カタリナ
- ナノ -

09 我が儘と馬鹿の抱擁

「……ヴァルド、どうしたんだいその傷?」

「うるせぇ!テメーは黙ってろ、ワジ!」

「……まったく」


メルカバに帰って来たヴァルドはアッバスとの訓練とは思えない程の傷を負っていて、機嫌を損ねているのか僕の質問にろくに応えることもなくキャビンの一角に備え付けられているカウンターバーの席に着き、徐に酒瓶を掴むとそれをグラスに入れる事も無くそのまま飲みだす。
見た目には痛々しい切り傷もあるが、治療を必要としていない辺りはそれほど重症ではないのだろう。アッバスでは無いだろうし、総長と手合わせをしたらこれでは済まないはず。だとしたらこの場に丁度居ない彼女位だろう。


「ヴァルドは本当に単純というか、馬鹿だよね」

「アァ?」

「アリシアの地雷を踏んで手加減なしにボコボコにされた。まぁ、そんな所じゃない?」


図星だったのかぴくりと眉を潜めて、舌打ちをするヴァルドは再び酒を口に流し込んでいく。
普段はヴァルドの機嫌を損ねないようにアリシアは上手く彼の実力に合わせて手合わせをしていたし、無駄な戦闘はしない主義なので忘れがちだが戦闘能力は星杯騎士団の中でも、別種の力ではあるがある意味守護騎士と同じ位である。本気を出したら今のヴァルドは耐えられて十分、それが限度だろう。
でも、今はアッバスが訓練に就いているはずだし、アリシアはヴァルドの挑発や一方的な欲に乗らない筈だ。


「話に乗ろうとしねぇから変わりに緑頭の神父に挑戦状叩きつけるっつただけだ」

「あのねぇ……だとしたら君もよくその怪我で帰って来れたよね。アリシアにケビンに関する悪い冗談は一切通じないから」


まぁ面白そうな場面だっただろうし是非見たかったけど。そう言うとヴァルドは僕に向けて殺気を飛ばしてくるが、ボコボコにやられた後では僕と拳を交える喧嘩をする体力も割と残っていないのかやはり酒が進んでいる。
アリシアを挑発する為とはいえ、ヴァルドがケビンと一戦を交えたいと思っていたのは強ち嘘ではないだろう。アリシアが慕い、僕と同じ守護騎士であり《下法狩り》の異名を持っていた程の実力の持ち主。アリシアに関係する対抗意識もあって口に出た言葉がアリシアの自制心を一時的に砕いた。何時まで経ってもアリシアのケビンと帝国のお兄さんに対する感情は弱まる事はないからね。


「まぁ、これを機会にもっと精進したらいいんじゃない?アリシアは一筋縄ではいかない子って事だよ。フフ、特に力で屈服させようとすると、ね」

「ハッ、上等だよ…!ワジ、テメェも近い内に改めて引導を渡してやる」

「はいはい、楽しみに待ってるよ」


相変わらずの剥き出しの闘争心だ。けどまぁ僕もその時が来たらヴァルドとの"喧嘩"を楽しむんだろうけどね。
……でもそろそろアリシアの事は諦めてくれないと僕も気が収まらないよ。邪魔してくるしね。幾らヴァルドが馬鹿とはいえ、恋人の空気くらいは読んでくれてもいいのにさ。

アリシアを探しに行く為にキャビンを出てハッチからメルカバを降りたのだが、自分に向けられた視線に気付いて顔を上げると、甲板に彼女は居た。一体何時の間に来ていたんだとも思ったけれど、彼女のことだ。ヴァルドに対して本気を出し過ぎた事を少しは気にしているだろう。


「ヴァルドなら大丈夫だよ。あれ位じゃかえって闘争心燃やしてるんじゃない?」

「それ、ヴァルドへの信頼?馬鹿にしてるように聞こえけど相変わらずというか……」


甲板からひらりと飛び降りたアリシアは僕の前にすたっと無駄の無い動きで着地する。予想はしていたけどやはりアリシアは無傷で、ヴァルドと比べると差が歴然としている。


「珍しいじゃない。ヴァルド相手に本気になるなんて、さ」

「……もう、理由は分かってるんでしょ?あそこまで言われたら私だって一度は本気出さなきゃ駄目だと思って」

「それにしてもケビンが絡むと冷静さを失い過ぎだよ。ヴァルドのあの怪我じゃ、転位も使ったんじゃない?」


図星だったのか顔を引きつらせるアリシアに苦笑いを浮かべる。そして観念したようにぽつぽつと話し始めたアリシア曰く「ケビンに挑戦するなら私がその資格があるか相手をする」という名目で半分は私情を交えて戦った結果がこれだ。
まぁ、一時的な牽制にはなったかもしれないけど、事態がゆるゆると悪化しているのも否定出来ない。ヴァルドは現在非常に危ういバランスにあるがそれで安定している。彼には強さを求める理由がある環境と、僕とアリシアという相手が居ることで矛先がそちらに向く位が丁度いいのだから。


「その役目は僕だけでいいんだけどね……」

「え?」

「フフ、彼女を奪おうとする輩に平常心でいられる訳無いよ。特に僕はヴァルドをよく知ってるからね」

「……そ、そういうの、いいから」

「そう?」


僕に顔を見られないように反らして恥じらう姿が可愛くて頭を撫でるとむすっとした顔で睨まれるが、顔が赤いから威圧感も何も無い。アリシアがヴァルドを圧倒するような実力を持っていなかったらとなると恐ろしい。ヴァルドなら本当に襲っていただろうし。……凄まじい犯罪臭だね。


「で、実際どうだったんだい?ヴァルドの実力は」

「訓練始めた時と比べて見違えたし、グノーシス使ってた時より総合的に強くなってる。時々本能に任せるのがまだ及第点だけど」

「それを聞いて一安心かな。ヴァルドも僕のサポートなんて仕事は基本ご免だろうし、そろそろアッバスと任務に行かせても大丈夫だろうね」

「確かに……何だかんだ言って、ちゃんて考えてるのね」

「へ?その間は二人きりになれるからに決まってるじゃない。色々楽しみだなぁ」

「!?私もヴァルド達に付いて、」

「行かせないよ。守護騎士命令と思ってくれて構わないかな」


なんでこういう時だけ、と頭を抱えるアリシアに笑みを零す。最近ご無沙汰になってるのにこんな機会見逃す訳ないじゃない。
その意味では交戦的なヴァルドにアッバスを付けて任せるのはいいかもしれない。僕のサポートを主にしているけれどアッバスは元々正騎士だし、今はアリシアが居るからアッバスも持ち場を少し離れるくらいいいだろう。


「出来るだけ長期間がいいよね」

「ワジ……」

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