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塔矢アキラ/読切

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 二人でイベント会場を出ると、あたたかな風が強く吹いた。わっ、と小さく声をあげると、隣を歩くアキラくんが「大丈夫?」と背中に手を添えてくれた。


「うん、大丈夫。外、こんなに風が強かったんだ。びっくりした」
「そうだね。建物の中にいたのでは、わからなかったよね」

そう言って、私を見て目を細めるアキラくんは、ついさっきまでおそろしい…もとい、真剣な眼差しで碁盤に向かっていた棋士とはまるで別人のようだ。


「アキラくん、私と一緒に出てきちゃって良かったの?」
「うん、今日は現地解散だったから。…それにしても、驚いたよ。棋院主催のイベント会場に、気付いたらなまえがいるんだもの」

びっくりしたのは、私の方である。
親同士の届け物で彼の家に行ったら、アキラくんの忘れ物を持たされたのだ。届けてあげてほしいと頼まれて、おおきな河川敷近くのこの会場に急きょ、地図をにらめっこしながら辿り着いた。

 
 今日のイベントは、一般の囲碁ファン同士の自由対局や物販がメインだが、プロ棋士に指導碁を申し込む事ができるというものだった。
そしてその目玉のひとりが、私の隣を歩いている『塔矢アキラプロ』という事だった。
イベントの存在自体は知っていた。売店にポスターも貼ってあったし。(大きくプリントされたアキラくんの写真と目が合っては、バイト中に何度も照れてしまった)

 売店のお客さん達の話じゃ、アキラくんは普段の対局の他にこういうイベントも引っ張りだこだそうだ。
天才棋士としての実力も充分。その上、アイドル扱いしているような女性ファンから、行洋先生を昔から慕う古参の碁打ちまで、幅広く動員が見込めるとの事。なるほど。教えたがりのお客さん達のお話に、私は内心深く納得をしたのだった。


…まさか、自分も足を運ぶ事になるとは思っていなかったけれど。
考えてみれば、アキラくんがプロとして碁を打つところを直に見るのは初めてだった。
子どもの頃は大会の応援に行ったり、北斗杯なんかは会場の大きな画面で見たりはしたけど。
 突然だったけど…来てよかったな。
好きな人ががんばって姿を見れるのは、こんなにも嬉しい。




「イベント、すごいお客さんの数だったね」
「うん。今日は、倉田さんもいたから」

倉田さん。
売店ではよくお見かけしていた。いつも沢山お菓子を買って行ってくれて、フランクに話しかけてくれて、親しみやすいイメージがあった。
 今日も私の事を見つけると、いつものバイトの延長でスタッフをしに来たと思ったのか、会場内の物販に食べ物が無いからコンビニで買ってきてと頼まれた時は、焦ってしまったけど…。
あの人が碁を打っているところも、初めて見た。…すごいな、プロの世界は。その中で戦うアキラくんは、本当にすごい。
今日ですらプロ棋士達からはオーラをみたいなのを感じたのに、プロ同士の対局はきっともっとすごい迫力なんだろうな。




話をしながらのんびりと歩いていると、突然に視界が開けて、おおきな河川敷と桜並木が広がった。

わぁ、と声をあげて、思わずすぐにアキラくんを見る。

すると、彼はすでにこちらを見ていた。それも、すごく嬉しそうに。

「アキラくん、みて、桜!すごく綺麗」
「ふふ。うん」
「……私じゃなくて!桜をみてってば」
「桜を見て喜んでるなまえが、すごく綺麗」
「も、もう…!私のことなんて、いつでも見れるでしょ」
「今のなまえは今しか見れないよ」
「もう……、頑固」

ああ、もう。アキラくんは今日もまっすぐだなぁ…。
照れ臭くなった私は、桜を見上げるフリをして、彼から目を逸らす。



「なまえも、申し込めば良かったじゃない」
「え…何が?」
「指導碁。せっかく来たのだし」
…本気で言ってる?
ファンの人達の前で、私なんかが?
そんなの、冷やかしも良いところだ。
眉をひそめて彼を見るも、アキラくんはしれっとした表情でいる。…どうやら、本気らしい。

ため息をつくと、彼は不思議そうに自分の頬を掻いた。
…まったくもう。
呆れながら見上げたアキラくんの横顔は、今日も綺麗で。春の空とよく映える。アキラくん、桜の木が似合うなぁ。




「アキラくん……かっこよかったな」
今日の彼を思い出し、ひとりごとのようにそう言えば、アキラくんは「ありがとう」とはにかんで言った。

「碁を打ってるアキラくんは昔から見てきたけど…一般のひと相手でも、って言ったら失礼か。でも、プロ同士の対局でなくても、あんな真剣なんだね」

「最初は、正直あまり気乗りしなかったんだ。なんだか少し、自分の碁の実力以外で呼ばれている気もして。でも今は、大事だと思ってる。囲碁で過去と未来を繋いでいくためには、こういう事が」



また、強い風が吹いた。
桜の枝が無数に揺れて、花と花がぶつかって、サァァッと音が鳴る。

ふいに、アキラくんが私の頭を撫でた。

何かと思ったら、彼の手のひらから薄桃色の花びらが顔を覗かせた。
どうやら髪の毛に付いてしまっていたらしい。
アキラくんと、顔を見合わせて笑う。

私たちは幼馴染だから今までに何度も一緒に桜を見てきた。
なのにアキラくんは、今の私と見る桜は今だけだと言う。


強い風に花が散っても、また来年も咲く。
そうやって繰り返して、桜の木は生きていく。そしてまた、遠い未来でこの桜を見る人達の胸を打つ。
 漠然とだけど、アキラくんがさっき言っていた、囲碁の未来の話に重なる。ささやかな『今』を紡ぐ事が、遠い未来に繋がる。



「こういうイベント、また来てみようかな?」
「ああ。いつでも来たらいいよ」
「じゃあ今度は指導碁、申し込もうかな」
「え、本当?」
「倉田さんに」
「−−−えっ!?」

アキラくんの反応は、想像以上の慌てようだった。「それか、緒方さん?」と重ねて言えば、「なまえ!」と焦ったような声が聞こえてきた。

ふふ。本当、盤面に向かう彼からは、想像もできないな。

これからもきっと、どれだけ長く一緒にいても、初めて知る事がたくさんあるのだろう。
桜は散っても、地面に積もっていく様も綺麗だ。その中を踏み締めて、二人で手を繋いで歩いていく。これからも、ずっと。


桜の木の下
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