- ナノ -
 
 扉を開けると、意外にも視界に誰の姿も無い。不思議に思った途端、腰から脚にかけてギュッとしがみつかれる感覚。もしかしてと視野を下げるとそこにはやはり、妹である小春の頭があった。

「小春!入ってきちゃダメだって…」
「ジェン兄ちゃん。なまえちゃんもみんなとね、一緒にお食事しましょうってママが」
「え?」

聞き返すと、向こうからお母さんもやってきて「健良。もし良かったら、なまえちゃんも一緒にお夕飯食べて行かない?」って。

「でも…なまえの帰りが遅くなるし」
「帰りはお父さんが車出してくれるって」
「ええ、良いんですか。でも、食べてみたいです、ジェン君のお母さんのお料理」

彼女が遠慮がちにそう言えば、小春がぴょんと跳ねて今度はなまえに抱きついた。彼女も嬉しそうに小春を抱きしめ返す。なんだか羨ましい…なんて咄嗟に思ってしまった自分にびっくりして、慌てて目を逸らした。



ダイニングテーブルにいつもよりもう一脚椅子を増やし、そこになまえが腰を下ろすと、日常がぱっと華やいで見える。
彼女はこの家に何度か来た事があるから、家族のみんなも顔くらいは知っている。だけどこうして食事をしたり、まともに話をする機会は初めてだ。
連杰兄さんや嘉玲姉さんも興味津々になまえを見て、「かわいいね」「健良が女の子連れてくるなんてね」なんて声をかけ、その度にはにかむ彼女の頭で、あのリボンが美しく揺れた。僕はなんだか、誇らしいような、照れくさいような気持ちで、いつもより心なしか豪華な夕食に箸を運んだ。

「なまえちゃん、かわいいおリボンしてるのね」
小春が彼女の髪のそれに気付いて言うと、なまえは嬉しそうに答えた。
「これ、ジェン君からのプレゼントなの」
「へーえ、健良がねえー」

にやにや、なにか言いたげに兄さんと姉さんがこちらを見た。…なんか…嫌だな。なまえへの気持ちや、僕と彼女の関係が、こんな風に揶揄われるのは。


「なまえちゃんってさ、健良の彼女さんなの?」

ーーーそう思った矢先、姉さんが軽い調子で聞いた。
「なまえちゃんはぁジェン兄ちゃんのコイビトよね」って、小春まで訳の分からない相槌をして。

「姉さん!ちょっと、変な事聞かないでよ」
僕の隣のなまえを庇うようにそう言うと、姉さんは「なーんだ、ちがうのか」と口を尖らせた。
モヤモヤと、息苦しい感情が胸の中に広がっていく。
姉さん、そして兄さんも、そんな僕の気持ちには気付かずに話を続ける。

「でもさ、そんだけ可愛かったらなまえちゃんモテるでしょー」
「健良もうかうかしてられないなあ」
「……やめろよ!」

バン、と机を叩いた大きな音に、賑やかだった食卓がシンと静まり返る。小春が泣きそうに顔を歪めている。健良、と父さんが咎めたけど、もう抑えられなかった。

「そんな風に言うの、やめてよ。なまえが困ってるじゃないか!」
「ご、ごめん…」
「もういい、行こう」

なまえの手を引いて、食卓を後にする。小春のぐずる声と、健良があんなに感情的になるなんて、って家族の会話を、背中で聞きながら。


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