Masquerade
- ナノ -

助手という妥協点

――君との出会いは、かれこれ五年前のことだった。
探偵業を始めてからまだ日も浅かったが、ルドガーがまだ少年と呼べる年齢だったからこそ、探偵業を行う際に家を空けてしまうことを、ユリウスは悩んでいた。
ルドガーは家事が得意とはいえ、学生の彼にすべてを任せることに不安を覚えていた。
だが、簡単にお手伝いをしてくれる人を雇える訳でもなかった。何せユリウスが以前のクランスピア社に務めていた時の情報や、探偵業を始めるにあたって、口の堅い人でなければならなかった。
そうなると、なかなか難しかったのだ。クランスピア社での室長をしていた時、嫌に目立ってしまっていた。
ファンクラブというものまで出来上がっていたようだが、大して関心も無かったが、お手伝いを雇いたいとなると、こういう時に困るのだ。
困り果てたユリウスが声をかけたのは、裏家業という意味ではない便利屋に仕事を紹介する仕事をしていたレーグだった。
彼の紹介する人なら間違いないだろうと信じて、そして紹介をされた人が彼の養子だったレイ・ジェイ・#name1#だった。
彼女はユリウスという男の話こそは小耳に挟んでいたようだが、だからと言って特別な興味がある訳でもなかったようだし、人の秘密に対して口が堅く、非常に真面目で、お淑やかな女性だった。緊張したような面持ちで挨拶をしてくれた日のことは忘れもしない。

「初めまして、ユリウスさん。これから微力ながら、精一杯お手伝いさせていただきます」

と、丁寧に頭を下げたのだ。
何故彼女を信頼できると直感的に思ったのか。それは真面目そうな印象だけが理由ではなかった。
レーグにも聞いていたが彼女に余裕がなかったからだ。
それは悪い意味ではなく、自分に出来ることを必死に見つけようとして、取り組もうとしていて、何処か危うく息急いでるようにさえ見えたからだ。
その在り方が、全く違う世界に居るはずの子だというのに、何処か親近感さえ覚えてしまったのだ。こんな男と共通点がある――だなんて、あまりに独りよがりで、相手が可哀想な印象というものだろう。
だが、だからこそ彼女を採用したいと思った。『自分なんかでは務まらない』と過小評価をする彼女を、裏でそっと手を回しながら、逃げられないようにしたのだ。

「すまない、レイ。今日も家事を任せていいか?」
「はい、お任せください。あはは、とは言ってもルドガーの方がめきめきと料理の腕を上げていて私がすることも少なくなってきている気がするんですが……」
「シェフになりたいとも言っていたから、最近は特に勉強もしているみたいでな。俺が家事が出来ない分、小さい時から作ってくれていたからな」
「……素敵な夢です、本当に」
完璧に見える兄は、唯一生活力が皆無という欠点がある。幼少期からユリウスの代わりに、ルドガーが家事を担っていたせいか、彼の料理の腕前は、レイも教わりたいと思う程だった。
だが、彼がその料理の腕前を最初から職に生かしたいと思っていた訳でもなかった。寧ろ、ユリウスの背中を負っていた影響もあり、クランスピア社には居ることを夢見ていた。
ユリウスが、そこを辞めるまでは。
有名な企業であること以上に、兄に憧れている面が大きかったのだ。そんな兄がそこをやめて、探偵業を始めた姿を見ていて、憧れで追うだけの道を見詰め直していたのだ。
ルドガーももう間もなく就職する。
ユリウスはこのアパートに居ていいのだとルドガーに言ったが、彼は独り立ちをすることを決め、事務所の役割も兼ねているこの場所を使ってほしいと兄を気遣ったのだ。
しかし、ルドガーが家を出て行くことが決まったことに寂しさを覚えながらもある疑問がふと脳裏に浮かぶ。
元々、レイがユリウスからの依頼を受けていた理由は、家事を手伝って欲しいという理由は勿論なのだが、ユリウスの留守中にルドガーの理由が強かった。
だからこそ、ルドガーがアパートから居なくなってしまうのなら。自分は?
彼との契約も、ここで切れてしまうのだろうか。

「ルドガーが居なくなると思うと、寂しいなぁ」
「時々顔を出しに来るよ、レイさん。あ、でも店にレイさん達も時々でいいから来て欲しいな」
「勿論!ルドガーが作ってくれるディナーなんて、贅沢になっちゃいそうだね」
「あはは、大げさだよ。でも、喜んでもらえるのは嬉しいな。兄さんと来て欲しいよ」
「……うん」
ルドガーの言葉に、一瞬レイはその表情を曇らせる。
 ユリウスと個人的に店に行きたいとぼんやり思っていても、もしかしたら契約が切れてしまったら、プライベートを一緒に過ごす時間は無くなるのかもしれない。
 彼に対して淡い憧れや――恋心を抱いているのとは別に、友人である。
 ルドガーとユリウスの兄弟の穏やかで温かな日々をレイは愛おしく思っていたし、そこに混ざりたいとは思っていなかった。ただ、隣に居てその時間を、温かさをお裾分けしてもらえることが何より幸せだった。
 そんなレイの無意識な距離感に気付いていたのは、本人以上に、その距離感に頭を悩ませていた男だった。

「彼女に来続けてもらう理由を作るのは、どうしたらいいものか」

ルドガーが居なくなってしまうと、自分だけしか居ないこの家が荒れてしまうから。それもまたかなり説得力のある提案だった。
自分の家事の出来なさはレイも知っているから、自分だけしか居ないこのアパートが荒れて行って、外食ばかりになることを容易に察してくれるだろう。そして、優しい彼女は「お手伝いしますよ」と言ってくれるはずだ。
 だが、ユリウスは言葉選びに頭を悩ませる。「火事が苦手だから、このまま手伝って欲しい」というだけで終わるのは、あまりに淡白というものだ。
 しかし、特別な意味を込めて、レイに自分の傍を離れないで居て欲しいとは、未だに彼女への感情を曖昧にすることを決めたユリウスにはとても言うことは出来ない言葉だった。
――何せ、こんなにも後ろ暗い男が。その視界が霧に包まれて歩む道さえも曇ってしまっている綺麗とは言えない自分が、彼女の綺麗な手を取ってしまうことが、罪深く、そして愚かな好意にも感じていたからだ。

ルルの面倒を見ながらも、レイが来るまではぼんやりと考え込んでいる様子のユリウスだったが、彼女が「おはようございます」と挨拶をしながら、スペアキーで鍵を開けて事務所に入って来たことで、スイッチを切り替える。
レイは何時もと同じように、家事を手伝い、キッチン周りを整理していたが、物が少なくなってしまった様子に、レイは胸に穴が開いた感覚を覚える。
このクルスニク家においては、ルドガーの存在は不可欠だったからだ。例えこの家に居なくとも、二人に問ってルドガーの存在が揺らぐことは無いのだが、彼の生活の名残が減って行って、失くなってしまうことを考えると、切なかった。
キッチンから出て来たレイの浮かない表情に気付いたユリウスがどうしたのかと彼女に問いかけると、レイは肩を竦めて本音を零す。

「ルドガーがこの家を出てから、私も初めて来ますが……何となく、寂しい気がします」
「そう、だな」
「ちゃんと出来ていたかはわかりませんが……ユリウスさんが居ない時はルドガーのお世話をしていたのもあって、寂しいなと。そのお仕事を通じて二人に会えたから」

ユリウスが居ない間の家事の仕事がなければ、そもそもクルスニク兄弟と出会うこともなかったし、こんなにも長く付き合いが続くこともなかったのだから。
 ルドガーが巣立った後は、自分の仕事も――このクルスニク家に来る必要も、無くなってしまうのだろうか。
 理由が無くとも、傍に居たいと思える人達なのに。もう、彼等の空間をお裾分けさせてもらう「権利」がないのだと考えていたレイだったが。
 ソファに座っていたユリウスは、立ち上がり、そしてこの縁を絶やさない為に、提案をするのだ。
 自分の中でのレイという存在がどうあるのかは明確にしないようにしようと誤魔化しているのに、縁を切らす愚は犯さない。

「なぁ、レイ。ルドガーはこの家を出て行ったが……しってのとおり、俺は家事が一切できない」
「ふふ、そうですね」
「あぁ、だから……いや、それもあるが。俺の、友人として。助手として、今後も手伝って行ってくれないか?」

探偵として名を馳せている名探偵の、助手?
 長い付き合いになるが、仕事を手伝った事はなかった。
 彼の仕事ぶりと活躍を知っていると、自分の身には余るような肩書だし、とても満足に務まるとは思えなかったけれど。それでも彼が必要だと望んでくれているのなら、出来る限り、手助けをしたいと思うのだ。
「務まるかどうか……正直、自信はありません。ユリウスさんの仕事を助けられる程のことが『助手』という肩書に相応しい程に出来るかどうかも、分かりません。それでも、望んでくれるなら」
「……はは、勿論」
「私も、精一杯努めます。よろしくお願いします、ユリウスさん」

――ユリウスさんとの縁が、続くのなら。そう、思っている狡い自分は、隠して。助手として。
ユリウス・ウィル・クルスニクという男が探偵を始めてから、分かっていた筈の答えに意図的に『助手』という関係性で蓋をしたのはこれが初めてのことであった。
一年後、その関係性が崩れることは、名探偵にも分かる訳も無かったのだ。

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