- ナノ -

ハルノユメ




今日の練習も終わって、オレは部室前の駐車場のパーキングブロックに腰掛けていた。
ふわり・・・時折、おだやかに風が光っている。そしてその度、暖かな日差しを受けた若葉が翻った。

学校のまわりには背の高い建物も無く、ここは近隣の森から運ばれてきた風がいつも自由にそよいでいる。
箱根路のど真ん中に面しているから、すぐに走り込みにも行ける。それにこの辺りはわざわざ探す必要の無いくらい、坂には困らない。

オレ・・・この学校、すきだなぁ。なんて、じんわりと改めて思った。



・・・ふ、と・・・来月には卒業してしまう、先輩達のことを想う。
先の事はまだわからないけど、オレもロードはずっと続けたい。いつか大学とか行くなら、こーゆう自然の中の学校がいいなぁ。


空を見上げると、まだ夕暮れにはすこし余裕がありそうだ。
今日は日曜日だから、授業の後に練習開始になる平日と違って、部活が終わった時間が早かった・・・のもあるけど、日の入りが少しゆっくりになってきたのかな。さわやかな季節がもう、すぐそこまで来てるって事だ。




「オウ、真波。お前まだ帰んねーのか・・・ああ、名前先輩待ってんのか。」

「あ、バシくん。おつかれさまー。ねぇ、見てよコレ。」


制服に着替えを済ませたバシくんが現れたから、オレはたまたま手に持ってたケータイの待受画面を得意げに見せびらかす。
・・・それは、名前さんと水族館でデートをしたときの、イルカのオブジェの前で撮ったツーショットだった。


「・・・・オレはこれを見せられて、どんなリアクションすんのが正解だ?!」
「えー?バシくん、ちゃんと見た?デートの写真なんだよ、これ。いいでしょ。」
「・・・『名前先輩とデートかよ、いいよな。』・・・これで満足か?ったく。」
「みて、可愛いでしょ?私服の名前。」
「・・・まぁ・・・そうだな。いつもの制服も良いけど、私服だとまたイメージが違うっていうか。」
「だよねー。オレも私服、はじめて見たや。すげー可愛くってさー。っていうか服だけじゃなくって、ずっと可愛くてさー。」
「・・・オイ、このノロケいつまで続くんだ?もう帰っていいか?!」
「バシくん、みてみて。こっちの写真は、イルカショーのとき・・・」
「話聞け、コラ!!」


その時・・・部室の出口から制服姿の名前さんと、泉田さんが出てきた。女子更衣室で着替えてから泉田さんと話をしたいと彼女が言うから、オレはココで待ってたんだ。
名前さん達は、なにか楽しそうに笑い合っている。


彼女が自転車部に入ってから、もう半年以上が経つ。−−−名前さんはもうすっかり、ロードレースとマネジメント業の虜だ。
新キャプテンの泉田さんとは、立場的に話す機会が多いのもあるんだろうけど、トレーニングやなんかの話題はいつも盛り上がってるみたいだった。

そんな姿を見ていると、オレまで嬉しくなってしまう。

正直、ちょっとだけ妬けるけど・・・でもそれは泉田さんだけにじゃなく、ロードにも、マネージャーの仕事に対しても。
もっとオレばっかり構ってくれないかな、なんて・・・さすがにやきもちが過ぎるかな?

・・・けど、それ以上にオレは幸せだった。
好きな人が、好きな事をして嬉しそうにしてるだけで、こんなふうに自分の胸まであたたかくなるものだとは思わなかった。



こうやってオレは、キミの事を好きになってからひとつひとつ知っていく。
まるで坂を登っている時のように胸が高鳴る、生きてるって実感も。
たった一人失っただけで、世界から色が消え失せてしまったかのような喪失感も。
そしてその全てが、人を愛する喜びだって事を。






「あ、さんがくー。おまたせ。」
「銅橋、キミもいたのか。一年生ふたりで、仲良く何してたんだい?」
「泉田さん、名前先輩!オツカレッス!!」
「おつかれでーす。今ね、バシくんにカワイイ写真みせてたんですよー。名前の。」
「へぇ、名前さんの?一体、どんなだい?」
「私の・・・写真って、まさか・・・!?」


ただのツーショットの事なのに、名前さんは真っ赤になって詰め寄る。・・・あー、もしかして他の写真と勘違いしてる?水族館で、照れて赤くなってるトコ勝手に撮ったヤツとか。


「・・・えーっと、たぶん名前の思ってるのとは、違う写真だよ。ホラこれ、一緒に撮ったやつ。」
「ああ、なんだソッチか・・・って、なんで待ち受けにしてんの?それだって充分ひとに見せるの恥ずかしいんですけど。・・・ハァ。まぁいいか、あの恥ずかしい写真じゃなかったんだし。」

「・・・・は、恥ずかしい写真・・・・?!名前先輩の?!」

「やだなー、名前ったら。"アレ"はバシくんにも見せれないよ。あんなカワイイ姿は、さすがにオレが独り占めにしたいもの。」
「・・・・・・。はぁ。もう、帰るよー。・・・泉田、銅橋君、おつかれ。また明日ね。」


泉田さんとバシくんは二人して真っ赤になって、「カワイイ姿って・・・、」「独り占めって・・・?!」って呟いて固まっちゃってる。あ、なんか勘違いしてる。
その様子からすると、脳裏に浮かんでいるのはたぶん、 "男子高校生としては" 健全な想像だろう。・・・結果として勘違いさせちゃったのはオレだけど、名前さんのそんな姿は自分だけが独り占めしてたいオレは、嫉妬の炎がチラつく。たとえそれが、想像の中の姿であっても。


「おつかれでーす。いこ、名前。」


名前さんの手をとって、わざとらしく指を絡める。

・・・あのクリスマスイブの日に、名前さんの名前を初めて呼び捨てにしてから。オレは、その後も時々呼び捨てで呼ぶ事がある。
・・・それは、キミはオレのものだって見せつけたい時にだけ、わざとやってるって・・・名前さんはたぶん、気付いてないだろうなぁ。







名前さんを寮へおくるために二人で並んで通学路を歩いていると、制服のズボンのポケットに入れていた携帯が震えた。片手でロードを押している為、一度彼女の手を離してもう片方の手でソレを開くと、電話の着信だった。

「・・・あ、坂道くんからだ。」
「小野田君?出なよ、せっかくなんだし。私のことは気にしないで」

名前さんがどこか嬉しそうに言うので、オレはお言葉に甘えて通話ボタンを押す。
オレが坂道くんと仲良くしてると、どうしてだか名前さんは満足そうで・・・。変なの。自分と居るときに彼氏が他の人と電話だなんて、普通の女の子なら怒ったっておかしくないのに。





「総北、この前卒業式の練習したんだってさ。」

少しだけ他愛の無い話をして電話を切りそう伝えると、彼女は優しく目を細めた。

「ふふ、部活の事以外も話すんだね。・・・あの日、小野田君と番号交換できて良かったね。尽八さんとの・・・えっと、山神ナントカ・・・」
「うーんと、『山神パーティー』?そうなんだよねー、東堂さんのおかげ。」
「・・・なんでかな。山岳が好きな事してるの私、嬉しくってさ。山の事しゃべってるときとか、小野田くんと話してる時とか。」
「・・・そうか・・・キミも、同じだったんだね。」


オレが呟くようにそう言うと、名前さんは言葉の意味が掴めないといった様子で小首を傾げた。


「何、どういう意味?」
「・・・んにゃ、なんでも。坂道くんとはあれから、たまーに電話するんだよ!えーっと、学校のこととか・・・カレの好きなアニメの事とか。あっ、山神パーティーのときはね、名前さんの事もすこししゃべったよ。」
「わたしのこと?」
「うん。モンブランのこと。」
「・・・・・・・・・。まさかとは思うけど、小野田君に変なこと言ってないよね?」
「坂道くんとあの日登った山に、雪が積もってたから・・・モンブランが白い山のことって、名前さんが教えてくれたんだーって話をしてたんだけど。」
「ああ、そういうコト・・・。なら、いいんだけど」
「もしかして、お菓子食べさせられた名前さんがえっちな顔してた事とか、キスしてたら甘えてきた事、坂道くんにしゃべったとか勘違いしたの?」
「あーーーーーーーーー!?もう?!なんでそういう事、外で言うかな?!」

キョロキョロと、真っ赤になって辺りを見渡す名前さん。
春の近づく穏やかな通学路は、日曜日という事もあって他の生徒達の姿は無い。犬の散歩をしている人や、小さい子を連れたお母さんなんかが疎らにいるだけで、オレたちの話が届いていそうな気配は無かった。

「・・・なんだか今日の名前さん、疑ぐり深いですねぇ?さっきも言ったでしょ、名前さんのとびきりカワイイ姿は、オレだけのものだってば。」
「だってアンタ、何言い出すかわんないじゃん、今だって現にそうでしょ!こっちは気が気じゃないっての・・・」



−−−そんな話をしていたら、今日もあっという間に彼女の寮に着いちゃった。

「じゃあね、山岳。おくってくれて、ありがとー」
「・・・んー。なんか、今日はまだお別れしたくないんだよなー。」
「え?どうしたの、急に。」
「なんだろー。春だからですかね?・・・あ、そうだ!ねぇ、今日はちょっとだけお邪魔させてくれない?キミの部屋にさ。」


そう言って目の前の女子寮を指差すと、名前さんは「そんなの、良いワケないでしょ」と眉間にシワを寄せた。


「いいじゃないですか。オレ、たまーに男子寮なら入る事あるんですよ、でっかい風呂あるから。きもちいいですよねー。あと、東堂さんの部屋で昼寝したり」
「・・・アンタ、そんな事してたの・・・。ダメダメ、男子寮と女子寮じゃワケが違うでしょ!」
「えー・・・。なんかオレさぁ、急にさみしくなっちゃったんですよ。三年の先輩たちが卒業するって事は、いつか名前さんと離れ離れになっちゃう日も来るんだよなー、って・・・」
「うっ・・・さ、山岳クン。その目で見つめるのは反則じゃないかな?!」
「大好きなハコガクとも、名前さんとも、ずっとこのままってワケにはいかないんだなーって・・・さっき、考えてたんです。そう思ったら、もっと一緒にいる時間を大事にしたいなって。・・・ねぇ、だめかな?」
「・・・・・・・・・。・・・まぁ正直、寮生以外の友だちや彼氏を入れてるコは、女子寮にも多いよ?そういう時は寮長にバレないように、お互い様ってコトでみんなでカバーし合いながらやってるけど・・・でも私は、今まで一度もそういうのした事無いし・・・」
「やったぁ、名前さんの初めてをゲットですねー。じゃあオレ、名前さんの部屋の窓の前で待ってるね!中から鍵、あけてくださいねー!」
「は、はぁ?!ちょっと山岳、だめだからね?!」




名前さんの声は背中で聞きながら、オレは玄関の反対側へとルックを押して進む。

たしか前に、一階の一番奥の一人部屋だって言ってた。
オレはうきうきしながら、彼女の部屋の窓を目指した。





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