- ナノ -

ハルノユメ 2


うんと、たぶんこの辺りかな?
一階の、一番奥の窓。
その下に丁度、水道の管のようなものがあったので、寮の外壁に立て掛けたルックとその管をチェーンで繋ぐ。

すると程なくして、頭上から控えめに窓が開く音がした。見上げると、すこし困ったように眉を下げた彼女が、明るい室内から顔を覗かせている。

「あ、良かった。ここの窓で合ってたんですね〜」
「ほんとに、入る気?」
「・・・名前さんは、嫌?」

一応、彼女の気持ちも確認してみる。・・・すると、「そういうわけじゃないけど、でも、」とさっきも言ってた正論の続きをもごもごと話し始めた。よし、これは"ゴー"だ。名前さんてハッキリしてるから、本当に嫌なら嫌ってちゃんと言うはずだもの。


「よっ、と。お邪魔しますねー」


彼女の小言を聞き流して、窓枠に手をかけて身を乗り出す。窓の下はすぐベッドだったから、オレは窓に腰掛けて靴を脱ぎ、それは手で持ってベッドの上に着地する。

「ちょっと!・・・あぁ、もう。なんでそういう時だけ無駄に、身体能力発揮するのよ・・・。」
「わーい、名前さんの部屋だ〜」

名前さんはなんだかんだ言いながら、外を見渡してから窓を閉め、オレの手から靴を受け取って部屋の隅に置いてくれて。たぶん一緒にいたいって思ってくれてるのは、この人も同じなんだって思ったら胸の奥が疼いた。


初めて入る、彼女の部屋は・・・シンプルに整っていて、だけれどちょっとした小物とかが可愛くて、女の子の部屋って感じがした。

空間全体に、名前さんのやさしい香りが広がっていて。今オレたちが腰掛けているこのベッドで、名前さんは毎日寝たり起きたりしてるんだなぁ・・・。そう思ったら、なぜだか急に緊張し始めてしまう。手のひらに触れているひんやりとした毛布のカバーに、じわりと汗が滲んだ。

いま、好きな女の子の部屋に二人きりなんだって・・・五感で、改めて気づいてしまった。
自分から来たいって言ったけど、この状況って・・・よくよく考えたら、ちょっとヤバいんじゃないか。
その・・・我慢、できるだろうか、色々と。我慢、しなくちゃならないのだけど。



−−−コンコン。



その時。気まずい雰囲気を断つみたいに、部屋の扉をノックする音が響いた。

「え?!だ、誰だろ」
「わー。オレ、見つかったらヤバいです?」
「ヤバイです!!・・・誰が来たかはわからないけど、部屋には入れないで解決するから・・・山岳、そこでおとなしくしててね!」

そう言って、名前さんは慌ててドアへ駆け寄る。すこしだけ開けた扉から、ノックの主と思われる女の子の声で「名前ーっ、きいてよー!彼氏とまたケンカしたの!相談のって!!」と聞こえてきた。
名前さんは「はいはい、とりあえず廊下出るから!」と言い、扉はパタリと閉められた。


・・・ひとりになっちゃった。
名前さん、大丈夫かな。女の子のああいう話って、長くなりそうだよなあ。
こてん、とオレはそのままベッドに横たわる。ふわり、柔らかな布団から洗いたてみたいな香りがした。

っていうか名前さんも、友だちと恋の話とかするんだ・・・意外。でも、そうだよなー、女子高生だもんなー。
・・・オレのこととかも、友だち同士で話したりするのかな?
いっぱい話してくれてたら、いいのに。
オレがバシくんや、部活の先輩たちに名前さんのコト自慢するみたいに。そうやってたくさん発信してよ、キミはオレのもので、オレもキミのものなんだって事。

・・・そんなふうに、ぼんやり考えていたら・・・うとうと、と心地良い睡魔が降ってきて。

オレはそれに逆らったりせず、すうっと眠りの世界へと落ちていった。











「ただいまー、って・・・山岳・・・?」


気持ちの良い眠りのさなか、大好きな人の声でオレはぼんやりと意識だけ先に目覚めた。
名前さんが近づいてきて、オレの眠っているベッドに腰掛けた気配がして・・・でも、あまりに気持ち良く眠っていたものだから、なかなかまぶたが開かなくて。


「・・・寝てるの?・・・今日も練習、がんばってたものね。」

ふわり、名前さんがオレの前髪をやさしく掻き上げた。

・・・すこしだけ、イタズラ心が芽生える。

このまま寝たフリしてたら、彼女はどうするだろう?




「・・・綺麗な寝顔。」


ふふ。オレ、ほんとは起きてるんですよー?
なんだか面白くなってきて、思わずニヤけそうになる顔を必死に我慢してたら・・・名前さんはポツリ、呟くみたいにそう言った。
綺麗とか、名前さんにそんなふうに言われた事は今まで無かったから、なんだかくすぐったいような気分だった。



−−−すると、次の瞬間。


キシ、とベッドが小さく音を立てた。


そして、アゴの辺りに柔らかな髪の感触が掠って・・・まだ目は開けられないけど、これって多分。
名前さんが、オレの隣で横になったようだった。


予想外の展開に、心臓がバクバクと高鳴る。





「んっ・・・さんがく」



甘い声でオレの名前を呼んだ彼女は、オレの制服のセーターの裾を掴んだようで、きゅ、と腰の辺りの生地が引かれる。
そして名前さんは、おそるおそるといった様子でオレの胸元に額を擦り付けた。

−−−まさか彼女がこんな行動に出るとは・・・思ってもみなくて。

いつも主導権はオレだったし、それに照れ屋で素直じゃない彼女は、寝てるオレにだって何もできやしないと思ってた。困って慌ててる様子をすこし楽しんだら、目を開けるつもりだったのに・・・まさか隣に寝て、こんなふうに甘えてくるだなんて。
・・・いや、照れ屋で素直じゃないからこそ。寝てるオレにだからこそ、できたのか。



・・・こんなのって、反則じゃない?!・・・か、可愛いすぎるってば!

オレの心臓はうるさいくらいに高鳴って、胸におでこを付けてる彼女がそれに気付いてないのが不思議なくらいだった。
オレは正直、寝たフリなんかした事を後悔した。
こんなふうに甘えられたら・・・なにもかも、我慢できなくなってしまいそうだ。


完全に目を開けるタイミングを逃したオレに気づくよしもなく・・・名前さんはすこし遠慮がちに、ぎゅっとオレの身体を抱きしめた。




「・・・だいすき。」




嬉しそうに呟いた彼女の、その声が。
ふわふわと甘く香る、髪が。
あたたかくてやわらかに密着する、身体が・・・−−−その全てがオレの理性をぶち壊しにかかって、くらくらと目眩がしそうなくらい、いとしくて、かわいくて、たまらなくなる。


とうとう降参したオレは、彼女の身体を抱いてやさしく頭を撫でる。

ビクリ、名前さんの肩が揺れた。
そして見上げられたうらめしそうな瞳と目が合う。


「・・・・・・・・・・起きてたの?」
「え。もしかして、知っててやってました?」
「んなワケないでしょ?!ばか、どこから起きてたのよ、まさか最初っからじゃないよね?!・・・アンタいつも、うたた寝し始めたら頑として起きないから・・・今も絶対、起きたりしないって思ったのに。ああ、もう〜〜〜」

名前さんは目に涙を浮かべながら、恥ずかしがったり悔しがったり、百面相をしてる。
・・・かわいいなぁ。
ほんと、いろんな表情をみせてくれるようになったよね。
出会った頃にオレが"鉄仮面"って言ったのなんて、今じゃもう嘘みたいだ。

髪を撫でていた手をそっと頬へスライドさせると、それだけなのに彼女は恥ずかしそうに目線を泳がせた。
・・・うーん。
いっそ寝たフリのままでいた方が、素直に甘えてくれたかも?


「・・・ね、名前・・・。さっき言ってくれた事、オレもっかい聴きたいんだけど?さんがく、って呼んで・・・だいすき、ってさ。」
「無理。さっき聞いてたんなら、それでもう良いでしょ。」
「えーっ。なんで、起きてる時は言ってくれないんですか〜。」
「・・・悪かったわね。素直で女の子らしいカノジョじゃなくって。」


・・・あれ。
名前さん、なんかスネてる?
寝たフリしてたのが、そんなに嫌だったんだろうか。

「・・・へんなの。なんにも恥ずかしがる事なんて無いじゃない、オレたち付き合ってるのに。それに、思ったコト言ってくれただけでしょ?」
「・・・あのねぇ、思った事なんでも口にできる山岳からしたら、そうかもしれないけど・・・誰もがアンタみたいに、直感でポンポン言えて生きてるワケじゃないの!・・・恥ずかしいし、私には似合わないよ。それに、年上なのに・・・甘えるのなんて変じゃないかなとか、重たいんじゃないかとか、色々思うっていうか・・・。」
「えー?ばかだなぁ、思うわけないのにそんなこと。嬉しかったよ、すっごく。・・・オレはさ、キミの思ってる事なら、なんだって聞きたいんだよ。しかもそれが、さっきみたいなオレへの気持ちだったら尚更!」
「・・・バカ。・・・でも、確かにそうだね。私も・・・山岳の気持ちなら、なんだって知りたい。」


名前さんはそう言うと、オレのセーターの裾をもう一度掴んだ。
・・・たったそれだけの事で、心臓が跳ね上がる。

彼女を抱きしめたこともキスしたことも、たくさんある。それを思えば、このくらいの距離はなんて事ないハズだ。
・・・でも、ベッドの上で横になってるって、この状況がなぁ・・・。
なるべく意識しないようにしたって、どうしても平常心ではいられない。



「じゃ、言うけど。・・・笑わないでね。」
「・・・笑わない、ですけど・・・珍しいですねぇ、名前さんがこんな素直に応じてくれるだなんて。」
「・・・山岳に、言葉だとか気持ちだとか、もらってばっかりだって思ったから。それに・・・もし私がもっと素直に甘えたりできて、可愛げがあったら。・・・山岳もちょっとは、ドキドキしてくれたりするのかな、って・・・」


−−−素直だとか、可愛げがあったりとか・・・一体、なんの事を言ってるんだ?

そりゃ、言葉で表現してくれたら嬉しいに決まってる。
でも、キミはある意味ですごく素直だ。恥ずかしがって言葉にはできなくても、表情に全部出ちゃってるんだから。
・・・そういうトコが、可愛いって・・・オレは、思うんだけどなぁ。


「もう少し素直に、言葉とかにできたら、・・・山岳も私の事、もっと好きになってくれるかなって、」
「えっと、名前さん?・・・あのさ、オレは、」
「・・・大好き。」


泣き出しそうな瞳で、耳まで真っ赤にして、彼女は・・・そう、言ってくれた。


「あ、あのね・・・、山岳の、全部が好きなの。・・・寝てるトコ、勝手にくっつりたりしてゴメン。もしバレたら引かれるかなとか思ったんだけど・・・寝てる顔見てたら、なんていうか・・・すきって気持ちが、ぶわーって溢れてきて・・・止まらなく、なっちゃって。それで隣に寝たら、山岳の呼吸とか、香りとかがすっごく近くて・・・すきだなって、幸せだなぁって、お、おもってしまって、」



・・・ホントばかだなぁ、キミって人は。
引くわけなんか、ないじゃないか?

名前さんの言葉ひとつひとつに、うれしくって胸がいっぱいになる。
でもそれと同時に、はがゆくて、たまらなくもなる。

・・・オレがどれだけ、キミの事を好きだと思ってるんだろう。
こんなに好きな事、伝わっていないんだろうか。

本当は、抱きしめるだけじゃ足りないくらいなのに。
この気持ちを全部ぶつけたら、キミのこと壊してしまうんじゃないかってくらい、好きで好きで仕方ないっていうのに。
一体これ以上、どうやって伝えろっていうんだろう。




「・・・名前・・・。」


−−−オレがあなたを、呼び捨てにする時。
それは、キミはオレのものだって見せつけたい時。

そしてホントは、それだけじゃない。

キミを、もっとドキドキさせたいとき。
それから・・・キミへの愛しさが、とまらないときだった。

・・・名前さんはたぶん、それに気付いてない。
だって知ってたら、キミはそんなふうに言うわけが無いもの。
オレがキミをこんなに好きな事知ってたら、言えるわけない。





・・・本当は、わかってる。
抱きしめたって、キスしたって、どんな言葉をもってしても足りないのなら・・・それ以上に伝えるすべがあるって事くらい。
オレはまだ大人じゃないけど、もう子どもでも無いのだから。

でも、"その方法"に・・・オレはまだ、気付いてないフリしなくちゃいけない。


前に「キスより先は待ってほしい」って言われた事を律儀に守ろうとか、それだけじゃなくって。
・・・あの頃のオレにとって、"その方法"は今よりもっと気軽な事だった。恋なんてしたのは初めてで、女の子に触れたのも初めてだった。
だから名前さんの事好きって気持ちはもちろんあったけど、正直好奇心の方が大きかったのかもしれない。
・・・けど、今は違う。

だからこそ、だ。
この気持ちをぶつけたいって想いよりも、もっと大切にしなきゃいけない事があるんだと思ってる。
ホント言うと、オレだってもっと触れたくて仕方ないけど・・・でも、決めたんだ。名前さんのこと、うんと大事にするんだ、って。



−−−頭では、わかってる。
だからいつも、自分にストップをかけてる。
・・・なのに名前さん、キミって人は!どうしてそう、可愛い事してくるのかなぁ・・・。



「あ〜〜〜〜〜〜〜・・・もう・・・。名前さんのばか。人の気も知らないでさ〜・・・」
「ごっ、ごめん!ゴメンね本当、キモくて!寝てる人の隣に勝手にひっつくなんて、今考えたらマジでどうかしてる!!」
「・・・もー。そういうのが、わかってないって言ってるのに。名前さんって、天然ですよねぇ」
「はぁ?!アンタに言われたくないっての!」
「・・・ね。もっかい、ききたい。」

オレはもう一度、ぎゅっと名前さんを抱きしめる。
名前さんはわかってるくせに、「なんのこと?」なんて聞くから、オレはお仕置きの意味も込めて唇を押し当てるようにキスをする。
唇を離した後、親指と人差し指で彼女の細いアゴを掴んで持ち上げる。

「だめでしょ、名前。素直になってオレのこと、もーっとドキドキさせるーって、さっき言ってたんじゃないんですか?」
「・・・う、うん。・・・、すき。だいすき・・・っ」
「・・・誰のことが?」
「えっ・・・さ、さんがくのこと」
「うん。オレの目ぇ見て、ちゃんと言って?」
「っ・・・さ、山岳のこと・・・だいすき、です」
「・・・ん。よくできました」



ちゅ、と今度は名前さんのおでこにキスを落とす。


−−−ほんとはね、もっと触れたい。もっともっと伝えたいことも、たくさんある。
・・・でも、今は・・・。
まだ、もうすこし待っててくださいね。


必ず幸せにするから、君のこと。
こんなにかわいくて、優しくて、強くまっすぐな君が・・・オレなんかを、選んでくれたこと。
オレがへこんでるときも、ずっと信じて応援しててくれた事。
オレのそばに、もどってきてくれた事。ぜったい、後悔なんてさせやしないから。



「け、けっきょく私の方がドキドキしてるし・・・あぁ、もう・・・」
「そう?オレも、負けてないと思うけど」
「・・・えっ?・・・山岳も、ちょっとはドキドキしてくれた・・・?」
「んー。さぁ、どうですかねぇ。ところで名前さん、このベッドなかなか良い寝心地ですねー・・・ってわけで、もうひと眠り・・・おやすみなさい・・・」
「は、はぁ?!ちょっと、そろそろ帰んなさいよ!もう夕食の時間で、・・・・・って、えぇ・・・・マジで寝てんの?・・・・・いや、また狸寝入りか・・・・・・?!」



・・・ふふ。

さー、どうでしょうね?


慌ててる彼女の声を聞きながら・・・オレは、名前さんがくれた言葉で胸をいっぱいにさせながら。ふわりと毛布から香る、大好きな人のあたたかさを感じて・・・新しい季節の足音に、やわらかな夢を見るのだった。



キミと出会ってから、もうすぐ・・・二度目の春が、やってくる。






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