カタリナ
- ナノ -

08 太陽に焦がれる世界に終止符

「ねぇ、アッバス。明日の情報処理ちょっと任せていい?」

「構わないが、珍しいな。任務でも入ったのか?」

「別にそういう訳じゃないんだけど、ワジとクロスベルに行ってこようと思って」

「……クロスベル?」


それまで端末を動かしていたアッバスの手がその単語を聞いた瞬間に止まって、アリシアを振り返った。アッバスは感情が表情に表れにくいし、分かりづらいけれど彼が驚いているのは十分分かっていたし、アリシアもそういう反応が返ってくるだろうと予想していたから何事も無い顔をしていて、アッバスは頭を押さえる。
クロスベルは未だに帝国の監視下にあって、外部からの侵入は困難になっている。とはいえ、アリシアにとっては入国する際の検問などは関係無い話なのだが。人間離れした感知能力かそういう古代遺物を所持していなければ気付かれる事はないだろう。とはいえ、とアッバスは溜め息をついた。ワジとアリシアは揃って行動されるとある意味厄介だ。こちらの予定や想像通りに動くという事をしない。

解放運動もまだ全ての手筈が整っていない筈だからそれに非公式に手を貸す、という訳でもないだろう。ただ様子を見に行くにしても唐突で、教会に提供する情報を掴みにいくとは考えづらい。


「あれ、アルカンシェルの新しいプログラム、知らない?」

「俺はその類には詳しくないからな。それを見に行くつもりなのか?」

「察しいいわね!ヒロイン達に直接連絡貰ったら見に行かないわけにもいかないじゃない。約束もしてたことだし」


アリシアの言葉を聞いてなるほど、とアッバスは唸った。反乱分子として帝国軍に追われているロイド達に会いに行くのであれば自分の立場的には聞かないと分かった上で一度は止めようと思っていたが、アルカンシェルとなるとまた訳が違ってくる。
アリシアはアッバスに許可を取りに来たのではなく、決まった事を事前連絡をしに来ただけなので、それじゃあ宜しく、と朗らかな笑みを浮かべて去って行ってしまった。……ワジの抑え役が増えるどころか、もう二人増えるなんて誰が予想していたか。



クロスベル、歓楽街アルカンシェル――
本日から開幕する『金の太陽、銀の月』を目当てにしてやって来る数多の客でそこだけが帝国占領下という環境から切り離されたように賑わっていた。それも当然だろう。『金の太陽、銀の月』というプログラムはアルカンシェルの中でも随一の完成度や人気を博しているプログラムであるのだから。
そして何より。主役が居なかった事で長らく出来ずにいたプログラムの開幕は主役復活を意味していたのだから。


「いい具合に会場も盛り上がってるじゃない。イリア・プラティエの復活幕には最高の舞台ね!」

「ふふ、流石イリアさんです。まだ始まってないんですが、感慨深いですね……」

「それは有難いけどお祝いやら感動は今日の幕全部終わってからにしなさいよ〜?全部の幕に全力を出し切って初めて私の復活になるんだから」


真っ赤なルージュを唇塗り、太陽の姫をモチーフにした衣装を身に纏って立って久々の舞台に高揚しているイリアの姿を見たリーシャとシュリは懐かしさと待ち焦がれていた皆を引っ張るに太陽のような存在が戻って来たのだと実感して胸が詰まった。
本番前の緊張感のお陰で泣かずに済んでいるが、今日の幕が全て終わった時――きっと、泣いてしまうだろう。そして本人はそんなリーシャとシュリを見て笑うのだろう。


「弟君達が来れないのは分かるけど、アンタ等が約束してる二人は来れるの?警備が厳しいんじゃないの?」

「あ……そこまで考えてなかった。アリシア達って教会?の人間なんだろ?通してくれんのか?」

「お二人は帝国軍にも顔を知られていますから国外から普通に来るのは難しいと思いますが、大丈夫ですよ」


ワジ達が所持しているメルカバは光化学迷彩を搭載しているがそれは視覚的なものであって、クロスベルには飛行艇感知機があるから侵入は知られてしまうだろう。それにクロスベルの事件に関わった二人は帝国軍に見付かると教会と帝国の確執を生む危険性がある。来て欲しいとは言ったものの、本当に大丈夫だろうかとシュリは不安になったが、突然リーシャが何かに気付いたのか後ろを振り返り柔らかな笑みを浮かべた。


「どうぞ。私達以外に今は居ませんので」

「リーシャ姉?」

「流石、気配を感じ取るのが速いね」

「え、この声……」

「こっちにお邪魔してごめんなさい。ちょっとワケ有りで。久しぶりね、シュリ、リーシャ。……今日を楽しみにしていました、イリアさん」


扉を開けて顔を出したのは一年ぶりに見る顔だった。アリシアとワジ、クロスベルに別れを告げた筈の二人だった。しかし、その格好は最後に見ていた教会の服ではなく、彼らの普段着とも言える新生特務支援課結成当初に着ていた服だ。
エニグマで連絡を取り合ってはいたが、記憶と違わぬ笑みを浮かべる二人に安心感を覚えたと同時にシュリは眉を寄せ、イリアは二人の雰囲気ににやりと笑って怪しく目を光らせた。


「なんだよ、受付から連絡来てないぜ!?知らせてくれたっていいじゃんか!」

「人前で急に現れると騒がれるだろうし、受付より人気の無い関係者口の方がいいと思って」

「急にって、転送装置とかそんなもの?」

「そういうものだと思ってくれるとありがたいね。見る限り、イリア・プラティエの完全復活みたいじゃない」

「それは舞台を見てからもう一度言って貰わないと困るわね。ふぅん?予想はしてたけど随分といい感じじゃない!」

「え、」

「フフ、お陰さまでね」


イリアのにやつきに何の内容か察したアリシアは頬を染めて横で食えない笑みを浮かべるワジの腕を軽く叩く。以前から二人は似たようなやり取りをしていたけれど、明らかに以前の雰囲気とは違う事を感じ取ったイリアは楽しみながらも、嬉しそうに表情を緩めるリーシャとアリシアを見比べてふと姉のような優しい顔をする。
根元こそは違うけれど、やはり似たような本質を持っている二人だ。アリシアもまたワジという存在によって漸く自分の望む生き方を見付けたのだと一人納得して、二人の表情を見て安心した。


「ロイドさん達には言ってあるんですか?」

「今の状況下で彼らに連絡すると迷惑かけると思ってしてないけど……キーアが私達が来たことに気付いたと思うわ」

「そうですね……あ、席は一番前の席ですが、宜しいですか?」

「へぇ、アリシアに付いてくる形だったけどまさかそんなに良い席だとは思わなかったよ」

「イリアさんが言えば大体の事は通るもんな……。初日公演、チケット即完売だったんだぜ?」

「まぁ、アルカンシェルファンはこの日を絶対逃さないわよ。長居すると悪いわね、先に席に行ってるわ」

「最高のステージにするから楽しみにしてなさい!」


不敵な笑みを浮かべるイリアは本当に、太陽みたいな人だとアリシアは改めて実感した。居るだけで雰囲気は変わる。逆境をも跳ね退けてしまうその強い意志に憧れ、彼女を尊敬する気持ちが分かる。
下半身不随になり、一生歩けなくなる可能性が高いと宣告された彼女は諦めることも絶望もしなかった。たった少しでも可能性があるのなら悩むよりも努力をする。何時だって彼女は前だけを見て歩みを止めない。それが僅か一年と少しでの舞台復帰に繋がった。奇跡のような事ではあるが、奇跡と名付けるのはおこがましい程の努力があるからこそなのだ。


「いや、想像以上に凄いね。必ず戻って来るとは思ってたけど、まさかこんなに早いとは思わなかったよ」

「本当にね。公演が決まったって連絡貰った時は驚いたわ。イリア・プラティエに不可能は無いのかもね」

「フフ、そうかも知れないね。クロスベルに結局三年居たけどここに来たことが無かったから僕は見るの初めてかな」

「私も練習だけしか見たことないけど……ワジなんて何時だって連れてきてもらえそうじゃない」

「アハハ、妬いてるなら妬いてるって言えばいいのに。見に来る機会は無かったんだよね」


関係者専用口からロビーに出たアリシアとワジはやはり人混みの中でも目立つが、誰一人としてアリシア達に元特務支援課であることを尋ねようとはしなかった。それはやはり目の前の待ちに待っていた公演に全関心を向けていたからだ。

一年前にシャーリィ率いる赤い正座によって壊されたステージは元通り、むしろそれ以上に煌びやかで豪華なものになっていて、開演一時間前にも拘らず凄い人の数だ。この観客も含めた舞台を愛するイリアさん、舞台を守ろうとするシュリ、そしてその舞台に焦がれたリーシャ。一度は再び立つ事を諦めたリーシャにとってアルカンシェルはかけがえの無いものになっているし、このステージもまたリーシャの存在が必要不可欠だ。


「リーシャが羨ましいかい?」

「まさか。私、今幸せだからね」

「……まったく。こんな幸せでいいなら何時でも提供するよ?」

「ふふ、楽しみにしてる」


茶目っ気のある笑顔を浮かべるアリシアにワジはしてやられたよ、と万更でも無さそうな優しい目をしてアリシアの手を引いて会場を進んで行った。教会という枠に縛られ続けているのは事実だが、彼らは確かに幸せだったのだ。


『皆様、大変長らくお待たせ致しました。――本日より「金の太陽、銀の月」を開演致します』


――そしてイリア・プラティエが舞台に降り立ち、彼女の世界に観客は呑まれるのだ。

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