カタリナ
- ナノ -

01 君と僕と世界の定義

あの日を境とした身の回りの変化を挙げていけばキリが無かった。
細かな例を述べるとしたら、私がアルテリア法国に長く滞在する事も六年ぶりになるだろう。あの頃は教会に関する知識を身に付け、総長との訓練を積んでいたから隔離されていたとはいえ、長くここに居た。一年後には既に任務を遂行していたから殆ど帰って来る事は無かったし、人目につく教会内を歩いたことさえ無かったけれど、今は両手を振って歩けるのだから妙な感じだ。
決定した一週間近くは余りの差異に、環境の変化に、当然戸惑いを隠せなかったが予想外に順応するのは早かった。身に染み付いた順応性故なのか、それともワジが今まで通り過ぎたから自然と慣れざるを得なかったのか。
彼の事だから私を気遣う半分、自分のペース半分、と言った所だろう。
そういう所、本当にワジらしいけど。


――カツカツ、と。

ヒールの音が静まり返った廊下に一定のリズムで響き渡る。

教会内の星杯騎士団本部内に与えられているワジの自室に向かって歩いていたのだが。
着く前に廊下の奥からこちらに向かって歩いている本人を見付けて、アリシアは無意識に顔を綻ばせた。


「そろそろ終わるかなと思ったけど、丁度だったみたいだね。お疲れさまと言った所かな。ここ、怪我してるよ」

「え?気付かなかった……手加減無しで攻撃してくるんだから」


ワジの手が頬に触れたと同時にぴりっと僅かな痛みが走り、怪我していたことを初めて知った。溜息混じりにそう呟くと、ワジは複雑そうに顔を顰めて浅く息を吐く。


「もうアッバスに変わってもらってもいいんじゃない?正直、色んな意味で気が気じゃないよ」

「……私だからこそやる意義があるって言ったじゃない。それに流石にまだ負けるつもり無いわよ」

「本人にそんな事言ったら怒るだろうけどね。……でも、余裕は無くなったかな?」


ワジの言葉にアリシアは困ったような笑みを浮かべながら肯定する。頬に付いている傷が何よりの証拠だろう。それが良いとも言えないし、ワジにとっては拭いきれない不安要素だ。

アリシアはヴァルドとの訓練を終えた直後だった。
星杯騎士団の従騎士に就任したヴァルドの言わば教育係を引き受けたのは名乗り挙げたアリシアであった。ワジとしてはヴァルドとの関係的にも引き受ける訳にもいかないし、アッバスに任せようとしていた。
アリシアが名乗り挙げた理由も分からなくはない。ヴァルドの過去望んでいた力と紙一重の力を持っているアリシアだからこそ、ヴァルドに正しい――いや、゙間違っていない力゙を武器を交える事で教えようとしている。
ヴァルドも訓練とはいえ、誰かに力で負ける事に対して己のプライドが許さないだろう。アリシアも彼の性格を知っているからか圧倒的な実力差を見せ付ける行為は一切せず、上手く彼を扱っていた。その辺りは誰よりも長けている。


「万が一、アリシアがヴァルドに負ける日が来ると恐ろしいね。内面も少しは変わったとはいえ、ヴァルドの中に潜んでる欲求は変わらない」

「……前と変わらない感じで今も普通に話してるからそう言われても信じがたいというか……飽きたとか、遊び半分とか無いの?」

「フフ、男の欲望は中々無くならない物だからさ。アリシアが僕のである限り、無理な話だろうね。僕も掠め取られないよう気を付けなくちゃならないかな?」

「だ、誰が誰のよ!」


アリシアの反応にワジは口角を上げて満足そうに笑い、アリシアは素っ気なくそっぽを向いた。

アリシアを力で屈服させたいという、そしてワジから奪うという欲望は形を変えていないし、根深い物だった。
普段のアリシア達のやり取りは彼女の言う通り、クロスベルの頃から変わらない。アリシアの振り回すようなマイペースな発言に付き合うヴァルド、そしてヴァルドの時に横暴な言動に動じる事もなく受け流しながらも嗜めるアリシア。短気なヴァルドの気に障らない独特な雰囲気を持っているからこそ仲は良好だし、ワジとは違った意味でバランスが取れているのだろう。

けれどヴァルドが力でアリシアを従えるようになった時、絶対に彼の脆い自制の枷は外れる。
教会の精鋭部隊の中でもトップクラスであるアリシアを超える日が来るのかは想像付かないが、奪わせるつもりなんてワジも更々無かった。


「力の性質こそは同じかも知れないけど、戦い方はアッバスの方が合ってるじゃない。制御の仕方を教えたならあとは任せた方がいいと思うけど?」

「……そう、ね……確かに一理あるわね。考えてみるけど、ヴァルドが納得するかどうか」

「僕の予想に過ぎないけどヴァルドは了承するよ」

「?どうして?」

「戦いたいと思ってる人間に完成を手伝って貰うのは嫌だろうからね。それに僕としても不要にくっつかれると妬けるし」


手を取って引き寄せると、顔を赤くして胸を押し返してくると同時に焦った表情で辺りを見回す。
その様子をワジは不思議に思ったが、暫くして理解したのかあぁ、と納得した声を零す。散々気にしなくていいと言ってるのに規則云々以上に羞恥心からかやはり滅多に甘えてなんかこない。


「ちょ、ちょっとワジ……!」

「確かに万が一司教とかシスターが通ったら煩く言われるだろうけど気にする程でも無いよ。見せ付ければいいんじゃない?」

「そういう問題じゃないから……!ホント、呆れる位ワジはその辺り顔の皮厚いわよね……」

「むしろ他の事には僕以上に上手く立ち回れるのにどうしてこうも奥手なのか不思議だけどね。まあ初な所も可愛いとは思うけど、寂しいなあ」


アリシアの性格は知っているし、偶に甘えてくる分で満足しているけど、揺さ振るとどういう反応をするか。正直それを楽しんでるんだけどね。
流石に気にしていたのだろうか、アリシアは言葉を詰まらせて視線を泳がせる。


「……ワジは手馴れてるかも知れないけど私は精一杯、なんだから……それと、流石に人目は気にして!」

「……、フフ、じゃあ僕の部屋に行こうか?人目を気にしなくていいしね」

「え、ちょっと!」


きょとんと驚いた顔をしたのも一瞬で、含んだ笑みを浮かべながら言われた言葉にしまった、と自分の発言を後悔したのも束の間、ワジに手を取られて引っ張られる形で廊下を歩く。
ワジの機嫌といい、この流れといい、嫌な予感しかしない。


「あぁそうだ、今日位は思う存分甘えてくれて構わないから」


これでも譲歩してるんだよ、と何食わぬ顔で言いのけ、取られている手を持ち上げられたかと思えば手に口付けされて、衝撃に固まってしまった。

前から、分かっていた事だけど。どうしてワジには羞恥心が無いんだろう。しかもたじろぐ私の反応楽しんでを半分からかってるし、半分は本気だ。
それでも与えられる愛情に喜びを感じているのは事実だし、それに応えたいとも思っているけれど普段は意地や恥ずかしさが先行して突っぱねるばかりで。

再び手を取られた瞬間に自らワジの手に触れて握ると、驚いた顔をしてアリシアを振り返った。


「アリシア?」

「今日だけのつもりじゃ、ないから……」

「……参ったな、今日帰せるといいけど」

「え、」

「フフ、久々の恋人としての時間、楽しませてもらうよ?」


これでも随分と我慢してる方なのに、誘うような台詞を言われたら乗らない訳にもいかないだろう。

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