紺碧片のオフェリア
- ナノ -

黄昏に溶け込む夢の切れ端


私にとっての一つの奇跡は確かにあの日叶った。
けれどそれが一体何を招いてしまうものなのかも何となく予測をしてしまっていたし、それ以上に喪ったものと絶望は暗い影を落とす。

記憶に焼き付くのは皆を守る為に立ちはだかり、鮮血を散らして宙を舞う小さな身体。
その命と引き換えに剣と変わり果てて、それを手に取り、悲しみに呑み込まれるまま暴走するリィンによって引かれた世界の終末へのトリガー。
呪いは帝都を呑み込み、伝染していく。

巨イナル黄昏の開始と共に役割を失った星杯は崩れ落ちようとしていく中、エマとローゼリアの転移によってZ組は魔女の郷、エリンに命からがら逃れて来た。
ただし、オズボーン達によって連れ去られた剣となったミリアムと、暴走を止められて拘束されたリィンとヴァリマールを除いて。


エリンに吹き込む風は、外の世界と隔絶されたような穏やかなものだった。
戦争という狂乱の舞台に熱を上げる帝国民の勢いは、もはや歯止めが利かない程に増幅され、大きな奔流となる。

「……」

新Z組の三人が目を覚ました後、フランはロゼのアトリエの一室を借りて何とか外の状況を知る為に交信をしようと自分に渡されている機械仕掛けの鳥を撫でるものの、反応がない。
本来なら、これと同じ端末を複数束ねて情報を集めているチェフ・ファーニヴァルに伝わる筈なのに、今は出れない状況なのか、それとも統合端末に何かあったのか。
黒の星杯で引き起こした事態が、それほどまでの影響を帝都を中心に全土に齎していると痛感させられている。

ミリアムを救うことが出来なかった虚しさ――そして彼女が自分の役目を理解した上で身を挺して守ろうとしてくれたその強さに、己が情けなくもなる。
クロウは蘇ったけれど、それが意味をしているものは解っているつもりだ。
まだ六しか揃っていないようだが、七の騎神が揃うのなら――始まるのは七を分ける元となった《巨イナル一》を再錬成することではないかと。
その方法がどうするかは分からない。
それでも、オルディーネを駆る彼がその何らかの儀式を完遂する為に選ばれてしまったというのなら。


「フランさん、ここにいらしたんですね」
「三人でエリンを回ってるの?……病み上がりだからあんまり無理しないで頂戴ね」
「……、フランさんも無理をされているなんてこと、私にも分かります」
「……そうね、二度も経験することは無いと信じてたから、正直ここは凄く……痛いわ。私はまた、繰り返した。目の前で仲間が身を挺して守って。命を落として……見ていることしか、出来なかった」
「フラン、さん……」


胸に手を乗せて力なく微笑むフランに、アルティナは今朝流したはずの涙がじんわりとにじんでくるような感覚に声を震わせる。
そんな彼女を招いて抱き締め、宥めるようにアルティナの頭をそっと撫でる。仲間として、友としての縁以上のものがその人との間にあるのなら、その痛みは前を向いて進む後押しとなるだけではないことをフランは知っていたからだ。


「その、蒼のジークフリード……クロウさんは」
「……リィンを止めに行く寸前に記憶は戻ったみたいだけど、消えた後にクロウがどうしたかは分からないわ。まだ地精の元に居るんじゃないかしら……」
「そんな……」
「啖呵切って戦ったのに、全部この手から零して。……ごめんなさい、そんな弱音を吐くつもりは無かったんだけど」


常に凛としている彼女がその表情に影を落として苦笑いをする姿に、アルティナは逆にフランの背中をそっと撫でる。
クルトはこの時、初めて彼女という人間を誤解していたことに気付いたのだ。
彼女は家での不遇にも屈せずにZ組として内戦でも活躍した強い人だと思っていた。
恋人の死も受け止めて問い質す為にクロウであるジークフリードと対峙して本気で戦うだけの信念の強さを持った人。
それは彼女の表面を見ていただけに過ぎなかったのだ。

――その絶望と哀しみに足を止めてしまっていたZ組が、ユウナに今頃もっと自分を責めてしまっているリィンに手を伸ばしに行かなければ、と渇を入れられて再始動するまで、あと少し。


魔女の郷エリンから遠く離れた地の、地下奥深く。
その地精の本拠地には三人のZ組が揃っていた。一人は剣となって壁に固定される形で拘束され、一人はその様子を眺めながらこれから待ち受ける運命を受け入れて。
そしてもう一人は工房の奥の部屋に名前も理性も無くし、拘束を破壊しようと暴れ続けて。
リィンも放置し、地精の工房から出ようとしないクロウ・アームブラストにやりきれない感情を抱いているのは、同じくマスターと慕うアリアンロードがこの世界の終焉に手を貸していることに疑問を覚えて迷っているデュバリィだった。


「私が言うことでもないですけど、アームブラスト。貴方……あの小娘のことはいいんですの?」
「……あんまり感動の再会を味わっちまうと、辛くさせるのも分かってるからな」
「……」


クロウが示唆した別れの時に、デュバリィは他人事ながらやりきれない感情を抱く。
不死者である彼がこの黄昏で生き返ったけれど、摂理に背いている彼の存在が今後どうなるか。250年の時を生きるマスターのことがあるとはいえ、デュバリィも直感していたのだ。
この青年は、二度も辛い別れを経験させるのなら関わりをあまり持たずに湿っぽくなくならないよう、なるべく彼女を傷付けないようにしたいと考えていることを。


「貴方がそう考えるってことも、あの娘なら気付きそうですけど。何と言うか……今では正されましたが歪んだ騎士道に関しては少々思う所はありましたけど……報われませんわね」
「へぇ、その境遇がちょっと自分と似た物を感じたか。それなら猶更、あんまり生真面目過ぎると悪い男に引っ掛かるぜ〜」
「だ、誰がですわ!」


デュバリィをからかいながらひらひらと手を振って工房内に入って行くクロウは、生真面目でからかい甲斐のある少女を思い出して目を瞑る。
――死者を慕いすぎると、その足を止めることになる。
それは鉄騎隊も同じことであるだろうが、折角二年前に漸くラングリッジ家の二階の窓際で止まっていた世界から歩き出したフランの足を止めさせるわけにはいかない。
何せ俺はもう止まっちまった存在だ。そんな奴のせいでもう一度、今度は悪い方にフランの世界を壊す訳にはいかない。

「……こんな男をずっと愛してくれてるってのに、何も、返せないなんてな」

同じだけの、それ以上の愛情を返しても、二度目の別れは彼女の傷付いた心をもう一度、徹底的に引き裂くだけだ。
フランに対して『ただひたすらに、前へ』という呪いをかけてしまったが故に、フランは傷だらけのまま止まることも出来ずに前へ進むことになった。
好きになった男を忘れて進む融通なんて利かない生真面目で律儀で――愛情深い性格だからこそ、俺の墓に足を運んでは、誰にも零せなかった痛みも悲しみも堪えて。

ジークフリードの仮面をはがす為に、何度だって銃口を向けて来て。
そういう所は変わらない。
あの頃からフランは変わらない。

けど、確かに変わっていたものがある。傷を無かったことにして気付かぬふりをして生きてきた彼女が、それを出来なくなっていたのだから。
仮面越しに見えていたその苦し気な顔と、名前を呼んだ時にフランが零した涙が胸に突き刺さる。
残念ながらそっと手を当てても、鼓動はしない。

クロウはホルスターに仕舞っている金色の銃を触り、或る願望を胸に抱く。
――ただ。もしもリィンを救う為にZ組が乗り込んでくるというなら。
共に武器を偽っていた学生時代の学院祭までしか並ぶことが出来なかった分、もう一度だけ、彼女と並んで戦えたら、と。