「さむい」
外に出ると、自然にそう口から出るくらいに、本日の朝はとても寒かった。通学路に咲いた大小さまざまな氷花や所々にある白雪に、目を細めるほど眩しい朝日が差し掛かり、キラキラとより美しい世界を作り出している。
「あ、なまえさんだあ…!」
そんな寒い冬の朝。少し眠たそうな声が後ろから聞こえた。立ち止まり、ばっ っと効果音が付きそうなくらい勢い良く、後ろを振り返る。
「…鼻赤くなってるよ、真波くん」
「うーん。寒いですねえ」
帽子を深く被り、マフラーで口元を隠す彼。私が振り返ったのを見るや否や、ポッケに手を入れたまま、とっとっ と小走りでこちらに走ってきた。危ないよ とそんな声をかけようにも、その前に、彼がちょこんと私の隣に来てしまった。
「こら、ポケットに手を入れたまま走らない!危ないよ!」
「はーい」
一応、注意はする。が、本当に大丈夫なのか。そう思わせるような返事をする真波くんだった。
ふと、改めて彼を見て、「あれ?」ととあることに気付く。
「…ねえ、真波くん。手袋はしないの?」
「あー…」
「忘れてきちゃいました」
本当に、この不思議ちゃんは、大丈夫だろうか。考え込んだすぐ後に、またも、えへへと手をヒラヒラさせ、返事をする彼に、聞いた私がポカンとしてしまう。もしここに荒北くんがいたら、「バァカ」とその大声で、この寒々とした空間を切り裂いているだろう。
「わ、っすれてきたの…!?こんなに寒いのに!」
「えへへ…」
「可愛く言ってもだめ!……ほら!」
やり取りをしてる間も、手をひらひらさせているこの不思議ちゃんに、自身の手にはめてあった手袋をぐい、と差し出す。「え…?」と真波くんの不思議そうな声が聞こえたが、この際気にしていられない。
「え?…じゃなくて!寒いでしょ!?」
「…でも、なまえさんは?」
「私は、良いの!」
「えー、悪いよ」
「悪くないから…!」
朝の通学路で、押し問答である。ここには、あまり人がいないとはいえ、こう騒がしければ、注目の的になるのどはないか と思うぐらいに、お互いの意見を通そうとしていた。しかし、その刹那。「あっ!」と何かに閃いたように、目の前の彼が声をあげた。
「右手袋だけ、借りますね〜。…あ、ちっちゃい」
「え、っ…?」
変わりようがすごい。
私の手袋は、彼にとっては当たり前だが、小さくて。年下の真波くんも、男の子なんだな と改めて思わされた。「うーん…やっぱりなまえさんも女の子なんだね」という真波くんの呟きは、私と同じことを思ったのか、自らの手が入り切ってない手元を見て言った。
「…はい。なまえさん」
「ん?」
それから、すぐ。彼の手袋をつけていない左手が、こちらへ伸びてきて、そして、キュッと優しく包み込むように、私の右手を握った。
彼のつめたく冷えた手が、少し心地良い。
「えっと…?」
「あたたかいですね」
「…じゃなくて、この手は?」
「あれ、ダメでした?」
そう言い、痛くないくらいの力で、先ほどより少し強く、私の手を握る。彼はクスクスと笑ってはいるが、いつもとは違って、どこか真剣な眼差しをしていた。
「だ…っめ!転けたらどうするの!」
詰まりながら出た言葉は、もう少しで彼の瞳に吸い込まれそうだったからか、はたまた照れ隠しのせいか、勢いがあった。
「えー…残念だなあ」と彼の言葉で、手から、あたたかい温もりが無くなる。〈 真波くんが手袋を忘れていなかったら繋げてなかったな 〉とか、〈 転んだら危ないな 〉とか、一気に思い浮かんだが、それよりも先に〈 私も、残念 〉と思ってしまったことは、彼に内緒にしておこう。
寒々しい空気に触れ、冷えていた右手や私の身体全体は、彼のおかげで、ポカポカとしていた。
「なまえさん、行きましょう」
緩い口調で言った真波くんは、気付いているかわからないが、彼の呟いた「残念」という言葉は、私の心をも、温かくした。学校に着いたら、友人達からこのニヤけた顔を、突っ込まれるだろうか。