地球へくるまで



『ダイブ完了、アラートなし。行動を開始してください』

電子音声がして、トレパンはゆっくりと瞳に灯をともした。

辺りは一面の緑だ。所々に白や黄色の小さな花が咲いている。星の少ない夜空には薄い雲がたまに流れている。
低く緩やかな音が延々と続く。

ここは、今回の航路の行き先。地球だろう。

トレパンのブレインでは構築できないほど綿密に作られた世界だ。味覚器に残る二酸化炭素の酸味と酸素の滑りを飲み込む。窒素8割、酸素2割…。温室効果ガスの少なさに関してだけはセイバートロンの大気に似ている。空高くには対流圏、成層圏ーー。

今はそんなことはどうでも良いことだ。トレパンは思いなして周囲を観察した。

上半身を起こして見下ろすと、崖の下に海があった。

断崖の下には砂浜がある。その砂浜へ向かって風は吹く。振り返ると背丈の低い緑に覆われた丘が幾つも連なっていた。丘にはポツリポツリと墓標が散在している。

トレパンは立ち上がる。それから、小さく咳を一度だけした。

立ち上がって耳をすませると下草が風で揺らされる音以外にも聞こえる音がある。

唄だ。短調でスローテンポの静かな唄だ。

トレパンはその唄が墓のどれかからか聞こえているのを知っていた。そして、この世界にあるどの墓にも近づいてはいけないことも勘づいていた。
トレパンの勘は恐ろしいほど当たる。他人の行動パターンを記録し分析した結果の勘なのだから。

雲が途切れ、月の光が強くなる。満月だ。風でざわめいている緑の中にトレパンの影がのびる。

トレパンは月を見上げた。
目的の人物に近づくためにはあそこが良い。
ただ、物理的に近づいては危険だ。トレパンはにぃっと笑った。

「ネェ、オハナシシニキタヨ」

トレパンが呟くのと同時に蛍の群が飛び立つように、仄かな光が走り景色が変わった。


硬い床に小さな椅子が2つだけある部屋だ。
部屋は薄暗く天井は計り知れないほど高い。しかし部屋には窓や扉がひとつもない。
部屋の椅子の片方は空席だ。もう片方には小型機であるトレパンよりも小さなトランスフォーマーの女の子が座っていた。

女の子は5つの人形を持っている。
気づくとトレパンも人形を3つ抱いていた。

「久シブリダネ、ナイトバード」

トレパンが話しかけると女の子は5つの人形を空へ向かって投げた。人形はそれぞれが別の方向へ飛んでいく。人形の着地点がぐらりと歪み、それぞれの意匠が全く異なる椅子が現れる。
デストロン参謀の椅子、落書きだらけの学校の椅子、よく磨かれた医療用の椅子、音符が描かれた椅子。最後の椅子は遠すぎてトレパンにはよく見えなかった。
人形は椅子に座るように落ちた。トレパンに背を向けている人形ばかりだ。女の子のすぐ近くに落ちた人形もある。ただどの人形もけしてトレパンと近い所には落ちなかった。
トレパンはふとカセットロンを模した人形に目を奪われたが、すぐに女の子に微笑みかけた。

「座ッテモイイ?」

トレパンが尋ねると女の子は俯いたままわずかばかり頷いた。
トレパンが腰かけると、女の子はゆっくりと顔をあげた。
女の子は青い瞳を眠たげにトレパンに向ける。

「モウソロソロ、地球へ着クヨ。デモ、暫クハ暇ミタイ」

女の子は興味がないのか青い瞳を閉じようとしている。トレパンは首を傾げてから、思い出したように人形を自分の膝に置き右手を広げた。右手の上で0と1の記号が踊る。
記号は掌で数枚のカードになった。トレパンは空中に浮かぶカードを確認した。カードは紫と赤が混在している。ただ、一枚だけ真っ黒なカードもある。

「今回ハ君ニプレゼントヲ渡シニキタンダ。流れ星、人形使い、魔法の杖、セイレーン。ドレガイイ?」
「……」

女の子が再び瞳を半分ほど開く。トレパンが動かしたカードはどれも紫色のカードだ。
トレパンはカードを両手で広げながらクスクス嗤った。カードはどれもトレパンの方を向いていて、表は女の子には見えない。

「アレ?欲シクナイノ?…警報機モ首吊り男モイルノニ」

女の子が瞳を開いた。2体の人形の椅子が軋んだ音をあげながらトレパンの方を向いた。医療用椅子と学校の椅子に座った人形だ。
トレパンの目が歪に曲がり、口がつり上がる。

「ア、デモ、コレハマダ赤イ奴ダッタネェ。……欲シイ?」
「アタシはいらない」

女の子が初めて言葉を返す。トレパンは大袈裟に肩を落とした。
女の子は大きな瞳でトレパンを捉える。トレパンはゾワリと背筋が凍った。

「でていけ。アタシを起こすな」
「……分カッタヨ」

トレパンはカードをばら撒き、人形を再び手に抱き直す。3つの人形を眺める。トレパンは一番みすぼらしい人形の頭を大切そうに撫でてキスをした。
それから、ゆっくりとうなじの辺りに手を伸ばした。

「ジャアネ」

プツンと、テレビが消えるようにトレパンの姿が消える。




トレパンは瞳を開く。
デストロン第3戦艦タイタニア、中央制御室だ。

メインコンピューターからのびるケーブルには何体かのトランスフォーマーが繋がっている。トレパン以外のトランスフォーマーは焼け焦げたり真っ白に変色したり酷い有様だ。どれも絶命しているのは間違いない。

トレパンはだるそうにしながら首に繋がっているケーブルを乱暴に抜いた。うなじの辺りにあるケーブルとのジョイントから体内循環オイルが床に散った。
傷口を撫でると手にべったりとオイルが付着した。傷口を抑えてメインコンピューターを見上げると、メインコンピューターはいつもと変わらずに疎な光を発しているだけだった。
トレパンは一度瞳を閉じてからメインコンピューターからダストシュートへと視線を移した。
掌の間から絶えず体内循環オイルが滲み出ている。
トレパンは、ダストシュートを眺めながら遺骸の一つを足で小突いた。





トレパンの去った後の部屋で女の子は散らかったカードを拾った。
はじめに拾った黒いカードには本が書いてある。
女の子は興味なさそうにそれを落とした。

「剣も鏡もないなら、いらない」

ナイトバードは独り言を言った。

mae ato
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