朝焼けのスピネル
- ナノ -

キバナと猫の日

※ポケモンの耳が生えてしまうネタなので、ご注意ください。



バレンタインデーが終わった一週間後の2月22日という日にち。
特に何かイベントがあるだろうかと問われれば、エスカには思い当たるものがなく、答えることが出来なかった。
スケジュール帳を見ても、特にリーグやバトルタワーに関する特別なイベントも無いのだ。
ただ、街中では何時もよりもニャースやチョロネコをよく見かけていたような気がした。ただ、それは些細な変化だったからこそ、気に留めるようなことではなかった。

キバナよりも先に帰宅したエスカは、今日のご飯はどうしようかと考えながらうとうととソファに座って眠り込んでしまう。
仕事帰りのこの時間。ゆっくり出来そうな時間があると眠気がぐらりと来てしまうのだ。
それでも、二時間ほど経てばキバナが帰って来るだろうと頭の片隅に残っていたからか、浅い眠りについていたのだが。

頭にむずりとした感覚がして、意識が深くまで落ち切っていなかったエスカは目を覚まし、小さな欠伸をする。
寝ぼけまなこを擦り、目を覚ます為にも顔を洗おうと立ち上がったのだが、既に異変が起きていたことにこの時点では気付いていなかった。

「……、え?」

自分の姿を鏡で確認して、エスカは瞬く。

先ずは自分が夢を見ているのだろうと思って、目を擦ってみる。だが、変わらない。
次に疲れが出ているのだろうかと頬をつねってみる。だが、変わらない。

自分の頭に、二つの毛並みの良い耳が生えていたのだ。

悪戯なゴーストタイプのポケモン――主にユキメノコ辺りが寝ている間にカチューシャでも付けたのだろうかと頭頂部を触ってみるけれど、カチューシャのバンドらしきものがない。
そして恐る恐る耳を触ってみた瞬間に、感覚がしたことに目を開いた。
それと同時にゆらりと臀部で何かが揺れた感覚がして、まさかと生唾を呑んで下に視線を移したエスカは言葉を失った。
耳だけではなく、尻尾が生えている。ゆらりと揺れている尻尾が目に入る。

「……な、なんで……?」

病院やこんな奇病聞いたことが無いし、病院にこの格好のまま行くのは集まる視線的にも辛いものがある。
キバナに連絡を入れようかと考えた所で、彼がまだジムリーダーとしての務めで宝物庫に居ることを考えて手を止める。
緊急事態ではあるのだが、彼の性格上、仕事を切り上げても飛んできてしまうに違いない。
時々、エスパータイプのポケモンによるサイキックでポケモンと人間の精神が入れ替わるだとか、ポケモンの技によって石化してしまう等――未知な症状が引き起こされることがあるのは耳にしたことがある。


「……このポケモンって、ガラルやシンオウには居ないらしいポケモン……だよね」


エスカの耳に生えているのは紫の先がぎざぎざとした猫の耳――エネコロロの耳だった。
ピカチュウになりたいだとか、イーブイになりたいという子供がポケモンの姿を真似た服を事はある。
ゴーストタイプ使いだからこそ、霊的な現象が自分の身に起きているのだろうかと考えてはみるのだが、明確な答えは導き出せない。
困り果てたエスカは洗面所からリビングに戻って来て、膝を抱えてソファに座りこむ。

どうしようかと考えてみるけれど、どうすれば治るのかも分からない。尻尾がゆらゆらと不安に合わせて揺れているのが目に入り、余計に溜息を吐いてしまう。
自分のポケモン達をプレミアボールから出すと、エスカの姿を見たポケモン達は驚いたように目を丸くする。
くすくすと笑うユキメノコとシャンデラを除いて。主人が困り果てていても楽しんでいる様子の二匹に頭痛を覚えながら、一番心配してくれているグレイシアを抱き抱える。


「まったく、貴方たちは本当に悪戯っぽいというか……」
「メノ?」
「どうしたのユキメノコ……って、グレイシア、何時もよりそんな懐いてどうしたの」


抱きかかえて膝に乗せていたグレイシアがごろごろと喉を鳴らして顔を摺り寄せてきて、珍しい反応を見せる。
心配症で気遣い上手だが、凛としたクールな佇まいのグレイシアがこんなにも甘えるのは滅多にないような気がした。
手をぺろぺろと舐めてくるグレイシアを撫でながら、博士になったソニアに『エネコロロってどういうポケモンか分かる?』というメッセージを送る。
すると『エネコロロはホウエン地方とかイッシュ、カロス地方で見られるポケモンだね。決まった住処を持たないけど、気に入った居場所で毛繕いをする気品がある女性に人気のポケモンなんだよね』と、暫くして返ってきた。

「なるほど……特性はどんな感じなのかな」

ふと浮かんだ疑問をソニアに再び送ると『特性はメロメロボディとノーマルスキン。稀にミラクルスキンっていう特性を持ってる子も居るみたいだけど……突然どうしたの?ゴーストとこおり使いのエスカがエネコロロを手持ちにしたくなった?』という返信があり、エスカは固まる。

――メロメロボディ?
いや、まさか、そんな。あり得る訳もない。

試しにユキメノコを手招いて撫でてみるけれど、彼女は何時も通り平然とした顔で気まぐれに部屋の中をふらりと飛んで行ってしまう。
グレイシアを膝から降ろしてみようとするのだが、彼はエスカの腕にしがみついて離れようとしなかった。
こんな反応を見せるのはいよいよあり得ないと気付いたエスカの思考は止まり、身体が固まる。

「……私のグレイシア、オスだから……?」

ポケモンの特性が移るなんて、そんなことあり得るのだろうか。
状態異常なら、一度ボールに戻せば戻るだろうとグレイシアをプレミアボールに戻したエスカは溜息を吐いてソファの背もたれに沈み込んだのだが。


「ただいまエスカー」
「!?」


玄関の方でキバナの声がした瞬間に、エスカは飛び跳ねる。
あと一時間は帰ってこないと思っていたのだが、誤算だった。慌てて耳を隠す為の帽子を探したのだが、目に見える範囲にあったのはキバナのヘアバンドのスペアだけだった。
急いで耳を折り畳むように隠してヘアバンドを被る。
足音が近づいて来て、リビングから見える位置にまでキバナが来た時に、焦りを隠すように真顔で「おかえり」と声をかけてしまう。


「ちょっと今日は早めに上がれ……、……オレのヘアバンド付けてどうしたんだ?」
「え、っと、さっき鏡で見たら寝ぐせがあったことに気付いて……押さえて直そうかな、って」
「突然そういう可愛いことされるとオレ様も心臓にくるっつーか」


自分が居ない所で自分の物を身に付けていることに何も思わない人間が居るだろうかと、キバナは遠い目をしながら淡々としているエスカを見る。
言ってくれたら幾らでも貸すし、何だったらパーカーを着てもらって外に出てもらってもいいのにという欲望が顔を出す。

「ね、ねぇキバナ。ジュラルドンとヌメルゴンを出してもらってもいい?」

だが、エスカ本人は彼の服を借りる云々を深く考えられる余裕が一切なかった。
何せ緊急事態だ。

――自分のポケモンが特別自分に懐いていることを考えると、キバナのポケモンで確かめた方が確実だろう。
キバナは疑問を覚えながらもジュラルドンとヌメルゴンをハイパーボールから出した。
そしてエスカは先ずヌメルゴンに触れて「今日もお疲れ様」と声をかけると、嬉しそうに笑いはしたが、それだけだ。
キバナが持っているメスのポケモンはヌメルゴンだけだった。

あり得ないとは思いつつ、もしも、本当にそうなのだとしたらごめんなさいと心の中で呟きつつ、ジュラルドンに「私とハイタッチをしてみて」と声を変える。
短い手を伸ばしてハイタッチをしてくれたジュラルドンだったが、はっとした表情に変わった刹那。
身体を動かしてエスカに近づいていき、抱き着こうとしてくる。
開いた口が塞がらないエスカは、申し訳なさそうにジュラルドンに謝る。
可哀想なことをしてしまったと謝っている間にも懐いてくっついて来ようとするジュラルドンを宥めるように撫でた。


「さっきからどうしたんだよエスカ?」
「ま、待ってキバナ。私には触らないで」
「おいおい、なんでだよ?」


キバナを制するように手を前に出して拒絶するような反応に、キバナの表情が寂しそうになった。
彼に隠して傷付けるのは不本意ではないと思いつつ、エスカは「驚かないで欲しいんだけど……」と小さな声で呟き、観念したようにヘアバンドを外した。


「……耳?」
「み、見て欲しくなかったんだけど……」


エスカの頭に生えている二つの猫のような耳に、キバナは数回瞬きをする。
カチューシャなのだろうかと思って手を伸ばそうとするが、エスカはキバナに駄目だと言って後ろに飛びのく。
その際に、耳が警戒するようにピンと立って動いたのを、キバナは見逃さなかった。そして、飛び退いたことで、エスカが隠していた尻尾もゆらりと動く。
動き方は本物以外の何物でもなかった。

――マジで?エスカがねこポケモンみたいになってるって?


「耳だけじゃなくてエネコロロの特性が移ってるみたいで……人にはどうか分からないけど、触らない方がいいと思うから」
「エネコロロの特性……ジュラルドンの様子を見る限り、メロメロボディか?」
「そう、みたい……ポケモンにしか効かないかもしれないんだけど一応ね」
「ふーん?なるほどな」
「キバナ!?」


キバナはエスカの腕をがっしりと掴み、それから抱きしめる。
「話を聞いてた!?」という焦るエスカの声とは反対に、キバナは平然とした顔で自分の腕に抱きかかえたままソファに座る。
わたわたと手を彷徨わせてキバナを振り返るが「……特に何も変わらねぇけどな」とキバナは首を傾げて呟いた。
特にエスカに対して好意が変に湧き上がってくるわけでもないし、鼓動も正常だ。だが、ジュラルドンの様子を見ていると、確かに彼女にエネコロロの特性が発生しているのは確かだ。


「人には効かないのか、いやでもそうじゃねぇな多分」
「え……?」
「オレ様が元々エスカを好きだからだろ」


にぱっと効果音が付きそうな満面な笑みを浮かべて、恥ずかしがる訳でもなく、さらりと口説き文句を並べる。

エスカは視線を泳がせて、顔を下げた顔を覗き込んだキバナは、その瞬間を待つ。
口説き文句に対しても淡々とした表情で居るように思われるエスカだが、実はそうではない。
平静を装うとするが、彼女の顔は徐々に、ゆっくりと真っ赤に染まる。
淡々として涼やかに見えるエスカは、本当は内心物凄く照れていることもあるのだと理解してきているキバナにとって、その姿はぞくぞくと胸を騒がせる。

その姿に可愛いと感じるのは、決して特製の影響ではないだろうとキバナは納得する。
何せ通常運転だ。そして好奇心に突き動かされるままに、弄ぶようにエスカの耳を触り始める。


「ひゃっ……!?」
「おっ、耳がぴくぴくして可愛いなー」


びくりと飛び跳ねて逃げようとしたエスカの体をがっしりと捕まえたまま、耳を弄る。
震えて堪えるような姿を見ていると、段々と好奇心が切り替わって冷静になっていくのをキバナは自覚していた。
まるで性交時に見せるような気持ちよさを堪えようとする反応を見て、この異常事態をどうにかしなければいけないという理性とは平行して『この状況を愉しみたい』という率直な欲望も湧き上がる。
手早く博士となったソニアに『人にポケモンの特性とか特徴が出ちまった……っていうか耳と尻尾が生えた場合の治し方ってあるか?エスカがそうなったっぽいんだが』とメッセージを送ってから、エスカの上着を脱がす。
SOSは送った。あとは返信待ちをしてからの判断になる。


「さてと、ソニアに連絡も送ったし。今日はリビングにするか」
「……え?ソニアに連絡したの?それにリビングって」
「何時消えるかもわからないこの状況を楽しまない訳にもいかないかと思ってな」
「!?」
「エスカにメロメロだからなー仕方ないよなー」
「さっき効いてないって言ってなかった……!?」


無邪気な満面の笑みに滲む、雄の本能。
エスカに夢中になっているから――そんな言い訳を盾にして、耳を甘噛みする。
彼女が見せてくれる新しい反応が愉しみだと、ぺろりと口の端を舐めたキバナはエスカの手を服の間に差し込んだ。
体を預けてくる辺り、許してくれているんだろうと感じながら。