Extra Cobalt Blue
- ナノ -

ロゼ・クラシカル

クロウ自身には、特に好きな花なんてものは無かった。
花を愛でて心安らぐようなそんな余裕もない生き方をしていたから情趣には疎かった。しかし、理解できないという訳ではない。自分には似合わない代物だというだけで、それは時に景色を彩るものであり、時に人の心を落ち着かせるものであり、時に人に贈る為に想いを代弁してくれるものである。

それを、クロウはフランと付き合い始めてからは感じていた。フランが以前、一番好きな花は薔薇だと言っていた。お嬢様らしい、というよりも薔薇と言うもの自体がフランらしい物だとクロウは感じていた。
華やかに見える高貴な花は、触れようとすると棘がある。下手に手を出せば自らを傷付けてしまうような高嶺の花――それがフラン・E・ラングリッジという少女だった。しかし棘さえ落としてしまえば深い愛情を伝えるためのその花は、心を開いて歩み寄ってくれたフランと重なるのだ。

つまりは、強引にでも棘を落としたのが自分だということなのだが。


Z組に編入して寮を引っ越してからまだ日も浅いこの日、部活の無いクロウは早々に寮に向けて足を運んでいた。学生として部活に励む日々も少しだけ、羨ましいと思う自分が居る。
しかし、深く関わるような居場所を増やすべきではないし、行動も制約されてしまうことを考えると、クロウにとっては所属しない方が気楽だった。

「けどまぁ……フランも居ないって言うのは暇だな」

子供達相手にブレードをする気分にもならず、クロウはキルシェで偶にはコーヒーでも飲もうかと街をゆったり歩いていたのだが、橋を渡った先にある花屋でふと目を留める。店頭には珍しい花が並んでいた。
赤い薔薇はどこの花屋にも必ず置いてあるが、店に置いてあったのは青い薔薇だった。

あまり詳しくはないが、確か蒼い薔薇は作れないとされていたが、近年人工的に作れるようになった花らしいことはクロウも知っていた。本来は有り得る筈のない色の青い薔薇、ブルーローズは、不可能の象徴とされているがこうして誕生したことで逆に奇跡の象徴という物になった。


「あらいらっしゃい。これ見てるの?」
「珍しいっスね。蒼い薔薇ってあんま見たことないから珍しいと思ったもんで」
「えぇ、今日は少しだけ入ったのよ。そういえば朝にもあなたと同じ制服の色の子に聞かれたわ」


フィーの可能性もあるが、何となくそのことを店員に尋ねたのはフランのような気がした。
赤い薔薇は燃えるような、煌びやかな愛情の象徴だが、クロウはフラン自身には赤い薔薇こそが似合うが、自分達の関係を表現するという意味では赤い薔薇というよりも青い薔薇の方が当て嵌まるだろうと青い花弁を開いて咲き誇る薔薇を見詰めながらぼんやりと考えていた。

本来なら、現実するのが不可能に近い今の関係だった。クロウ自身にも抱えている問題があれば、フランにも抱えている問題があるから互いに人と一線を引こうとして本音を隠そうとする所がある。互いに、出会うまでは"人を好きになる行為"は相手も巻き込んで不幸にしてしまうことだと何処かで思っていた。
けれど、クロウは自ら禁忌としていたその距離感を自ら壊し、フランに手を伸ばした。何か一つでも掛け違えていればこうして恋人になることすら出来なかったことを考えると、夢の実現という言葉に当て嵌まるだろう。

「……ま、奇跡なんて言う気はねぇけど」

夢を実現する為に、犠牲を払ったし、相手の信頼を失うという賭けをしたのだ。
フランとの関係を奇跡なんて陳腐な言葉で片付ける気はないが、それでも偶にはこうして形でフランに伝えることもいいかもしれない。フランの好きな花で。

「これ、一本貰っていいッスか?」

青薔薇は貴重ということで一本でも結構値が張ったが、誰かに告白するのだと勘違いした店員は少し値引きをしてくれた。グランローズを贈って告白して成功すると幸せになるというジンクスがあるが、赤いグランローズをフランに贈るのは違うような気がした。
純粋な熱い愛情ではなく、もっと業の深い愛――不可能を可能にする為に試行錯誤した末に美しく咲き誇るこの薔薇が、まるで自分達のようだと思ったのだ。

第三寮に戻って来たクロウだが、誰かに花を贈るなんて初めての経験で何となくむず痒く感じる。
何でもない日に急に花なんて貰ったら困惑するだろうとフランの反応を思い浮かべるが、幸せそうに微笑んでくれるフランの姿を思い浮かべるだけで、胸が満たされて幸せな気分になる。ベッドに寝そべりながら机に置かれたラッピングしてある青い薔薇を眺めてフランとの関係を思い返す。
苦悩の末の選択を『奇跡』と呼ぶつもりは無い。それでも運が全く作用しなかった訳ではないと理解しているのだ。フランが他の人間に掬われるよりも前に攫えたそのタイミングも、旧校舎での一件にフランが居たことでその脆さに触れられる機会があったのも、偶然なのだから。

夕方になり、第三寮に戻って来たフランが自室に居ると聞いて、クロウは偶々廊下に人が居なかった時に背に薔薇を隠して階段を上り、フランの部屋を訪ねた。扉を叩いて「俺だけど」と声をかけるとフランは扉を開いて「どうしたの?」と尋ねてくる。
フランの部屋に花瓶はあるが、今はその花瓶に何も飾られていない。フランの実家の自室には、送られてくるグランローズや育てている薔薇が常に使用人によって飾られているようだが、流石にこの寮では常に飾っている訳ではない。


「フランに渡したいもんがあってな。何だと思う?」
「え、……私、ノートとか貸してないわよね?」
「がくっ、夢の無い回答っつーか、俺に対するイメージっていうかなぁ」


フランにとってはやはり、お調子者に見られているということなのだろう。信用がないことをわざと肩を落として落ち込む素振りを見せると、申し訳ないことをした気分になったのかフランは困ったように眉を落として謝って来る。
しかし、クロウが悪戯っぽい笑顔で「嘘だよ」とおどけると、何時ものようにフランは呆れた顔に変わるのだ。その飄々とした態度でフランを振り回すのも何時ものこと――だが、これからすることの照れ臭さを何となく紛らわしたかったのだ。

本題に入ろうと、クロウは後ろ手で扉を閉めて、背に隠していたその青い薔薇をフランに差し出す。朝、その青い薔薇を見かけていたフランは驚きに目を開く。


「この青い薔薇……」
「あぁ、あそこの店にあったやつだよ。何となくフランっぽいっつーか、俺達っぽいなと思って。花贈るっていうのは照れ臭いけど、似合わないって笑うなよ?」
「……」


似合わない事をしているとは自覚してるとクロウは頭を掻くが、頬を緩めて愛おしそうに目を細めて笑顔を見せたフランは、クロウの手を包むように添えて、薔薇を受け取った。まさか突然クロウにこんなプレゼントを貰えるだなんて予想もしていなかったから虚をつかれた気分だったが、純粋に嬉しいという感情に満たされる。


「っていうか、お前薔薇は貰い慣れてるんだっけか。正直妬けるけどよ」
「いえ、……クロウに貰えるのがこんなに嬉しいんだって自分でも吃驚してて……ありがとう、クロウ。私の一番好きな花を、贈ってくれて」
「……それなら良かったぜ。喜んでもらえたなら何よりだ」
「私達っぽい、か。ふふ、確かにそうかもしれないわね。赤いグランローズじゃないって所が」
「はは、だな」


自分達が普通の一般的な愛情で付き合い始めたわけではない、特異な経緯故の関係であることはクロウもフランも自覚をしていた。
時に奇跡に縋りたくなるけれど、自らの意志で選び、歩んだ末に辿り着いたこの関係は不可能に近い数パーセントの可能性に賭けて足掻いた結果だ。

「んとに、俺達っぽいよなぁ……」

夢の実現を果たしたが――クロウにとってはこの穏やかな日常も、冬の始まりまでには学院生クロウ・アームブラストの姿と共に泡沫となって消えゆく夢に過ぎない。だとしたら、ついついその先の不透明な未来を描くために奇跡も信じたくもなるのだ。

手に収まる青い薔薇を見詰めていたフランは、クロウを見上げてその手を取る。不安や虚無感に空虚になる心を優しく絡めるように。


「……でも、夢って、果たしたら終わりじゃないでしょう?叶え続けて行かなきゃ、現状に甘えて惰性してしまうから。クロウとそんな幸せな夢を追い続ける希望の象徴みたいだなんて、ちょっと大げさかしら」
「……」


あぁ、やはりフランはフランなのだ。
変なことを言ってしまったとフランは肩を竦めて笑うが、クロウの心に波紋を生む。未来という夢を歩む為の希望――自分では思いつかなかったその視点に、クロウは自分には無い欠けて部分を補ってもらっているようだと感じていた。
どんな経緯があったにせよ、フランがクロウに対して抱くその愛情は深く、幸せな事だと実感してついつい笑い声が零れる。誤魔化してはいるが、上辺だけで付き合っているだけではない、他者に対して感情を繕い仮面を被ろうとするクロウ・アームブラストの本質を捉えようとしてくれているフランの存在が、どれだけ自分にとって大きな物か、クロウはもう既に分かっていた。


「な、なに、クロウ?」
「いーや、フランらしくて安心したよ。ありがとな、俺の方がいいもん貰っちまったぜ」
「やっぱり変なこと言っちゃったかしら……私の方こそありがとう。大切にするから」


クロウが照れ臭そうに部屋を出て行った後、フランは空になっていた花瓶に水を入れて青い薔薇を飾る。花というものは永遠ではない。直ぐに枯れてしまうものだが、この青い薔薇は心の中にずっと残るだろうとフランはその目に焼き付けるように眺める。

「枯れる前に、一枚だけ押し花にしようかな」

クロウがくれたその薔薇の花弁をごめんねと呟き、一枚剥がして押し花にする。

枯れてしまえばもう戻ることは無いけれど、永遠に残る形にしたかったのかもしれない。
それはまるで、互いを想いながらも不安定なバランスで成り立つ二人の関係を繋ぎ止めるように。
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