- ナノ -


 棋院の売店に、春のゆるやかな風が吹く。心なしかお客さん達の表情も緩い。この季節にはどうやら人をたおやかにする何かがあるらしく、私の悩みの種も、多少慰められる気がする。
 よぉ、と困ったように笑いながら、他の客が居ない事を確認するように店内を見渡しながらヒカル君がレジへ近付く。私も、いらっしゃいませ、でなく、こんにちは、と出迎えた。

「この前は大変だったな。悪かったな、俺のせいで社に勘違いさせちまったから、あんな事にーーー」

“あんな事”というのは勿論、社君が私をヒカル君の恋人と勘違いした事。そして無論、アキラくんが激昂した事までセットである。

「や、気にしないで。ヒカル君は良かれと思ってしてくれた事だったし」
「けどさー、あのあとの塔矢、ものすげームスッとしてさ、おっかねーの何のって」
「でも、誤解はすぐ解けたし」
「ああ。それになまえの手料理食べたら塔矢の機嫌も直ったしな。案外単純っていうか、かわいいトコあるんだな、アイツ。・・・んで、あれからは仲良くやってるんだろ?」

ヒカル君、もしかしてあの日の事を謝りに来てくれたんだろうか。
そして私は彼の質問に、深いため息をひとつ吐いてから答えた。

「実はーーー喧嘩中なの」
「えっ・・・まさか、あの日のせいで・・・?」

首を横に振る。私はすこし迷ってから、懺悔のようにぽつりぽつりと話しはじめる。罪滅ぼしに巻き込んで申し訳ないが、ヒカル君に聞いてほしくなった。

「この前・・・放課後にアキラくんとデートの約束をしていたのだけどね。待ち合わせとかは決めていなくて、アキラくんのお仕事が終わったらケータイで連絡をとる予定だったの。だけどアキラくんのケータイの調子が悪かったみたいで、私の学校に直接来ちゃって・・・」
「あーアイツそういうトコあるよなあ」
「私、友だちに、彼氏がアキラくんだってまだ話せていないのよ。まさか校門で待っているとは思わなかったから、びっくりして。一緒にいた友人に思わず『幼馴染』って紹介しちゃったの」

 はぁ、と、また深い溜息が溢れる。そう紹介してしまった時の彼の、傷付いた顔。思い出すだけで切なくなる。きっと「彼氏」と紹介するべきだったのだろう。
 話を聞いていたヒカル君は、その事でアキラくんがどう思うか想像がついたのだろうか、「あちゃー」と言って苦く笑った。

「だってアキラくんは有名人なのよ。ましてやうちの高校には囲碁部もあるし、恋人ですなんて宣言して並んで帰れる訳ないよ。ーーーそれで、そのまま校門のところに置いて、私はそのまま友だちと帰っちゃって」
「その後は塔矢と話せたの?」
「ううん。駅で待ってみたり、学校に戻ったりお家に行ったりしたけど、会えなくて。あの日からしばらく電話も出てくれなくて・・・だけど昨日久しぶりにメールが来て、今日この後会う事になってるの。・・・私、あの時どう言えば良かったのかな。スキャンダルみたいなのでアキラくんの迷惑になりたくないのに」
「だよなぁ。アイツ、集中すると周りが見えなくなるからなあ」
「・・・でも私、アキラくんの事、傷付けたよね」
「ーーーきっと仲直りできるって!」


私の問いかけに答える代わり、明るくそう言ってくれたヒカル君の事を、優しいなあと思った。私は頷く。一人で落ち込んでいた時より幾らか、心が軽くなっているのを感じながら。



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