氷炎、湖面に浮く。 | ナノ


アラくんと昼ご飯を食べたあと、私はグッと体を伸ばし立ち上がった。ここ最近、昼ご飯を食べたあとはより早く校舎の立ち位置などを覚えるために士官学校をブラブラとするのだ。
そんなもの、生活しているうちに自然と覚えるものなのだろうが、いかんせん私は場所を覚える、という行為が壊滅的に苦手なのだ。簡単に言うと方向音痴である。
修行している時も何回山で遭難して何回師匠に助けてもらったか。今でもその時の記憶は鮮明に残っている。
なのでこうやって毎日場所を確認して、地道に覚えていくようにしているのだ。学校内で迷子だなんて、これほど恥ずかしいものはない。
昨日は南の方を確認したから今日は北の方に行ってみよう、と思い廊下を歩く速度を早めた。


北の方には野球場やテニスコート、野外バスケ場など、様々なスポーツ用設備が設置されていた。この学校はどこまで豪華なのだろう。今は誰も使っていないようだ。
私は特別スポーツが得意なわけでもないし、ここには用はないかな。と思い踵を返した瞬間、ザプーンという水の音が聞こえた。どうやらプールの方から聞こえてきたようだ。
まさか、こんな時期にプールに入る人なんているだろうか。四月とはいえ、まだまだ肌寒い日は続いている。その音が気になった私は、元いた場所に帰ろうとしていた足を再びプールの方へと向けた。


プールの重い扉を開けると、綺麗なプールサイドが顔を見せた。足跡も水跡も見当たらないあたり、誰も使っていないようにも見えるが、水はしっかりと張られていた。
プールの時期までにはまだまだ日にちはあるというのに、どうして水が張られているのだろう。とぼんやりとプールを眺めているとプールの真ん中のあたりでゆらりと揺れる黒い大きな影が現れた。
あれは一体なんなのだろう。もしかすると、人が浮いているのかもしれない。と思い急いでプールの方へと駆け寄る。
瞬間、ザッパーン!という音と、この世のものとは思えない大きさの鯉が水面から勢いよく飛び出した。
突然の出来事につい甲高い叫び声を上げてしまう。大きな鯉がまた奥深くに潜り込んだと同時に私はへたりとその場に座り込んでしまった。

なんだというのだ。今の未確認生物は。
早くここから逃げ出してしまおう。と思った時、チャプン。という音と一緒に先ほどの鯉が顔を覗かせた。バッチリと目のあった私はつい硬直させてしまう。
鯉は顔を出したまま私の方へとゆっくりと近づいてくる。正直、めちゃくちゃ怖い。この大きさは怖すぎる。もしかすると、私を食べようとしているんじゃないかとそんな想像まで巡らせてしまいゾッと背中が寒くなった。
しかし私のすぐそばまで近づいてきた鯉はそんな仕草を全く見せず、ただ大きな目玉で私のことを見ていた。
私は恐る恐る彼に手を伸ばす。すると鯉は嬉しそうに私の手に自分の体をすりすりと、まるで猫が甘えるようにすりつけてきた。今度は逆の手を差しのべると、彼はひれでペチっと私の手にタッチした。
この鯉、すごく頭がいいのでは。私はポケットに入っていた飴を左手で握りしめ、ずいと両手を差し出す。

「どっちに入っているでしょう」

すると彼はすぐに私の左手をペチっと叩いた。すごい、本当に頭のいい鯉なのだろう。私はいいこいいこと頭を撫でてあげると、彼は嬉しそうに尾びれをバシャバシャと揺らした。
先程まですごく怖かったのに今ではなんだか愛らしさも見えてくる。

「あははっもー濡れちゃうよー!」

「何しとんじゃあ、ぬしゃあ」

突然後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、驚きで水の中に落ちそうになった。
ゆっくりと後ろを見上げると、大きな袋を持ってきょとんとした表情でこちらを見るコージくんがいた。

「コッコココージくん!?なんでっ…」

「そりゃこっちのセリフじゃ、キヌガサくんにメシやろうと思うとったけぇ、ここ来たらぬしゃあがいるもんじゃから」

どうやら、この鯉は彼のペットだったらしい。ああ、今まで忘れていたが、そういえばコージくんと初めて会った時、大きな鯉を連れていた気がする。
ごめんと言って鯉、キヌガサくんから離れプール場から出ようとすると彼はよかったらメシやってみるか、と言われたので好意に甘えることにした。

「しっかし驚いたのぉ。キヌガサくんがわし以外のヤツとあんな風に遊んでいるとこなんて初めて見たわい!」

プールにパンを投げながらコージくんはそう言った。

「え…そうなの?」

私も見よう見まねでプールにパンを投げる。水面に浮かんだパンは次々とキヌガサくんの口の中へと入っていく。

「ほうじゃ。まあ、わし以外にキヌガサくんに近づく輩がおらんかったっちゅーのもあるがのう」

コージくんが最後のパンを投げるとキヌガサくんは、もう終わり?と言ったような表情でこちらに近づいてきた。

「はは…僕も最初は怖かったけど、今じゃすっごく可愛いと思うよ」

「そうじゃろ、そうじゃろぉ!よおわかっとるのお!ちっこいの!」

「○○だよ!そろそろ名前覚えて!?」

コージくんは大口を開けて笑いながらガシガシと私の頭を撫でた。相変わらず力の加減というものを知らない人だなあ。最後にポンポン、と叩くとあんがとなあ。という声が聞こえた。

「なんで、お礼…」

「キヌガサくんは、わし以外に友達がおらんかったけえのお。キヌガサくんは兄弟みたいなもんじゃけえ、ぬしゃあがキヌガサくんと仲良うしてくれることは、わしにとってもげに嬉しいことなんじゃ。」

そう言って人懐こい笑顔を浮かべる彼にそっか。と呟くと私はキヌガサくんの方へと視線を移した。彼も今まで、コージくん以外の人と接したことがなかったのだ。体が大きいから、という理由だけで食われるかもしれない、襲われるかもしれない。勝手にそんなことを言われ人々に避けられ続けた存在なのだ。
ふと、私は昔のことを思い出した


「ねえ、コージくん。また、ここに来てもいいかな?」

キヌガサくんの頭を撫でている彼にそう言うと、当たり前じゃろ!と空いている手で私の頭をガシッと掴みぐりぐりと撫でくりまわした。彼なりのスキンシップだとはわかっているんだけど、かなり痛い。


mae tugi 10 / 26