『今日、うちで試験勉強する?』
なまえからのメッセージがディーターミナルに届いたのは、その翌朝だった。部活の無い休日、二度寝でもしようかと時間の確認のために開いた画面に表示されたその言葉に、慌てて飛び起きる。
すぐに返事を打ちかけて、指を止める。そして、迷いを振り切って返信を送る。ゴチャゴチャ悩んでいたって、仕方ないだろう。
なまえの家に着き家族への挨拶を済ませ、彼女の部屋へと向かった。なまえは俺の葛藤だなんてまるで知らないみたいに明るく「太一が試験勉強サボってるって、光子郎が言ってたから」と、勉強会に誘った理由を話した。
「はぁー?別にサボってねぇっての。ったく、光子郎のヤツ」
「あはは、嘘だよ。でも、せっかくだし一緒にやろーよ」
どこからが嘘なんだ。だけど光子郎があまり細かい事まで話したとは考えにくい。口が堅くて、優しい奴だ。大方、俺がパソコン室に顔を出したって位の事しか言っていないはずだ。
部屋に着いて扉が閉まると、どきりと息が詰まった。キスしようとして拒絶されたのも、この場所だった。
「なまえ。試験勉強の前に、話があるんだ」
教科書やノートを机に並べていた彼女は顔を上げ、俺の目を見るとはっとして手をとめた。真剣な話なのだと察したらしいなまえは眉を寄せ、一歩俺に近付いた。
「え…何?太一、どうかしたの?」
心配そうに瞳を揺らす彼女の肩に手を置いて、真っ直ぐに見つめて話す。
「俺はお前が好きだよ。なまえがもう俺の事、前みたいに好きじゃなくたって、なら仕方ないって割り切れる事じゃないんだ。だから、今度は俺がお前のこと、追いかけるから」
「・・・・え?」
俺の言葉を聞き終えたなまえは小さくそう言うと、思考が停止したように固まってしまった。おい、なまえ?そう名前を呼ぶと、えっ、ともう一度声を揺らした。
「別に、責めてるわけじゃない。たださ、お前は優しいから、俺の事傷つけるような事言えないんじゃないかって」
「…ちょっと待ってよ!私は太一のこと、」
なまえは叫ぶように言ったが、そこで口を噤んだ。
…俺の事、何だよ。その先が聞きたいんだ。嫌なら嫌だって、はっきり言ってほしい。もう、覚悟はできてる。
「…大丈夫だから、本当の事を言ってくれよ。俺、傷ついたりしないから。なまえの本当の気持ちを聞かせてほしい」
「太一のこと…確かに、前みたいには好きじゃない」
覚悟はしてたのに、本人の口から聞くと、目の前が真っ暗になる。
気を遣わせまいと、そっか、と明るく言ったつもりの声はひどく弱々しくて、自分で情け無い。
「太一の事、前よりもずっと好きだから」
ーーーえっ?
驚いて顔を上げると、真っ赤な顔をしたなまえが俺の目の前で瞳を揺らしていた。いつかこの部屋で見たのと同じように、目にいっぱい涙を溜めて。
「なまえ、何言って…ああ、そっか、おまえ俺に気を遣ってそんな事を」
「もう、ちがうってば。私がいつ太一を嫌いになったって言ったの」
「だって…無理って言ったじゃないか、キスしようとした時」
なまえはハッとして、すこし戸惑うように視線を泳がせた。そして、ものすごく恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
「あれは…その…太一がかっこよすぎて…無理。あんな至近距離で見たら…眩しすぎて、目がつぶれる」
・・・は、はあぁー!?
「じ、じゃあこの間、俺の初恋がなまえじゃなかったのに、全然気にしてなかったのは…」
「えっ?…ああ、ロップモンたちと話してた事?あれは、本当にどうでも良いっていうか…太一の初恋が誰でも、私は…太一が好きだから」
そう迷いなく語るなまえは、今にも泣き出しそうに瞳を揺らしている。
…もしかして。この表情は、照れているだけなのか?
「なんだよ、それぇー」
へなへなと脱力する俺に、なまえが慌てて近づく。瞬間、香った優しい匂いに心臓がクラクラして、目の前の彼女を強く抱きしめた。きゃっ、と腕の中で小さな悲鳴が聞こえる。
「…嫌われたかと思ったぞ」
「うっ…ごめんなさい」
「いや…お前の気持ち、信じ切れなかった俺が悪かった。ごめんな」
「ううん。私…太一が何でも気付いてくれるのに甘えて、ちゃんと言葉にしてこなかった。…ごめんなさい」
「なまえ。好きだよ」
「太一…」
ぎゅ。なまえが俺の服を握った。たぶん「私も」ってコトなんだろう。きっといつもこうやって、不器用ながらに表現してくれていた。俺が焦って、見えていなかっただけだ。
だけど、腕の中の彼女と目が合えば、すぐに逸らされてしまう。コイツ、また「無理」って思ってんのかな。しっかし、まさか無理の理由が、かっこよくてって…んな事女子には滅多に言われねぇぞ。なまえってカワイイのに、物好きだよなあ。
「なあ、なまえ」
「…なに?」
腕の中で、籠った声がする。まだ顔は上がらない。
「キスしたいんだけど。『無理』、か?」
悩んでいるのか、暫くの沈黙の後、なまえがゆっくりと顔を上げた。
「…ちょっと太一。何、そのイタズラっ子みたいな顔?」
「なまえの泣きそうな顔、かわいいなぁーって思ってさ。前に見た時はもう二度とさせたくないって思う程ショックだったのに、ただ照れてただけなんだって分かったら、なんかこう…クるものあるよなあ」
「ばかっ、変態っ」
ぽすっとなまえが俺の胸を叩いて、二人でやっと笑った。…やっぱり、笑った顔が一番、すきだ。
その頬をおそるおそる撫でると、彼女は俺の顔をじっと見上げて。そして案の定、目線を逸らした。柔らかい頬は、熱くなっててもおかしくない程真っ赤なのに、何の温度も感じない。俺の手も熱いからだろうか。
顔を近付けると、なまえは涙できらきらと輝く瞳をぎゅっと閉じた。なるほど、こうやって目を閉じて俺の姿が見えなくなれば、「無理」も攻略ってわけだ。俺は小さく笑って、そっと、唇を重ねた。
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