氷炎、湖面に浮く。 | ナノ


ぜえぜえと息が上がり肺が酸素を求めている。許されることなら今すぐにでも足を止めて呼吸を整えたいところだが、後ろから聞こえる怒声に近い声がそれ許してくれなかった。

「待ちやがれ○○ーッツ!」

「いーやーでーすーってばッ!!」

後ろを少し振り返ると、ハーレム様の邪悪な笑顔が先ほどよりも近くに見え足のスピードを速めた。少しでも速さを緩めてしまうと一瞬で間合いを取られて捕まってしまうだろう。

任務から帰ってきた彼ら、特戦部隊の人達や師匠さんがわざわざ私に会うために士官学校に来てくれた、と聞いた時はとても嬉しかったが、まさか会う理由が特戦部隊に勧誘するためだったなんて。
まだ戦闘のせの字も知らない私が特戦部隊に入り戦争に参加するなんてできるわけがない。

どたどたと学校の廊下に響く二つの足音に周りの生徒はなんだなんだとざわついているのがわかる。ああ、今の自分、最高に目立っている。すごく恥ずかしい。

「特戦部隊入んねーと、マーカーが師弟の縁を切るっつってたぞー!」

「!?そっ…それは嫌ですけどっ特戦部隊に入るのはもっと嫌です!」

「んだとゴルァーッツ!」

このままでは埒があかない、というより、私の体力が先に尽きてしまうだろう。あまり使いたくなかったが、こうするしかないようだ。
走りながら足元に力を入れた瞬間、踏みしめた部分だけ氷が張り付いた。そしてそこを踏んずけたハーレム様のうおっといううめき声と同時にその場で転倒した音が聞こえる。

「ってて…んだこれ、氷ぃ?…おい○○ッ!覚えてろよテメェーッ!」

私の氷に気づいたらしいハーレム様のそんな叫び声にゾッと背筋が寒くなる。心の中でハーレム様に謝りながらも足を止めることはしなかった。


さて、このまま部屋に帰るのはあまりにも危険すぎるだろう。下手したら部屋が丸ごと吹っ飛んでしまうことも考えられる。こうなったら、特戦部隊の方々が諦めて帰るまでおにごっことかくれんぼを続ける他ない。

曲がり角をまがったその時、ドンという衝撃とともに私の体は後ろに倒れた、と思ったが地面とお尻がこんにちはをする前に体は静止した。どうやらぶつかってしまったその人が私の腕を掴み支えてくれたようだ。なんて強靭な体の持ち主だろう。

「すみません!ありがとうござ……」

その人を見た瞬間、スッと血の気が引いた。黒色のレザーコートを身に包み私の腕を掴んだままジッと私を見おろす彼の姿があったからだ。

「じ…じっGさん…あ、はは…お久しぶりです…」

「……」

「あ、あのー…もう大丈夫ですので、その、手を離してくださると嬉しいなー、なんて…」

「………隊長命令だ」

ああ、ですよね。わかっていた。Gさんが真面目なお方だということは。
引きつった笑顔を浮かべる私の方を見ながらGさんは同情するような表情になった。そして小さくすまない、と呟いた。そう思うのなら手を離してほしいと切実に思う。

相手は昔から優しくしてもらっていたGさんということもあり、あまり手荒なことはしたくない。しかし特戦部隊に入るのはもっと嫌だ。
無線を繋げようとしているGさんを横目にふと、ポケットの中に入っているものを思い出した。幸い、掴まれているのは片手だけだ。左手をゆっくりとポケットに手を伸ばす。

「…Gさんっごめんなさい!!」

「…!?」

シュッと彼の顔に制汗スプレーをかける。驚いたGさんはパッと私の手を離した。それを見計らい彼の脇を通り抜けおにごっこを再開する。グンマくんにもらった制汗スプレーを常備していて本当によかった。ごめんなさいGさん。ありがとうグンマくん。


人通りの少ない、プール施設の裏に息を殺して身を潜める。ここで彼らが帰るまでじっとしてしよう。暗くなる前に帰ってくれると嬉しいんだけど。
ふぅ、とため息をついた時、ガシャンと後ろから音が聞こえて大袈裟に肩を跳ね上げてしまう。もう見つかってしまったのだろうか。恐る恐る後ろを振り返るとそこには見覚えのある顔があった。

「よぉー○○、そこで何しちょるんじゃ?」

「あ…コージくん…」

フェンスを掴むコージくんの姿に安堵のため息を吐いた。おそらくキヌガサくんにご飯を上げている最中だったのだろう。左手にはいつも持っている袋が見えた。
ここにいる理由を言おうとしたその瞬間、身体がひょいと持ち上がる感覚がして情けない悲鳴が口から漏れてしまった。

「はーい、○○ちゃんつーかまえたっと!」

「ろ、ロッドさん…ひっ!ちょっどこ触ってるんですかあ!?」

「んー、A…いやギリギリBか?」

「なっなな何やってるんですかッ!離してくださいーっ!」

後ろから私を抱きかかえるロッドさんの手が私の胸をまさぐるように動いているのがわかった。その感触に背筋がぞわぞわとする。
渾身の力で腕の中から抜け出そうとするがびくともしない。やはり女子供の私と大人の男性の彼とは力の差がありすぎるのだ。

「ちょお、ぬし、○○が嫌がっとるけえ、離してやりい」

「なんだって…わお!学生にしちゃでっけえな君ー!きっと下の方もビッグマグナムなんだろうなあ!ヒュー!プレイボーイ!」

「な…なんじゃこの人…」

いつの間にかフェンスを乗り越えこちらに近寄っていたコージくんにSOSの視線を送るが、彼はロッドさんから距離をとるように少し身を引いてしまった。

こうなったら、やるしかない。本当はすごくやりたくないのだが。

「…ロッドさん、すみません!」

「え?…ッ!!?……!!!」

右足を振り上げ、彼の股間に目掛けて勢いよく振り下ろした。声にならない叫び声を上げ私の体を離した。
股間を抑えながらその場に項垂れるロッドさんとそんなロッドさんを見ながら青ざめているコージくんを横目に私は再び走り出した。



目の前がふらふらとする。何時間も走り回っているのだから、当然と言えば当然だろう。ハーレム様やGさんにも何度も追いかけ回されてもう散々だ。ロッドさんは、あれ以降見ないけど大丈夫なのだろうか。
そろそろ諦めてもいい頃だろう。彼らの執念深さは底なしのようだ。

校舎裏で壁に手をつけて息を整える。明日も訓練があるというのに、体調を崩してしまったらどうしてくれるつもりだろうか。いや、彼らはそういう責任を一切負わない人たちだった。期待しても無駄だ。

ひとつ大きな深呼吸をした時、後ろからザッと地面を踏みしめる音が聞こえた。
恐る恐る振り返った瞬間、見覚えのある紫色が見えたので瞬時に地面を強く蹴り横に倒れる。
私の立っていた場所はあっという間に黒焦げになってしまった。

「久しぶりだな、○○」

「…その久しく会う弟子に向かって本気で必殺技使ってきましたね…?師匠さん…」

「隊長命令だ、仕方あるまい」

「ハーレム様は私の焼死体を持ち帰れと仰せになられたのですか…?」

「口答えをするな。大人しく黒焦げになるか焼かれるか燃やされるか選ばせてやろう」

「・・・どれを選んでも結局燃やされるんじゃないですかっ絶対にい・や・で・す!」

壁を思い切り叩くと同時に厚い氷柱が私と師匠を挟むように迫り出した。
相手は炎、しかも師匠なのだからこんなもの時間稼ぎにもならないだろうが、数秒程度の足止めにはなるはずだ。
私は急いで踵を返し、師匠の方を1度も振り返らずに自分の部屋へと走り出した。



水たまりのできた地面を軽く踏みにじる。マーカーは追いかけることもせず、○○の走り去っていった方向をただ見つめていた。
士官学校に入り、訓練を受けているうちにだんだんと能力の強弱を操れるようになってきているようだな。などと考えていると、ふいにポケットの中の無線機が震えた。

「はい、こちらマーカー」

「おうマーカー、仕事が入ったから帰るぞー」

「…○○はもういいのですか」

「んー…あいつぁ鬼ごっこが得意みてぇだからなぁ~ヘタクソになったらまた来てやろうぜぇ~今度は絶対ぇ捕まえる」

無線越しにしゅるしゅるという音が聞こえた。了解、と告げ無線を切る。そして自分の艦へと足を向ける。
赤色の蝶々たちが無線機の端で小さく鳴いていた。


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