紺碧片のオフェリア
- ナノ -

深淵で舞う花弁


黒の工房の本拠地――光が射さない地下深く。
広過ぎる空間を手分けして探す為に男女で分かれて回っていた。無機質で、地上に出回っている工房製の武器や傀儡が無数並べられていて、アルティナ達のようだが心のないホムンクルスが行く先を阻む。

何て気分が悪い光景何だろうか。
アルティナや、ミリアムのことを思うと胸が痛くなる。
そして更に追い打ちをかけるように自分達の前に立ちはだかった人の様子に、思わず拳を握りしめてしまう。
リィンとヴァリマール、そして剣となったミリアムが居ることを考えると、少人数でもこの場所を防衛する人間が残っていることは予期していた。
黄昏に関わっている結社か、地精であるジョルジュ先輩か。

しかし、そこに居たのは蒼のジークフリードとして名前も記憶も奪われて役目と偽りの名を与えられていたクロウと同じように――深紅の仮面を付けた先輩だった。


「ふふ、叶うことなら"枷"を外して君達に頬ずりしたい位だが」
「なんかクロウと違って全然変わって無いような気が」
「それとは別に根本的な所で違いがあるみたいですね……」
「えぇ……魂魄の巡り方がクロウさんとは違うというか」
「……。つまり、アンゼリカさんは生きた状態でこうなってるのね。状況を考えると、ジョルジュ先輩が非情になり切れなかったのかしら……」


蒼のジークフリードに聖女や猟兵王と違って紅のロスヴァイセと名乗るアンゼリカは、生者であることを示していた。その仮面は潜在能力を極限まで引き出し、彼女の行動を規定する。
――クロウと違うのなら。救える命がそこに在る。
もう二度と後悔しないように。これがジョルジュ先輩が残した温情であり、クロウの遺体をすり替えた行動に対する後悔が滲んでいる結果だというのなら。

白銀の銃に手をかける。
元々武に長けた先輩であるのに、その潜在能力が引き出されているなら激しい戦闘になるのは承知だ。しかし、新Z組だけ先行できるように後を押して。


「流石はアンゼリカさん……!」
「ん、凄く手強い」
「ふふ、仔猫ちゃん達の熱い想い、胸が高鳴るな」
「あ、あとやっぱりやり辛いわね……」


その実力も勿論だが、普段の言動とほとんど変わらない言葉がやはり、やり辛さを増す。あの仮面を無理矢理剥がすことが出来たらいいのだが、ジークフリードの時と同様、よほどのきっかけがないと難しいのかもしれない。
さあ、そしたらどうする?手を抜いている暇なんて無い。
ただ傷付けるだけでは駄目だ。どうしたら、彼女を目覚めさせられるのか。
そこまで考えた時にやはり脳裏を掠めるのは彼女の友人たちだ。ジョルジュ先輩に、兄のアーサー。トワ先輩に――クロウ。

「……!?」

――突然何かが繋がる感覚に、目を見張る。
温かな光と共に今までは感じることさえできなかったリィンの気配が、すぐそこに在った。
先行した新Z組が、リィンと出会い、きっと言葉を届けてくれたのだろう。
ARCUSを通して初めて繋がった時のように、リィンの心を感じられるのだ。呪いに蝕まれて、呑み込まれていた彼が、リィン・シュバルツァーとして応えられるのなら。

「リィン、貴方が一人で抱える必要はないわ」

何時だって、誰かを想い、自分を犠牲にしてしまう独善とも言える優しさ。
誰かに想われて、重荷を分け合うことを少しだけ理解しきれていない鈍い人。そんな危うさがあるけれど、皆の重心である貴方。
戻ってきなさい、名前を取り戻しなさい。


「行くぞフィー!」
「ラジャ」


フィーとラウラの連携攻撃に、アンゼリカことロスヴァイセは防戦一方になり、その威力に膝を付いた。直ぐに立ち上がって反撃してくるかと思えば、飛び上って彼女は戦線離脱をしてしまう。
彼女の行動に疑問は覚えたが、ここで足止めを食らい続けることを考えたら、好転だろう。例え罠だとしても、この隙にリィンと合流出来るのなら。

アイコンタクトをして頷き、全員戦闘態勢を解いてこの場から離脱する。
長い回廊を進むと、開けた場所に出て、壁にはヴァリマールとミリアムの剣が拘束され、その下の広間には新Z組の姿と、白銀の髪に変わったリィンの姿があった。


「リィン!」

リィンに抱き着いているアルティナの姿が見える辺り、暴走していたリィンを止められたようでほっと胸を撫でおろす。


「よかった……」
「セリーヌも……無事で本当に良かった!」
「エマ、アンタたちもね」


リィンの隣に居た少女は、猫耳が生えてはいたが人の姿になっていたセリーヌだった。彼女もリィンと共にこの黒の工房の本拠地に連れていかれて消息不明になっていたが、暴走を続けるリィンを支え続けていたのだ。
自分を迎えに来て、そして大切に思ってくれる人達の存在に感謝が尽きなかった。全てを自分が抱え込んで、呪いにのまれそうになっても手を引っ張ってくれた人達。
しかし、協力者は新Z組だけではなかった。

――リィンがちらりと後方に視線を向けたことに気付いて、その先に視線を向けて、息を呑んだ。

「あ……」

後方からこの場所に合流してきたのは、結社の一人であるはずの鉄騎隊筆頭のデュバリィと、仮面を付けていないクロウ・アームブラストだった。
記憶を取り戻したことは確認したが、その表情はやはり、ジークフリードの時のような物ではなく、自分がよく見ていたクロウのものだった。


「クロウ……」
「……本当に、久々だな」


思わず呼んでしまったその名前に、クロウは目尻を下げて困ったように笑う。彼はこの絶望的な状況で、不死者という立場もある筈なのにリィンを助けてくれたのだ。
言いたいことは、山程ある。言われたいことだって、山程ある。
ぐっと喉の奥に込み上げてくるものがあったが、今はそんな余韻に浸っている暇は無いだろう。何せ、先程離脱したアンゼリカさんと、男子が戦ったというジョルジュ先輩が居る筈なのだから。


「挟み撃ち……ですか」
「これは不味いな……」


この場にやって来たのは一時的に離脱したジョルジュとアンゼリカだけではなく――クロウとデュバリィが相手をしていたエンネアにアイネス、そしてこの場に最も居て欲しくないマクバーンがそこに居たのだ。
己を取り戻しても鬼化が戻らないリィンの状態に、敵ながら心配しているようだったが、後戻りが出来ない位に、鬼の力が混じり合ってしまったのは事実だった。

何故リィンがそのような状態になったのか――それは十四年前、ギリアス・オズボーンは自分の心臓をリィンに移植したことに起因していた。
その際に、死は免れたが、黄昏を引き起こす真の贄に選ばれたのだ。
アッシュ以上に、帝国の呪いそのものが巨イナル黄昏へと繋げるトリガーとなるために。


「クソが……睨んだ通りかよ」
「あぁ――その通りだ」
「!?」


この場に居なかった筈の低く艶のある声が、その問いに答えた。
リィンの状況に、贄であるという事実を肯定したのはギリアス・オズボーンその人だった。留守にしていた筈のオズボーンにアルベリヒ、そして鋼の聖女アリアンロードまでこの場に揃ってしまった。
状況としては人数を考えると、黒キ星杯での戦いよりも状況は悪いだろう。


「黒のアルベリヒ……いいえ、フランツ・ラインフォルト」
「あぁ、来ていたのかね」


アルベリヒはアリサに視線を向けるが、そこには親子の愛情などまるでない冷たい眼差しだった。アリサを実家に連れ戻してしまえばよかったのに、とラインフォルト家を嘲笑うアルベリヒの言葉は、アリサの胸を鋭利に貫く。
少なくとも今の彼はアルベリヒであって、フランツ・ラインフォルトではないのだ。確かに遺伝的な繋がりはあるとはいえ、彼は他人行儀にアリサ嬢と呼び、突き放すのだ。


「まぁ、己を取り戻したのは一歩前進と言っていいでしょう。我らが果たすべき宿命……忘我の鬼では不足でしたから」
「……それって、騎神の起動者ってこと?」


アリアンロードの姿に、動揺を隠せなかったデュバリィに、彼女は何処までも優しく声をかける。
生き甲斐にもしていたマスターとの対峙、そして自分の離反。許される行為ではないし、主人に対する反抗であることを重々理解していることを謝罪しながらも、自らの意見を彼女は口にする。
主人の行動に疑問を持つことをしなかった今までとは異なり、先の黄昏、世界の滅びには納得できないからこそ、その意味を見出すまでは暇を頂きたいのだと。
デュバリィの決断に、アリアンロードは満足げに微笑み、その申し出を受け入れた。

この場で存分に因縁がある者同士戦い合うのも悪くは無いという挑発に、リィンは首を横に振った。贄として各地の霊脈と繋がっていた身であるリィンには見えてしまったのだ。
他の実力者もこの場所に戻っている最中の様子を。


「新旧Z組に、ヴァリマール……ミリアムの剣も含めて脱出する」
「あ……」
「……そうだな」


この場所に乗り込む算段こそは立てていたが、帰り道に関しては考えていなかった状況だ。しかし、リィンが自我を取り戻した今、ヴァリマールが居ればどうにか道は繋げるはずだった。
希望を見失わないZ組の様子に、オズボーンは低く笑う。全てを取り戻した上でこの場を離脱しようとするZ組のあまりに前向きな姿勢は、その一員であるミュゼの仕込みとは対照的だ。
ミュゼのその手腕は、オズボーンも認めている。何せ全容が見渡せずに、先手を打つことが出来ない状況も初めてだ。
だが、オズボーンにも匹敵する指し手である彼女は間違いなく好敵手であるが、一番の好敵手とは認めていなかった。それは彼にとって、オリヴァルト・ライゼ・アルノールしか居なかったからだ。

「フフ、希望があるからこそ絶望は深いと言いますからな。先ずはこの場における希望を摘み取るとしましょうか」

それまでZ組やクロウ達と戦っていたメンバーだけではなく、アルベリヒにアリアンロードだけではなく、オズボーンもまた剣を抜きとる。
その剣は禍々しい色をした大剣で、異様な雰囲気こそはするが、外の理で作られたものとも異なるものだった。ミリアムの剣とも似ているが、それとは異なる製法で作られたという地精の主に託されるべき物。

全員が臨戦態勢に入り剣を抜いたオズボーンに、クロウは鋭い視線を向けて吐き捨てる。
何せ、彼を殺害して一矢報いる信念に生きて、出し抜けたかと思えば――彼は自分と同じような存在であるようだが、こうして生きているのだから。


「……鉄血の。相克の前に一度くらいは生身でやり合っておきたかったが」
「まあ、勝負はついているだろう。君に風穴を開けられた時にな」
「ちっ……喰えねぇヤツだぜ」


どこが負けた顔なんだか――そんな風に吐き捨てながら、クロウは視線を対峙するマクバーン達に戻し、横に並んだ女性に笑みを浮かべる。


「……フラン、任せるぜ。こんなとんでもねぇ相手に、俺の行動に合わせきれるのは、やっぱりな?」
「……ふふ、任せて頂戴。お互い銃だから、ちょっと勝手が違うとも思うけど」


クロウとリンクを結んだフランは微笑み、白銀の銃を構える。

――フランとこうして連携を結ぶような状況になるのは、一体何時ぶりだろうか。紅魔城で戦った後に共闘こそはしたが、騎神に乗った状態だったことを考えると、彼女はきっと一緒に戦いきれていないことを悔やんでいたことだろう。
それを考えれば、あの旧校舎での試練が最後だった。本当に遠い遠い出来事になってしまった。
何時も、敵対して、信念をぶつけあって。
けれど、だからこそというべきか。フランのことは誰よりも解っているつもりだ。単純な武器による間合いや攻撃パターンだけではなく、連携するという点で彼女がどんな行動をするのかを。

「はは……やっと、背中を預けられるのか」

学生の時から少しだけ、反省していたことだ。
彼女と共に並んで、そして信頼して背中を任せ合う状態で共闘出来たら良かったのに。
お互いの選択に後悔はしていないが、そんな夢は俺だって見ていたのだから。


エマの魔法でマクバーンの炎を抑えて、ガイウスの聖痕とクロウの戦闘能力を考えると凌ぐことは可能だろう。そして星洸陣を発動させたエンネアとエンネア――特にエンネアの遠距離攻撃を考えれば、銃は活かしどころがある。
フランはクロウを見やり、そしてエマとガイウスにアイコンタクトをして頷いた。

激しい戦闘音が各場所から響き渡り、振動を起こす。
デュバリィとラウラを狙うその弓を、フランは正確な射撃で撃ち落として爆発を起こす。そして彼女たちが前線で戦っている間に、ガイウスと槍と剣で交戦するマクバーンを、クロウの攻撃が避けられないように援護射撃をする。
違う種類の銃撃に舌打ちをしたマクバーンは、手に業火を纏わせる。


「はは、ラングリッジの小娘のその盾、改めて砕き甲斐がありそうだ!」
「フラン!」
「……顕現せよ、戦乙女の盾!」


あの盾は、使用者を傷付けて蝕むはずのものだ。
あれを使って、オルディーネの攻撃を受け止めたものの、その消耗が激しかった様子を実際に目の当たりにしている。腕から血を流して、震える膝を立たせて。
引き留めようとするクロウだったが、マクバーンの焔を抑える魔法を展開したエマは「大丈夫ですよ、クロウさん」と声をかける。


「今度は、守らせて」
「――」


穏やかな顔で、俺を振り返った彼女は笑った。
展開した盾で、焔を受け止める。エマによって焔の威力は弱められているとはいえ、拮抗する衝突に、フランは奥歯を噛み締めて足に力を込める。
そして、焔は弾ける。魔術で展開された障壁も砕ける。障壁はガラス片のようにばらばらと崩れ落ちるが、それはあまりにも綺麗な、花弁のようだった。


「――クロウ!」
「……あぁ!食らいやがれ、クロスリベリオン!」


フランが防ぎ切ってくれたそのチャンスを生かさない訳にはいかない。
銃を両手に飛び出して、衝撃波をがら空きになったマクバーンにぶつける。
俺が見ない内に、本当に成長してる。それが寂しくもあるが、誇らしくもある。


どこも拮抗し、離脱することも出来ない状況。
しかし、この状況を変える心強い味方がこの場に来ようとしていることに、霊脈を通じて視たリィンは気付いていた。
そして、リィンの呼びかけに応じて察したガイウスとエマ、そしてセリーヌが門を開き始める。

転移門を開いていたのはこちら側だけではなかった。蒼の深淵――ヴィータ・クロチルダの歌声が響き渡る。
ヴィータの転移術だけではなく、星杯騎士団の副長の箱が門をこじ開ける。
そこから飛び出して来たのは、二機の飛行艇だ。一機はジョゼット・カプアーが乗る山猫号、そしてもう一機は銀色の船メルカバが現れる。それはガイウスが師であるバルクホルンから受け継いだものだ。
転移術で広間に降り立ったのはアガット、ランディ、クロチルダ、それに最強と名高いオーレリアがこの場に現れたことで一気に形勢は変わる。


「こんなタイミングで来てくれるなんて……!」
「美味しい所持って行きすぎだろ!?」


クロウはオルディーネを呼び出し、引き攣池ているその間にリィンはヴァリマールにセリーヌと共に乗り込む。
核を傷付けられたヴァリマールは反応を示さないが、リィンと同調した彼は再び起動し、同じく囚われていたミリアムの剣を取り戻す。

この状況にアルベリヒは憤りながらも、贄である事実は変わらないのだと嘲笑う。
起動者全員に課せられた逃れることの出来ない宿命――それが待ち受けていることはリィンも理解していた。だからこそ、世界の滅びと共に行われるその儀式《七の相克》を起動者として戦わなければならないことも。


「それでも俺は抗うと決めた。かけがえのない仲間や教え子たち……Z組や協力者達と共に。ミリアムの魂に報いる為にも――何よりも、俺が、俺自身である為にも!」


その在り方こそが、どれだけ絶望や呪いという運命に翻弄されながらもリィン・シュバルツァーを形作っているのだから。
リィンの言葉に、新旧Z組は頷く。彼自身だけで抱えるものではなく、仲間と共に示していくものだと、彼が言ってくれたことに意味があった。

クロチルダを起点に、転移術を起動させて、工房からの離脱を行う。
地の底から飛び出した先に広がっていたのは、地平線。どこまでも綺麗な明け方の光だった。