Extra Cobalt Blue
- ナノ -

hello,ghost in the night.

1.

※「agnello」のあいらさんから頂きました!


 4月に咲き乱れていたライノの花はいつの間にか散り、木は緑を纏って季節は夏へと移り変わっていた。この時期じりじりと焼き付けるような太陽の光も、この屋敷の中に入ってしまえばそれほど脅威ではない。
とある湖畔にあるラングリッジの別邸には、今2人の人物がそこですごしていた。1人はある少女で、もう1人はその少女の使用人である青年だ。この時期になるとどこの企業も夏季休暇を取ることが多く、帝都大学へ進んだ少女も所謂「夏休み」をもらっていた。しかし休むことはせずに家の力になろうと学んだ知識を生かしてあまり動きが取れない兄に変わり各地を飛び回っていたのだが、この前戻った時に次の仕事をもらいに兄を尋ねれば言い渡されたことは「別邸に行け」ということだった。

少女──フランは、外でミンミンとなく蝉の鳴き声を聞きながらソファに座り、ぼんやりとしながら何をするでもなく時間を過ごしていた。こんなことをしている場合ではないと自分では分かっている。「ただひたすらに、前へ」という言葉を胸に、フランは止まらずに道を歩んできたはずだ。だから今も、持てる知識を使ってどうにか家に協力しようとしていたのだ。けれどもフラン自身には気がついていなかったが、その様子は周りから見ればあまりにも痛々しくも見えて、アーサーの命令はそういったこともあってのことだった。
この季節は特に何もしていなくてもじんわりと汗をかく。額に浮かんだ汗を拭っていると部屋の扉が開き、「失礼します」と入ってきたのは使用人であるチェフだった。いつもなら気さくに話しかけてくれる彼でも、なぜか今回はどこか余所余所しい。

「お茶、入りましたからここに用意しておきますね」
「ありがとう」

ごゆっくりどうぞ、とチェフが部屋から出たことを確認してからフランは紅茶の入ったガラスコップを手に取る。カランと氷が動く音が鳴り、夏らしく水出しされたそれを飲めば乾いた喉に冷たく染み渡る。一緒に置いてあったチーズケーキは程よく甘く、食べるスピードは最後まで落ちることはなかった。
ごちそうさまでした、と言ってフォークを置いてから、フランはソファに置きっぱなしにしていた本の存在を思い出す。何か読もうと思って書斎から持ってきたはいいものの、暑いこともあり読む気が起こらずにそのまま隣に置いたままだったのだ。その本を手に取りぱらぱらと読んでみる。それは東方文化について書かれたものであり、きっと小さい頃、色々な地域の文化を知ろうとした自分が買ったものなのだろうということは想像しやすかった。小さい頃読んでいたはずなのに、今改めて読むと面白いものでついじっくりと読み直してしまう。冬の行事から季節の習わしが書かれていて、ちょうど夏の項目に入ったところで思わずフランは手を止めた。ちょうど今の時期、東方では「お盆」というらしい。その期間では火の煙を頼りに先祖の霊が子孫を尋ね交流することもある、なんて書かれていたけれどフランがその時思い描いたものは先祖でも父親でもなく、バンダナを巻いた「彼」のことだった。

「って、何を考えているのかしら……」

思考を押し戻すようにしてフランは再び本へと目を向ける。けれども食べたこともあってかうとうとし始め、フランはいつのまにか眠りに落ちていた。


はっとフランが起きる頃には陽はもうすっかり暮れ、あたりは真っ暗になっていた。起き上がると身体にはブランケットがかけられていて、それはチェフが用意してくれたのだと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。きっと今は夕食の準備をしているだろうから、せめてそれだけでも手伝いたい。きっと休んでいてと言われそうだけれど何故かそれはしたくなかった。

──本、落ちてるぜ
「……え?」

そのまま立ち上がろうとして突如聞こえた声に、フランは思わず目を瞬く。確かに床を見れば本が落ちているが、周りを確認しても「彼」はいない。まだきっと自分は寝ぼけているのかもしれないと思い、頬をぺちんと叩いてからフランはブランケット片手に部屋を後にした。
ばたん、と閉じた扉を見てフランがいなくなったことを確認しながら、部屋にはくつくつという笑い声が聞こえていた。フランがあの時聞こえた声は勘違いでも何でも無い、「彼」のものだったのだ。一際明るい光に導かれてやってきたはいいものの、まさかそこがラングリッジの別邸だとは誰が思っただろうか。しかもこれからの時間帯は夜だ。幽霊が出るにはもってこいの時間でもあり、驚いてもらうことは本望だ。もし次フランが自分を視認したら彼女はどんな反応をするのだろうか──クロウ・アームブラストはそんなことを考えながら、フランが部屋に戻ってくる時を今か今かと待っている。外では花火大会が始まっているのか、どーんという音が聞こえていた。



2.

 いくら避暑地にいるとはいえ暑い時は暑いものだ。特に今日は例年より暑く、夜になった今でも昼間の暑さが残っていた。じっとりとした不快感に目を覚ましたフランはベッドから起き上がり部屋を出て、キッチンに居た。既にチェフは寝ていたのかキッチンに明かりは付いていない。蛇口を捻り水を出して飲めば、汗で消費した水分を取り戻すようにして冷たさが身に染みていく。
これでまたよく眠れるといいな、と思いながらキッチンを後にして廊下を歩きながらフランが思い出していたのは、夕方聞こえた声のことだった。あれは確かに、自分の聞き間違えでもなければ「彼」のものだった。けれども彼は既にこの世にはいないから絶対にそんなことはありえないはずなのだ。やっぱり聞き間違えだと思ってフランは自室の扉を開けた。
 そしてその先に見えた光景にフランは目をぱちくりと瞬かせる。それまでに先程見間違いだと結論付けたことを覆せるほどには目の前に広がっている光景が信じられなかった。ベッドに佇む存在は、もう会えないと思っていた「彼」だったのだから。

「クロ、ウ……???」

 思わず漏れた言葉に反応したかのようにクロウの視線がフランへと向けられる。どこからどう見てもクロウだ──フランはその様子を焼き付けていた。服装は今までのものとは違い、懐かしい緑の制服姿だった。それがどこか一人だけ取り残されてしまったみたいでもあって、フランの胸がちくりと痛む。それでもクロウは今まで通りと変わらない様子で、フランに気づけば笑顔を向ける。その表情を見たのも、久しぶりだった。

「おっ、やっぱり俺の姿が見えるのか〜?」
「っていうことは、やっぱり……」

特に詳しくは言わないけれど、フランはクロウが「幽霊」なのだということを実感する。それでもクロウと話せるのだ。慌ててベッドの方へかけよって座り、クロウを見ながら何を話そうか言葉を選ぶ。それでも話したいことが多すぎて、一体何から話したらいいのかわからない。うんうんと悩むフランを見ながら、クロウは優しくフランの名前を呼んだ。

「ご、ごめんなさい。私、クロウに話したいことたくさんあったのに、いざとなったら浮かばなくて……」
「まあそう焦るなって。また会いにくるからよ」
「本当!?」
「ああ。だからフランには「宿題」だ」
「宿題……?」
「次俺に会うまでに、何を言いたいか決めてくること」

しばらく考え込んでいたフランだったが、ようやく理解したのかこくりと頷いたところを見てクロウはよしよしとフランの頭を撫でる。そして子供をあやすようにしてフランを寝付かせてブランケットをかける。なんだかその感覚が初めてではないことに気がついたフランだったが、それがどうしてなのかはうとうとしててそのまま寝てしまう。その間、クロウはフランの腕を握っていたけれどお互いそこに感じる体温はなかった。


3.

クロウに「宿題」を出されてから、フランは彼に何を伝えようかずっとずっと考えていた。パンタグリュエルでのことにしようか、あの日のことにしようか、それとも今までのことにしようか──一通り浮かんだところでやはり最後に行き着く答えは「これではない」というものだった。
明らかに今までのフランと様子が違う、と感じていたのは唯一今回彼女の使用人として一緒に付いて来ていたチェフだった。休暇を取るように言い渡されたのはいいものの、今までのフランは特に何をするでもなく、ティータイムを終えたあとも椅子に座ってぼんやりと時間が過ぎるのを待っているだけだった。しかし今では前と表情が違うし、今日はティータイムを終えてもフランは椅子に座っていない。今回は休むことがメインだから食器はそのままでもいいと言っていたのにしっかりと片付けやすく重ねられているところはフランらしい。チェフは有り難くその食器を下げ、フランの部屋を後にした。


チェフがフランの部屋に訪れる少し前に、フランは書斎へと足を運んでいた。書斎というよりはちょっとした図書館と言ってもいいだろう。ここにはラングリッジが手に入れた色々な本が置かれていた。
フランは前に借りていた東方の文化が書かれた本をもとにあった場所へと戻す。東方の文化は興味を惹かれるもので、フランは他に面白い本がないか指差し確認をしながら本を選んでいく。

「……あ」

思わずフランの指が止まったのはある本を見つけた時だった。それは本というにはいささか薄いような、むしろパンフレットに近いものがあったのだ。「トールズ士官学院」と書かれたそれは、名前の通り学院の案内のようなものだった。こんなものを取り寄せていたのかと思いながらもフランは思わず手に取り、ぱらぱらとページを捲っていく。教室や学生寮、ギムナジウムなど懐かしい場所が写真で載っている。そして生徒会室や売店を見てフランが思い出すのは、ある「出会い」だった。

『学生生活、楽しもうとしているか?』

4月始めのあの日。あの時はどうしてクロウがそんなことを言ったのか本当の理由が分からなかった。しかし今ではどうしてそんなことを言ったのか嫌でも分かる。確かにトールズでの生活は「いいこと」ばかりではなかった。でも、それでもフランにとってクロウと過ごした日々は大切で、未だに色褪せなくて、「楽しかった」と言えるようなものだった。

「本当に、伝えたいこと………」

そこでフランはようやく自分の伝えたい言葉に気づく。外を見れば夕方で、ちょうどあのクロウに会った時間帯と同じだ。「もしかしたら」と速る気持ちを抑えながらフランはパンフレットを手に書斎を飛び出して自分の部屋へと向かう。勢いよく部屋の扉を開けるが、そこにクロウは居なかった。

あの幽霊のクロウと出会ってから、もうじきで一週間が経とうとしていた。



4.

この日、ラングリッジの別邸がある周辺ではどこか浮ついた雰囲気であった。それはどこかへ出かける前に感じるあの高揚感に近い形であり、なんでも聞くところによれば今日はこの周辺でお祭りと花火大会があるらしい。
お祭り、と聞いてフランが連想したのは夏至祭だった。そして数年前の夏至祭にはあまりいい思い出がない。もしあの時、普通に夏至祭を迎えてクロウと一緒に楽しめたら、と考えたことがないと言えば嘘になる。もし一緒にお祭りを楽しんで、花火を見れていたらどうなっていたのだろう。もうそれは叶えられないはずなのに、自然とフランの口からは「クロウ」という名前が零れ出ていた。



 花火の打ち上がる音が聞こえたのは、ちょうどチェフと食べていた夕飯が終わる頃だった。食器を最低限片付け、フランは断りを入れて外に出てみる。
耳を澄ましてみれば近くで花火の打ち上がる音がして、どこかでよく見れるところがないか探してみる。大抵こういう場所には穴場のスポットがあるものだ。しばらく辺りを見回してフランは上に登る道を見つけて道なりに進んでいく。段々花火の音が大きくなり、しばらく歩いたところで道は終わっており、思わずそこから見れた景色にフランは息を飲む。そこからはちょうどよく花火が見えたのだ。

「よ、フラン」
「!クロウ、来て、くれたのね」
「だって、呼んでくれただろ?」

聞こえた声に思わず振り返ると、そこにはあの時と同じく緑色の制服を着たクロウが立っていた。どうしてクロウがここに居るのか、フランには正直よく分かっていない。それでもクロウには、あの時しっかりとフランが自然と零していた名前に応えていたのだ。幽霊らしくどっきり成功だと言うクロウに、フランは「もう」と満更でもないように言葉を返す。
クロウにこうして会えた、ということは、クロウに出された宿題を渡さなきゃいけないことでもあった。フランは拳をぎゅっと握って「クロウ」と名前を呼ぶ。その言葉は、少しばかり震えているようでもあった。

「あれからね、宿題のこと、ずっと考えてたの」
「……そうか」
「…私ね、クロウと学院生活を過ごせて楽しかったわ。ありがとう」

フランの言葉に目を見開いたのはクロウの方だった。まさかそんなことを言われるとは思っていなかったし、それ以上にあの時偶然にもフランに出会って、自分がしたことは間違っていなかったのだと思ったのだ。さすが自分が愛した女だと、改めてクロウは実感してフランの名前を呼び、そのまま手を引いて唇を重ねる。花火の音は今まで以上に大きくなっていて、お互い自分の胸の音なのか花火の音なのかわからないぐらいだった。

「クロ、ウ……」
「愛してるぜ、フラン」

花火の音が煩くても、2人の間にはしっかりとその言葉が届いていた。フランがあ、と次になにかを伝えようとした瞬間にクロウはいつの間にか消えている。そして同時にフランの頬には一筋の涙が伝っていた。愛してると伝えられた言葉を、フランは心の中で何度も何度も繰り返す。唇に手を当てれば、相手は幽霊で透けていたはずなのにまだ温かさが残っているような気がする。

「…私だって、クロウのこと、愛してるんだから」

そしてついには気持ちが溢れ出る。いつの間にか花火はクライマックスを迎えており、最後に打ち上がった花火の色は、クロウに似合う青い海の色だった。それはさながら、フランの呟いた気持ちに応えているようでもあった。






 夏季休暇を終え、ラングリッジの別邸から帝都に戻ったフランはいつもの日常を過ごしていた。帝都大学での授業は終わったけれど、だからといって暇になるわけではない。家に戻れば学んだことを生かして少しでも家の力になるように仕事をするだけだ。歩きだそうとして不意に感じたフランは足を止め、そして耳にしている蒼いピアスに触れる。そして一旦心を落ち着かせてから、もう一度ゆっくりと歩き出したのだった。
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