- ナノ -

「ーーーなまえ?」

彼の動揺が、耳を寄せた背中からも伝わった。鼻先をくすぐる香りはこんなに懐かしく愛しいのに、もう私にとっての何者でも無いのだ。だけど私は気にも留めないようなフリをして、ぎゅっと背中から抱きしめたまま言葉を続ける。

「この前の事、私が全て間違えているとは思ってない。だけどーーーだから、ちゃんと話そうよ。それでも無理なら仕方ないし、アキラくんには他にも別れたい理由があったのかもしれないけど、分かりたいから。アキラくんが好き。もし叶うなら、これからも一緒に生きていきたいから」

全て言い終えると、心臓がバクバクと鳴った。未練がましい面倒な女と思われるだろうか。もう間に合わない事なのだろうか。アキラくんの次の言葉を待つのが怖かった。
 それは数秒だったのだろうが、私にとってはひどく長く感じられた。
しかし、彼が発したのは、私が全く予期していない事だった。


「ちょっと待って・・・なまえ。別れるって、どういう事?」


ーーーえ?
抱きしめる腕の力を思わず緩める。振り返ったアキラくんの顔には戸惑いの表情が浮かんでいる。しかしそれは、こちらとて同じだった。

「どういう事って・・・アキラくんがこの前言ったじゃない、別れようって」
「えっ・・・誰が?まさか、ボクとキミが別れるという事!?」

これは、いったいどういう事だろう。
あれは私の夢か幻だったのだろうか。
それとも、いま見ているこれがそうなのだろうか?

「だってアキラくんが『キミとの恋人関係はもう終わりにしようと思う』って・・・」
「・・・はあ、成る程。そうか、そういう事・・・」

アキラくんは何か気付いたのか、ああ、と息を吐いて頭を抱えている。
もう、ひとりで解決していないで、私にも分かるように話してよ。だってどう考えたって、お別れ以外の意味なんてありえない言い方じゃない。


「困ったな。今日話そうと思っていたのは、その話の続きで・・・話す為の場所も考えていたんだけど」
そう言うとアキラくんは、どうしてなのか照れ臭そうに頬を掻いた。私は自分だけが分からない事がもどかしく、彼に詰め寄る。
「続きって何?」
「後で言うのではダメかな」
「ええー・・・ダメ、気になるもん。どういう事なのかだけでも、先に言ってくれたって良いじゃない」
「それを言ってしまうと全て話してしまう事になりそうなんだけど・・・ああ、もう、分かったよ」

観念したアキラくんは真っ直ぐに私を見て、そして、次にとんでもない事を言った。







「なまえ。ボクと結婚してほしい」




風のベル
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