紺碧片のオフェリア
- ナノ -

心残りに薔薇を加えて


別れを経た上で、帰って来るものも沢山ある。
整理をする時間という物も、必要な時が人にはあった。
それは前へ進んでいく為に、必要だったのだ。


相克の場を妨害していた魔導障壁発生器を詰み込んだガルガンチュア級飛行要塞での作戦によって、アリサの元に漸くしがらみから解放されたシャロンが。
すぐに合流する訳ではないけれど、自害をしかけたジョルジュはアンゼリカによって止められて、自らの行いにけじめをつけて。
そして第二の《相克》では、ルトガー・クラウゼルがその役目を全うして、不死者としてではなく一人の親という人としての死を迎えた。

一度は経験したはずの別れを、フィーは噛みしめるように雲海を眺めていた。
覚悟はしていたけれど、父親の手の温もりが、頭に残り続けていた。フランが甲板に出ているフィーに声をかけると、彼女は振り返った。
その瞳には、もう涙は浮かんでいなかったけれど。痛みはすぐに消えるものではない。何時間経っても。何年経っても。
勿論、その人から託されたものが痛みだけではなく、語り尽くせない程に非常に多くの物を与えられているのだが。


「フィー、……ゆっくり休んでいいから」
「ううん、もう大丈夫。……フランと、クロウも大丈夫?」


痛い所を指摘されたフランは苦笑いを浮かべて、自分が慰められることになってしまっていることに肩を竦めた。
不死者である以上、相克が終わったら光となって消えていく。その事実は受け入れているつもりだというのに、実際に目にしたら色々と考えさせられたのは事実だ。


「……きっと。後悔は無いけど、やっぱり寂しくて泣くんでしょうね」
「フラン……」
「クロウと会ってからは自分が強がりだったどころか痛みにも気づかないようにしてただけだって気付いたから。泣き顔、沢山見せちゃってるわね」


悲しいという感情の出し方に蓋をしてしまって、トールズ士官学院に入って仲間と過ごす日々を送るまで。
泣き方さえも分からなかったフランという少女を変えたのは、クロウ・アームブラストであり、12月31日の出来事だった。
このまま相克と全面戦争を止められた後の世界で、一緒に生きていけたら。そんな夢を、どうしても見たくなってしまう自分が居るのだ。


「今はこうして傍に居てくれるけど……クロウにもその時が来る筈だから。勿論諦めきってる訳でも無いけど死んだ人が普通に生き返る訳でも無いことも分かってる……でも。再会してから心残りとしてではなく改めて愛してくれてることに文句は言えないわ」
「クロウって、幸せ者だね」
「?私じゃなくて?」
「ん。とんでもなく果報者」


フィーの言葉に、顔を見合わせてフランとフィーはくすくすと笑った。
国家を揺るがしたテロリストであったクロウという青年が亡くなった後の二年。そしてこれから先も愛し続けるつもりだった人を得られていることにクロウは幸せ者だと周囲に思われているようだったが、フラン本人は全く逆だと自覚をしていた。
頑固な程に一人の人に固執して、どこか心の底で前に足を運んでいく為に依存してしまっている愛情を、それでいいと受け入れられていることに甘えさせて貰っているのだから。



フィーとフランが甲板から立ち去った後、広い甲板にはクロウの用事で各地を回ってきたオルディーネとヴァリマールが着地をした。
リィンはクロウがオルディーネに乗って飛び去ったのを目撃して追いかけただけなのだが、彼が今回各地を回った理由を知って、着いてきて良かったと思うばかりだった。
その話は、休憩室にいたフランにも、クロウ本人から聞かせられる。

誰に悼まれる訳でもなかったギデオン、ヴァルカンの遺品を家族や仲間に届けるという最後のやり残しを。


「クロウが"やり残してた"と思ってたことの一つを出来たならよかったわ」
「……あぁ。俺たちのやったことはどうしようもねぇが、アイツ等はそれでも俺の同志、だったからな。動けるうちに、な」
「……そっか」
「あとの心残りと言えば――」


クロウはそこで言葉を切り、飲み込んだ。

出来る事なら一緒に生きて行きたいと思ったフランを。この手で幸せにすることは出来ないばかりか、またきっと泣かせてしまうことだろうか。

新しいやつを見付けてくれたら、違う幸せがあるかもしれないと以前のように言いたいのに、誰にも渡したくはないという独占欲を、クロウはもう認めていた。
俺以外の奴がフランを愛して幸せにする未来を、想像したくないという傲慢さ。それでも、それはフランを不幸にするという理性。
死ぬ間際だってこれは心残りだったけれど、フランの二年間を知ってより一層強くなってしまう。
だが、クロウが飲み込んだ言葉の先に気づいたフランは、気付かぬうちに拳を固く握りしめていたクロウの手に、自分の手を重ね合わせた。


「心残りだなんて言わないで。そんなの、私だって明日死ぬかも分からないじゃない」
「……おい、その冗談は流石に――」
「ねぇ、クロウ。期限があるからって私がクロウを好きであり続けることを諦める理由にはならないの」
「……っ」


フランの未来を縛らないように、という最後の遠慮は、するすると絡まった糸が解けていく。
あって欲しくはない最悪の事態だが、相克前に誰かが命を落とすなんてことも当然あり得る。フランが必ず明日生きている訳でもないのだと、敢えてフランは指摘したのだ。
幾らクロウが再び命を落とすとしても、貰った愛情を過去の物として引き出しの奥の奥に仕舞うことなんて出来ないのだから。


「正直……多分、クロウが消えるその時、私は理解してたつもりでも冷静ではいられないだろうから。ふふ、泣き虫になったかしらと思うくらいに」
「……フラン……」


どろりと濁りそうになる感情を、何時もこうして隠していてもすくいあげて、そしていとも容易く浄化してしまうのだ。
フランにまた、呪いを残していくことになってしまうのだろう。ただ、ひたすらに前へ進んで欲しいという呪いとはまた別の縛りを。
それでも、フランはそれでいいのだと微笑む。

大きな掌でフランの頭をわしわしと撫でたクロウは、頬の熱さを誤魔化すように天井を仰ぐ。
鼓動がしない筈の自分の胸が煩く跳ねているような気がした。

(悲しい想いで泣かせ続けるのは、性にあわねぇよな)

――クロウは漸く決意を固める。

死者と生者である以上、彼女を縛りきってはいけないと、どこかである一定のラインを超えないようにしていたけれど。
消えてしまう前に。
フランの瞳に喜びの涙を浮かべられるように、決戦の日の前に最高の日をブレゼントしたいと。