今自分の目の前にあるこの海の砂浜のように、景吾を思う気持ちを海にさらわれて消えてしまえばいいと、どれほど思ったのだろう。

「さようなら」と一言呟くのにたくさんの勇気が必要だった。けれどあの時は思っていたよりもすんなりとその言葉は口から出てしまった。
離れたくなかった。傍に居たかった。別れたくなかった。好きだった。愛してた。これからもずっと一緒であると、そう信じて疑わなかった。
――…けれど、運命は残酷ね。

「……婚約が決まった」
「…そう。それはこないだの人と?」
「…ああ」
「そっか」

一年前の今日、この場所で彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。その、端正な顔を歪ませて。

「…ほら、景吾。そんな顔、しないでよ」
「…なまえ」
「分かってたじゃない。こうなることぐらい」
「…なまえ、」
「私は大丈夫だから」
「なまえ」
「全然、大丈夫…っ、」
「……泣くな」

泣かないでくれ、私を力強く抱きしめた景吾。その抱擁から景吾自身のフレグランスが香る。
気づかないうちに泣いていた。大丈夫なわけがない。なのに、泣くな、だなんてずるい。

財閥の一人息子である景吾には、それ相応の婚約者がたくさんいた。にも関わらず彼は、同じ学年で同じクラスの、何か飛びぬけた才能を持っているわけでもない私に恋をした。
最初の頃は幸せだった。何の不安もない、不満もない、ありふれた幸せの中でただ生きていた。景吾と一緒にいることが、とてつもなく幸せだった。
でも、中学、高校になるにつれ、彼と会えることも少なくなってきた。何故なら、彼は財閥の後継者であるから。平凡な私に比べて、景吾は忙しい毎日を送っていた。
両親の決め付けた婚約者候補とのパーティー、次期後継者としての勉学。

そのときまではまだ彼と一緒にいられると思い続けていたのだ。それでも彼は私を愛してくれると。
――ずっと、共にいられると。

けれど、その夢が叶うことはなかった。景吾の婚約者が正式に決まったのだ。
有名な財閥のご令嬢らしいが、私は見たことがない。見ることの出来ない存在、のほうが正しい。

「…―景吾、顔を上げてよ。泣かないで」
「…」
「…私、幸せだったよ。貴方といれたことが、本当に。だから、今度は、未来の奥さんを幸せにしてあげてよ、…ね?」

過去の女のことなんか忘れて。…ううん、本当は忘れて欲しくなんかない。私という存在をいなかったものとされるなんてそんなの嫌だ。でも、彼の為すべき道はもう決まっている。もちろん、私の道も。

「愛してる…っ、この先もずっと、変わらずに」

分かってる、分かってるよ。貴方が痛いくらいに想っていてくれることを。
だって、私も同じだから。いつまでも愛し続けるよ、貴方が幸せになったとしても、ずっとずっと。

「さようなら」

先に発したほうはどちらのほうだっただろうか。
激しいぐらいの接吻と熱い抱擁。痛みなんて感じさせないくらいで、その温かさに涙が零れそうになった。

ザーッという波の音と、涼しい海の風。
それらの中に私は一人、立っていた。
手から滑り落ちる砂。さらさらと零れ落ちるきらきら輝く粒。
もし、私が彼に相応しい家柄と地位と人柄をもっていたならば、


私達の未来もこんな風に輝いていたのだろうか。


title by 確かに恋だった様

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