カタリナ
- ナノ -

02

会場内は別荘の屋敷にしては豪華過ぎるほどの装飾に溢れ、まるで高貴な城のような雰囲気だった。ハルトマン議長やルバーチェ商会の力が一体どれ程のものなのか、これだけで分かるほどだ。オークションは午後九時から正面ホールでの開催の予定だ。
クロスベルという特異な立場が生み出した国際的に認められたブラックマーケット、それを初めて目の当たりにしたロイドの表情は少しばかり浮かないように見えた。そうなっても当然か、とアリシアは溜息を吐く。

サロンにはイメルダ夫人がおり、芸能プロデューサーという肩書きでやって来ているらしいキリカ・ロウランの姿もあった。個人的に彼女の嘘と本当の立場を知っていて、私がこの間まで同じ受付嬢をしていた過去を知られていると話すのは気まずいのだが、彼女も事情を察してくれたのか特に深くは尋ねてこなかった。
そして右の通路に進み、普段食事に使っているだろう巨大なテーブルが設置されている部屋に出た。そこに居たのは二人の女性と、男性、そして一人口論を傍観しているワジが椅子に座っていた。


「フフ……ご覧の通り修羅場ってヤツさ」

「まったくもう……」


ワジの視線の先にはホステスを連れた夫らしき人物と、ワジが一緒に来たと言う妻が口論をしている所だった。クロスベルに来て右も左も分からず困っていた所を助けたらしく、オークション会場まで案内し付き添いをしたらしいが、どう考えてもただの善意ではなくてこの競売会への参加を狙ってやっているようにしか見えない。

また後で、と挨拶を交わしてロイドと共に一階フロアを繋いでいる通路に出たのだが、あまりに贅沢過ぎるその内装に度肝を抜かれた。室内なのに、滝が流れているのだから。幾ら金持ちでもここまでしている家は流石に見たことないかも、とアリシアが昔の記憶をあさっていると、凄まじい光景に圧倒されて溜息を吐いているロイドがぽつりと呟いた。


「……なあ、アリシア。こういう設備を室内に造るのにどのくらいのミラが必要だと思う?」

「まあざっと億はくだらないでしょうね。こんな物で来場者に権威を示そうとするなんて馬鹿馬鹿しいけど」

「はあ……ハルトマン議長か。昔からの名門とはいえ、そこまでの資産家なのか…?」

「わっ!」

「!?」


急に耳元で叫ばれたから驚いて振り返ると、そこにはあのバカンスルックでサングラスを頭にかけて釣竿を持つ一見この場には合わない青年、レクター・アランドールが居たからアリシアの表情は凍りついた。

ミシュラムに来る前に一度船着き場で会ってしまったが、まるで知っていないかのように振舞って避けてきたのにロイドと二人で潜入していて、この会場では正体を隠さなければいけないという状況から逃げるに逃げられなかった。
その表情はやはり何を考えているのか読めないようなマイペースな物に一見勘違いするが、レクターをよく知っているからかじっと観察するように見られていることに気付いて居心地が悪くなった。


「ドレスアップしたようだが、なかなか似合ってるじゃないか。ふむふむ、パーティに正装して来るだけの分別はあるみたいだな」

「いや、その格好で言われても」

「ハルトマンのオッサンも自分の家のように寛げとか言ってたからなァ。アンタらもぼちぼち楽しんでるようで何よりだ。ま、俺に較べたらまだまだだけどな!」


そう言うと橋の上に移動して、流れる水の中に釣り糸を垂らすレクターにロイドは焦りを隠せないが、アリシアは冷静すぎる位に落ち着いていた。彼と一緒に行動を共にしていたからこそ分かる……と言うよりも、こういう破天荒な行動も当たり前のような光景で慣らざるを得なかったのだ。


「おっ……おおっ!来た来たァ!」

「……本当に釣れた」

「よーし、今日はなかなかいい物が釣れたなぁ。うむ、これはクロへの土産に持って行ってやろう」

「観賞用の金魚の一種みたいだけど……っていうか、さすがにマズイんじゃ!?」

「ふはは、それではさらばだ!ま、アンタらの方も良いモン釣れるといいなァ。――ロイド・バニングス、それから……アリシア・フルフォード?」

「!」


――やっぱり、レクターにバレない訳がない。

ここで私を無理矢理でも連れ出して話を聞いてこない辺りは遠慮してくれているみたいだけど、特務支援課と言う場所に潜り込んでいる私はこの場所から暫く動けないし、もう情報局特務大尉の目を掻い潜る事は難しくなるだろう。
彼の事だから事前に特務支援課のメンバーを調べていたのだろう。まあ、彼のような情報畑の人間でなくともクロスベルタイムズに何度か名前が載っているわけだし把握していてもおかしくない。

少しばかり憂鬱な気分になりながらも、表情に出さないように努めてロイドと共に一階に戻ると、そこには警備で巡回していたらしいガルシア・ロッシが居た。向こうも私達に気付いたようで丁寧に頭を下げる。あくまで来場者である私達に礼儀は弁えているようだ。


「おっと、こいつは失礼。当会場の警備を担当している、ガルシア・ロッシといいます。防犯のため見回っている最中でして」

「……いや。見回り、ご苦労様だね」

「お客さん、どこかで見かけた事があるような……ん〜…?」

「気のせいじゃないかな?あなたみたいな大柄な人、一度見たら忘れないだろうしね」

「はは、そうかもしれませんな。ふむ……念の為名前を伺ってもいいですか?」


ガルシアの言葉に頷き、ガイ・バニングスと名乗った瞬間彼の表情が僅かに変わったのが分かった。その名前にも聞き覚えがあるような気がする、と頭を悩ませるガルシアに絶体絶命かと思ったその時、凛とした女性の声がフロアに響いた。
振り返るとそこには今しがた会場に着いたばかりのIBC社長令嬢、マリアベル・クロイスがそこに居た。


「こんな場所で会えるなんて、本当に奇遇ですわね」

「確かに予想外だったわ……」

「ふむ……お嬢さんはどちらさまで?」

「私の名はマリアベル・クロイス。お見知りおき願いますわ」


その名前を出された瞬間にガルシアと部下の顔色が変わった。毎年招待状を送っていたのにもかかわらず、参加の意を表明してこなかったクロスベルの中でも随一の資産家だ。ハルトマン議長の中では最も敬意を払わなければならない客、だろう。
マリアベルの機転により危機を脱出し、案内された個室に通された所で彼女に全ての事情を話すと興味深そうに唸り、ふと笑みを零した。


「実際には見ているだけですからただの自己満足かもしれませんけど」

「フフ、でも気に入りましたわ。エリィの同僚ならその位の思い切りがないと相応しくありませんから」

「あくまでエリィ基準なのね……」

「えぇ、愛していると言っても過言ではありませんわ。だってあの子、可愛いでしょう?真っ直ぐで意志が強くてとても凛としているけれど落ち着いた気品と優しさがあって。私の自慢の友人ですわね」

「確かに……俺達にとっても自慢の同僚ですよ」

「あら、そう言うとアリシアさんにも通ずるものがありますわね。少しばかりお茶目な所も目立つようですけど」

「ふふ、お褒めに預かり光栄って言っておこうかしら?」


アリシアの茶目っ気ある返しにマリアベルはふふ、と笑みを浮かべた。マリアベルも"色々な意味"でアリシアのような人間は嫌いじゃなかった。むしろ、好きの部類に入るだろう。しかし、そんなマリアベルの根底に潜む歪んだ感情を知っている訳もないロイドは二人のやり取りに苦笑いを浮かべるだけだった。


「そういえば……どういう事情でこんな所に?先程の話を聞く限り来るのは初めてみたいですけど……」

「ハルトマン議長からは毎年熱心に誘われていますの。ただまあ、怪しい方々との付き合いがある人でしょう?お父様は色々と理由をつけて断っているんですけど……私の方は中々そうもいかなくって」


ミシュラムの開発計画はマリアベルが担当しているらしく、その関係で昔からここに住んでいるハルトマン議長の誘いを断るに断りきれなくなっていたらしい。ホテルとテーマパークの開発や運営をIBCが事業の一環として行っており、今年の競売会には面白い出品物があるから出席することを決めたようだ。
ローゼンベルク工房製の初期のアンティークドール、破格の値段が付いた幻の作品と称されるそれをコレクターであるマリアベルが見逃せるわけがなかった。

丁度その時、扉を控えめに叩く音が聞こえてきて話を中断する。


「失礼します、マリアベル様。オークションの開催時刻がそろそろ近付いて参りましたが……」

「そう、ありがとう。すぐに参りますから、後ろの方に三人分の席を用意してもらえるかしら?」

「――かしこまりました。それでは手配しておきます」

「その、マリアベルさん……」

「ふふっ、心配要りませんわ。私が議長と挨拶するのはオークションが終わった後ですし」

「それなら特に問題はないわね」

「……分かりました。折角なのでご一緒させてもらいます。マリアベルさん、よろしくお願いします」


マリアベルと共にオークション会場に向かうと、既に多くの客が席に着いていて既に賑わいを見せている。ブラックマーケットに出品される数々の曰く付きの品々に、参加者達は興味津々の様子だ。
相当な額のミラが動きそうだと話していた所に、後ろから近付いてくる足音が聞こえてきて振り返ると一緒に来たらしい婦人と一緒ではないワジが居た。


「ワジ……」

「フフ、そんなあからさまに嫌そうな顔をされると逆に燃えるね」

「はいはい。それで?さっきのケンカは結局?」

「何だかんだで元の鞘に収まったみたいだね。それで僕も晴れてお役御免になったところさ」

「ふふ、面白い方とお知り合いみたいですわね?それに何やらやたらと仲が良いみたいですけど」

「僕の名前はワジ。ワジ・ヘミスフィアだよ。IBC総裁のご令嬢、マリアベル・クロイスさんだね?お会いできて光栄だよ」


自分が名乗る前に名前を出されてマリアベルは僅かに目を丸くしたが、本当に面白い人だと笑みを浮かべた。まさかここに来ている彼が旧市街の不良グループ、テスタメンツのリーダーだとはマリアベルも予想していないだろう。
席を近くに用意する、というマリアベルの提案をやんわりと断り、ワジはロイドとアリシアに聞こえるような声でこっそりと耳打ちした。


「……窓から裏庭を見下ろしたら犬が何匹も眠っていた。何か心当たりはあるかい?」

「ルバーチェ商会の例の軍用犬…?眠っていたってことは、襲撃を受けた、って所かしら」

「……マリアベルさん。申し訳ないですけど少しばかり席を外します」

「フフ、色々と面白い事になっているみたいですわね。私の事はお気になさらずに。せいぜい、あなた方の代わりにオークションでの出品物を見届けておきますわ」


マリアベルに断りを入れて、オークション会場を後にするが先程まで多くの人が居たフロアには殆ど誰も居ない。もうオークションも始まるし、殆どの来場者がそれとハルトマン議長との接触を目的に来ているのだから居なくて当然だろう。


「庭に放たれていた番犬が何匹も眠っていた……フフ、何を意味してるのかな?」

「……まぁ、普通に考えたら黒月が来た、って考えるのが妥当でしょうね。ただ手口からして集団で派手な抗争を始めるってわけでもないし、それを考えると、……」

「アリシア?」

「……何でもないわ」


伝説の凶手《銀》もとい、――リーシャ・マオ。黒月に協力しているけれど単独行動している彼女の他居ないだろう。差し詰め、ツァオ・リーに頼まれてルバーチェ商会を挑発するために今回の《黒の競売会》を少し荒らすか、観察するかのどちらかのつもりに違いない。今回はルバーチェ商会だけでなく各界のお偉い様も集まっているから《黒の競売会》自体を台無しにするような馬鹿な真似はあの切れ者のことだからしないだろうが。


「いずれにしても何かが起ころうとしている。それだけは確かみたいだね。フフ、僕も付き合わせてもらうよ」

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