見たいしね。
ただ本人は相当見せたくないのか扉の向こう側から何時も以上に抑揚のない冷静な声で淡々と業務連絡だけを口にする。
「取り合えず、今日は私が全部やっておくから全員ビルで、大人しく、書類整備やって。終わり次第帰るから」
「なんか必死ね……」
「はいはい言い訳は分かったから、んなこと言ってないで開けるぞー!」
ランディの力には勝てなかったのか勢いのまま開いた扉の先に居たアリシアを視界に捉えた瞬間、流石に目を丸くした。
屋敷に使えているメイドやホテルで働いている従業員もメイド服を着用しているが、足元まであるロングドレスが一般的だ。初めはそっちを想像していたけど、どうやらここの店長はいい趣味をしているみたいだ。
丈の短い膝上までのメイド服姿を仲間に余程晒したくなかったのか頭を抑えている。容姿だけならこれ以上にない位似合ってるんだけど、如何せん本人の気持ちが付いて行っていない。恥ずかしがって嫌がるメイド、っていうのもなかなかそそられるけどさ。
思わず後ずさりしたランディなんて肩を震わせて目を開いてる。それを言うとロイドも黙っておきながら凝視してるしだらしない顔をしてるとかティオに怒られてるけど。
「やぁ、アリシア。ふぅん、似合ってるじゃない。このまま一緒に何処かに行きたくなるね」
「自分に関係ないからって楽しんでるでしょうが。……ランディ、何でそんな凝視してるの。だらしない顔どうにかして、気持ち悪い」
「うおお、男の夢ってこれのことか…!清楚系のメイドとは違って見えそうで見えないミニスカートに絶対領域で男心を擽った挙句のツン…いやクーデレ…!いやぁ、いいもん見れたぜ……」
「エリィ、さっさとこれ連れてってくれる?」
笑顔でランディを親指で雑に指差して不機嫌なのか何時も以上に毒舌なアリシアの目は全く笑ってない。エリィもランディの熱意に呆れたのか背中を押してレジの外へ出て行く。まぁ、ランディの言いたい事も分からなくはないけど、あんなに厭らしい目で見てる、っていうのもまた微妙な気分だ。
本人も気まずいだろうし全員で店に居るのも邪魔になるからアリシアの言う通りビルに一回戻ろうと提案するロイドに安心したような顔をしたのを見逃さなかった。恥ずかしいから見られたくないって言う気持ちは大いに分かるけど、その格好で知らない客達の前に出るって本人は分かってるのかな。
「じゃあ俺達は先に……」
「僕はアリシアの仕事が終わるまでひとつテーブルを借りて待機してようかな」
「な、何言ってんのよ。いいから大人しくワジも帰って」
「やだなぁ、一応見張り役だよ。それに例え一人でやる事でも警察はツーマンセルが基本じゃない?僕が居ると客寄せにもなるだろうしね」
「何だか凄くそれっぽいこと言ってるように聞こえるけどワジ君が言ってるとどこか胡散臭いというか……」
「確かにある意味ワジさんは女性をターゲットにした客寄せにはなりそうですけど……」
露骨に嫌そうな顔をするアリシアも、それらしい建前をいけしゃあしゃあと並べる僕に何を言っても無駄だと感じ取ったのか溜息を吐いてる。下心があるのかどうか分からない態度、それが僕の売りのひとつみたいなものだからランディとかロイドがその役を名乗り出るよりも反感は来ないから我ながら得だよね。僕にも煩悩ってものがちゃんと存在するのにね。
「じゃあ、アリシアのバックアップはワジに任せるけど、脱線するなよ?」
「くそ、羨ましいやつめ……!」
「フフ、それじゃあ手伝い頑張るとしようか、アリシア」
「気分としては最悪よもう……」
――まぁ僕もアリシアとは違った事で少し忙しくなるだろうけどね。
フェアで盛況しているだけあって、ベーカリーカフェ《モルジュ》は多くの客で賑わっていた。外のテラスでお茶を飲みながらパンを食べている人に、外でテイクアウト用のパンを売っているベネットに、ポットを持って各テーブルを周って紅茶を要れているメイド服を着たアリシア。そして一番奥のテーブルには優雅に紅茶を口にするワジが座っていた。似合うといえば似合うのだが、やはり居心地が悪いとアリシアとしては内心落ち着かなかった。
けれど、そんな感情を顔に出す事もなく礼儀正しく初めてやったとは思えない接客対応でティーカップに紅茶を注いでいく。屋敷に仕えるメイドを知っていたアリシアだからこそ自然と覚えていて、普段の態度はともかくいざ仕事をするとなると無駄がない位に出来る、というのがアリシアだ。ワジもまたアリシアが時々自分に視線を向けては居心地悪そうにしている姿を楽しんで見ていたのだが。
「紅茶のお替りは如何ですか?」
「えっ、あ……お願いします」
「それじゃあ俺も」
「ふふ、新作のパンもそちらで販売しておりますので宜しかったら見て行って下さいね」
「勿論!ところでお姉さんはここで働いてるんですか?」
「え?いえ、今日は臨時で。でもここのパン凄く美味しいですよね」
――まったく、あぁいう無心な所が男心を擽るって自覚無いものだから困ったよね。
自分が今青年二人の目にどう映っているかなんて考えもしないで表面的な態度だけは勘違いさせる位に友好的だ。
本人はパンの話だから楽しいんだろうけど、青年の目線はアリシアの胸元や足に行っている。その体系で丈の短いメイド服なんてそりゃあ、そそられるものだけどさ。
「お姉さん、このバイトが終わったらどこか遊びに行かない?綺麗だし可愛いし」
「是非お近付きになりたいな」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど生憎そういうのには慣れてないので遠慮します」
「なに、誰か彼氏でもいるの?」
(ちょっとマズイかな……)
ポットを持っているアリシアの手に重ねるように手を伸ばそうとしているのが見えて、流石に僕も黙ってアリシアを見守るだけにもいかなくなった。さりげなくアリシアは手を引いて避け、冷静に柔らかい笑みを浮かべながらあまり波風立てないようナンパを断っているけれど、知っている人間からしたら明らかにめんどくさそうな顔をしているのが分かる。
「アリシア」
会話を遮るように声をかけると、アリシアが振り返ってこちらに向かって歩いてくる。その顔は助かった、とほっと安心しているようにも見えたから頬が弛みそうになったけれど、それで流すわけには勿論いかない。
周りの客にあまり聞こえないような小さな声で、ティーカップに紅茶を注ぎながら話しかけてくる。
「ありがと、ワジ。流石に助かったわ……普通ウェイトレスにナンパする?」
「余程惹かれないとしないだろうね。つまり余程だったって事だよ」
「え、」
「何時もの格好も勿論いいけど、メイド服姿、なかなか可愛いよ。それこそ持ち帰りたいくらいに」
「なに言って、っ!?」
意味深な言葉と共に妖しく笑って、アリシアの手を取り口付けると一気に顔を赤く染めて身をさっと引くと周りの客には聞こえない程度の声で抗議してくる。
そういう照れ隠しもまた可愛いんだけどね。すっかり僕が見慣れている普段のアリシアの反応に戻った事に満足しつつ、ちらりと視線を青年達に向けると呆気に取られたような顔をしていて、次第に悔しさを表情に滲ませる。自分達の時は業務用のような態度であっさり流されたのに明らかにこうも僕と会話してる時の反応が自分達と違うと分かるとそう思うだろうね。
その意味でアリシアの中にある僕の存在が小さくないと思うと、優越感を感じるのは仕方がないだろう。
「なな何してんの!信じられない…っ!」
「今回は陰ながらアリシアを守る事が僕の役目だしね。アリシアが望むなら日常的にそうするつもりだけど?」
「冗談はいいから、早く帰って。私の反応見て楽しんでるだけじゃない」
「僕のお陰で女性客も入ってるんじゃないのかい?」
「……自覚あるとはいえこうもさらりと言われると腹立つわね……」
「嫉妬なら大歓迎だよ」
「違うわよ!」
若干むきになっているあたりがどうなんだか、と拗ねたのか踵を返して別のテーブルに向かうアリシアの後姿を見送りながら思考を巡らせる。僕の発言はアリシアの中では「タチの悪い冗談」だと思われているみたいだけど、何時だって本音を言っているまでだ。アリシアが万が一無意識の内にでも嫉妬してくれてるなら嬉しい限りだけど、あの素直じゃない性格だ。今みたいに手厳しく突っ撥ねてくる。まぁ、表情を見る限り響いてないなんてことは無さそうだし僕としても構い甲斐があるんだけどさ。でもあの容姿に加えて今のメイド服だ、この手伝いが終わるまで何回か同じ事を繰り返すだろうね。
さて、この仕事が終わったら報酬として店長にあのメイド服もらえるように交渉しないといけないかな。
―――――――
フリリクより「パン屋でメイド服着てお手伝い」です。
からかって本音を冗談で隠してるけど実は守ってるワジさん。遠目から見ても分かる位のカップル的なノリで会話されてたらナンパも諦めますよね、ワジの容姿を確認したら余計に。
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