ストライプ
- ナノ -

「へっ……」

何という事だろう。

朝起きたらレッドが寝ていた筈のベットはもぬけの殻、昨日作り置きしておいた筈のシチューとパンは減っているし、食器がテーブルの上に残されている。だというのに、それを食べただろう張本人が何処にも居ないのだ。
まさか昨日「そろそろシロガネ山に戻ろうかな」なんて零していたけれど、こんなに急に帰るなんて思わなかった訳で唖然とする。今日帰るにしても私に一言でも声を掛けてから行けばいいのに、どうしてこうも勝手なのだろう。


――と、なったのがつい先日の話だ。

試しにポケギアに何回か連絡を入れてみたけれど、予想通り彼が出ることはなかった。予想は、してたけど。でも今回急に街に来るって言い出して急に戻るって言って。レッドは何の為に一時的にトキワシティに来たのか気になる所だ。
またピカチュウと共にあの寒い雪山で過ごしているのかと考えると、それだけで身震いする。グリーンなら知っているかと思って聞いても、何となくはぐらかせるだけで結局レッドが来た理由は分かっていない。


「どうしたのナマエ、もう直ぐシフト終わるのに浮かない顔して」
「あぁうん、急に遊びに来た幼馴染が急に帰ったとでも言えばいいかな。私もよく分かってないんだけど」
「へぇ……本当に何の為に来たのかしらね」
「そうそう、そこが分からない所なんだよねー不思議な幼馴染だから特に驚きはしないんだけど」
「ふーん、あ、ナマエ。お客さんが来るからレジ付いて」
「分かった」


パートナーがレジに向かってくるお客さんに気が付いたのか、先程までの雑談時間を終えて仕事口調で声を掛けてくる。私も何も疑う事無く素早くエプロンを直してレジに付いたのだが、顔を上げてぴしりと音を立てて表情が固まった。


「だから仕事しなさいよ……!」
「適度な休憩も必要なんだよ。それに昨日あったから今日はジム戦無いし」
「あぁはいはい、言い訳はいいから。というか何で暇だからタマムシデパート来るの」


このやり取りももう何回目になるだろう。グリーンから受け取った商品を精算しておつりを渡したのだが、グリーンは動く気配が無かった。今は後ろに人が並んでいないからいいけど、他のお客さんが来たら邪魔になるのは間違いない。


「何時もお前に会いに来てるだけだよ、悪いか?」
「っ、な、な……」
「え、ちょっとナマエ、今のどういうこと?」
「何で今の聞いてたの!?グリーンも人目を気にして!」


別の作業をしていた筈のパートナーが急に戻ってきて、意味深な会話をしている二人に待ったを入れる。というかグリーンだと分かってて私にレジに出るように言ったでしょ、と言いたくもなるが今はそんな事を突っ込んでいる余裕は無い。
慌てる私を見て笑っているグリーンをじっと見つめていた彼女は、何を察したのかあぁ、と声を上げてゆっくりと頷く。


「もてると噂のグリーンさんが何時までも彼女作らなかったのってそういう理由があったからですか。何一丁前にグリーンさん待たせてんのよ、ナマエ」
「そ、れは色々理由があったからで……というかグリーンも人の事言えないんだけど」
「うっせ、お互い様だろ。そろそろシフト終わるよな?」
「あーうん、あと五分くらい……」
「もう上がらせるんで引き取っていって下さい」
「え!?」
「悪いな、サンキュー」


背中を押されてレジを追い出されたかと思うと手で追い払うようにあしらわれてしまい、呆然としているとグリーンに手を引っ張られてレジから離れていく。

気遣ってくれてるんだろうけど、何か違うと思うんだけど。釈然としないまま渋々エプロンを外してカバンにしまい、横を歩くグリーンの脇腹を小突く。
私がここにバイトに来ている日は一週間の半分に満たないし、朝早くに行って夕方には戻って来れるのにグリーンはジム戦が入っていない限りグリーンはトキワシティから離れたタマムシシティに足を運ぶ。


「バイト終わったら直ぐに帰るし、わざわざ来なくてもいいのに」
「俺からしてみればずっとトキワに居てもらいたいけどな」
「え……嘘でしょ」
「何でこんな事で嘘言わなきゃなんねぇんだよ。まぁ、っていうのは俺の我侭に違いないな」


今まで気付かなかった私も私だけど、最近グリーンは案外押しが強いというか恥ずかしくなるような台詞もさらっと言えるタイプだと気付いてしまった。無意識にやっている節があるから腹立たしい限りだ。無駄に格好いいとはまさにグリーンのような人を言うのだろう。


「でも私も少しは稼がないと生活できないし」
「いや、だから俺の家があるだろ。それに俺、一応ジムリーダーだし」
「……ちょっと待って、色々整理させて」


突然の事に頭が付いていかず、ただ混乱するばかりだ。急に頭の回転が鈍くなってしまったような感覚に眩暈さえする。確かにグリーンはジムリーダーで、悔しいけれど私の何十倍もの収入がある。職務怠慢が目立つから短い時間でも働いているこっちとしては不満だらけなのだけど。あぁもうそうじゃなくて。
今のってどういう意味?まさかとは思うけど。頭に過ぎった考えに、顔が熱くなっていくのが分かった。


「何それ、まるで……」
「ん?期待してくれていい、ってこと」


頭がぷつん、と音を立ててショートを起こしたのが分かった。付き合い始めたのはつい先日なのに展開が速すぎて気持ちが追いつかない。それでもまだ早すぎる、とか思わないのはお互い意識したまま立ち止まっていた期間が途方も無く長かったからだろう。
エリカさんやカスミ、それからワタルに今度会ったら何て言おう。何となく、言ったらカスミ辺りには何の為の愚痴だったの、って怒られそうだ。

躊躇いがちに、手を伸ばしてそっとグリーンの手を握るとぱっと目が合った。吃驚したのか瞳を丸くして瞬きを繰り返している。


「どういう、返事だ?」
「期待してくれていい、ってこと」
「……ぷ、何だよそれ。ったく、俺の真似すんなよ」
「私なりに精一杯頑張った結果の、答えなんだから……、ねぇ、グリーン」
「何だよ?」


嬉しそうに笑ったグリーンに、私の気持ちも晴やかだった。現実的に考えたら先ず家を引き払ってバイトを辞めて、だとか色々大変なのだけど、迷う余地は無かった。あるとしたらグリーンのファンの女の子に嫉妬心を向けられる心配位だ。


「幼馴染として、じゃなくなったけど、あの時の約束って継続可能?」
「あぁ、お前にいいバトル見せるってやつか。むしろお前は止める気なのかよ」
「そうじゃないから聞いたんだって。今じゃ私にとっても習慣みたいになってるからね。どんなバトルをするのか、この先もずっと見ていきたいの」
「……、そういう所は変わんねぇよな。期待通り、絶対いいバトル見せてやるから付き合えよ?」
「出た、偉そうな発言。でも、付き合うよ。言ったでしょ?」


グリーンがトキワジムのジムリーダーになると決めたあの日、私がグリーンに対して言った言葉に違いなかった。それでもあの時とはこの言葉の裏にある思いも、重みも全てが違う。
あの時はグリーンの背中を追いたくて、そして目標を失ったグリーンを傍で支えたいと思ったから言った言葉だった。でも今は、私の少しの我侭も追加された。幼馴染という普遍の関係ではなく、隣に立っていたいという我侭だ。


――それを言ったら、グリーンは気恥ずかしそうに笑って「そんな我侭なら上等だな」と呟いた。


「もしもしレッド?あ、やっと出た!ちょっと聞いてよ」
『どうせ痴話喧嘩でしょ……カスミに言ってよ。俺、日頃からグリーンの惚気話で疲れてるんだから』
「ちょっと待って惚気話って何のこと?」
『グリーンの嫁自慢』
「……は?」

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