「わー・・・まさか、名前さんから貰えるなんて」
その日の放課後。
今日はバレンタイン、だけれども実は定期試験の一週間前でもあり、今日から全ての部活動が休止となっていた。
私たちは事前に、今日の放課後は山岳の部屋で二人での勉強会をする約束をしていて。
バレンタインのお菓子も、ここで渡すつもりだった。すこしくらいの雑談なら、試験勉強に差し支えないだろうし。
・・・正直、あんな話の後だから山岳の部屋に入るとき、すこしドキドキしたのだけど・・・気付かないフリしてなるべく、いつも通りを心がける。はじめてのバレンタインに緊張してるんだって、自分に言い聞かせる。
「えへへ。びっくりした?」
「ハイ。名前さんて、こういう可愛いイベントに縁無いかと思ってました」
オイ、この失礼野郎。
山岳は手渡された小さな紙袋から、白いケーキ箱を取り出す。まさか手作りですか?と、なぜだか不安そうに眉を下げてる。そこは、喜ぶ所じゃないのか?
「うん、手作り!ねぇ、早く箱開けてみてよ!」
「自信有り気なのが逆に怖いんですけど・・・よいしょ、っと。おおーっ!これは・・・・・・えーっと。・・・・スクランブルエッグ?」
「なんでよ!?・・・もー、"モンブラン"だってば!」
「へぇ、モンブラン!わ〜、オレ大好物です。でも、なんでですかねぇ。料理が苦手な人に限って、難易度高いレシピに挑戦したがるの」
「ふっふっふ。なんとでも言うが良いわ。今回のはね、見た目より味重視なの!それに、どうしてもモンブランにしたかったんだ。・・・ねぇ、はやく食べてみてよ」
「まるで今までは見た目を重視してたみたいな言い方ですねー。・・・まぁいいか。じゃあ、いただきます!」
すぐに食べてもらう用にと、備え付けておいたプラスチックのフォークで山岳はモンブランをすくう。・・・味見はしたけど、好きな人に手料理を食べてもらうというのは、緊張の瞬間である。
しかし彼は、口元まで運びかけたソレをぴたりと止めてしまった。
「あー・・・そうだ。ねぇコレ、名前さんに食べさせてもらおっかな」
「はぁ?!・・・何言ってんのよ、子どもじゃあるまいし」
「いいから、いいから。はい、あーんっ」
有無を言わせず山岳は口を開け、綺麗に並んだ歯がちらりとのぞいた。
・・・ったく、しょうがないなー。あまり年下扱いしたらヘソ曲げるくせに、なんでこんな時だけ甘えてるんだか。
仕方なくフォークを受け取り、彼の口元へと運ぶ。はむ、とそれを咥える瞬間、上目遣いで見上げられ、すこしドキッとしてしまった。
「ふんふん。・・・あ、おいしーです、コレ」
もぐもぐと頬張りながら、一番聞きたかったその一言を聞けて、私は天にも登る気持ちだった。
「名前さん、すごいや!すっごくおいしいよ、見かけによらず!」
「一言余計ッ。・・・はぁ、でも良かった〜・・・」
「ねぇ、なんでモンブランだったの?さっき、どうしてもモンブランにしたかった、って言ってたけど」
「ああ・・・。えっとね、最初は普通にチョコレートにする予定だったんだけど・・・モンブランって、フランス語で『白い山』って意味なんだって。それ聞いて、山岳にぴったりだなぁって思って。前に、栗のお菓子が好きだとも言ってたし」
「白い山・・・・」
私がそう言うと、山岳は瞳をきらきらさせていびつな形のモンブランを見つめた。そしていっそう嬉しそうな満面の笑みで、もう一度「ありがとう」と言った。
・・・この笑顔は今、私だけのものなんだ。
そう思うと、純粋にただただ嬉しかった。
ファンの女の子からお菓子をもらっていたときの、爽やかな笑顔とは違う。ああいうカオも好きだけど・・・こんな甘い瞳は、私だけに許された特権で。
・・・まぁ、単に山が好きだから喜んでるってのもあるのかもしれないけどね。
モンブラン作りは、ちょっと・・・いや、かなり苦戦したけど、頑張ってみて良かったな。
「・・・オレ、すっげー嬉しい。・・・バレンタインって、こんなに嬉しいものだなんて今まで思わなかったや。名前さんがオレのために作ってくれた、ってだけでも幸せなのにさ、それが『白い山』だなんて!」
「ふふ、喜んでもらえて良かった」
「白い山、かー。あれかな、雪が積もってる山かなー。冬の山もいいよねー、ロードでは登れないけどさ。綺麗だよね、オレもよく写真とかで見たりするんですよ。やっぱりすごいなぁ、名前さんって!」
両手でふわふわと山を形作るように動かしながら、自身のイメージする「白い山」について語り始めた。その様子があんまり嬉しそうなものだから、こっちまで心がぽかぽかしてくる。
「あ、名前さんにも食べさせてあげますね。すっごく美味しいから」
「え・・・いいよ、味見はしたから」
「はい、あーんして?」
そう言って、モンブランを一口すくったフォークを私の口元に差し出す。先ほどの逆パターンだ。
「さ、さんがく・・・いいってば、なんか恥ずかしいし」
「えー、どうして?オレの部屋なんだから、他に誰も見てないよ。それにバレンタインなんだし、ラブラブしましょーよ。はい、口開けて」
「なっ・・・・ん、んう」
やや強引に口へねじ込まれて、私は頬の熱を自覚しながら咀嚼する。山岳はそれをぼうっと見つめながら、やさしく私の左頬を撫でた。
「・・・なんか名前さん・・・えっちだ。真っ赤になってもぐもぐして。口の端にクリーム、ついてるし」
「はぁ!?な、なに言ってんのっ・・・ていうかソレ、全部アンタが原因でしょーがっ」
「・・・ね。オレにも、ちょーだい?」
言うが早いか、山岳は私の口の端のクリームをペロリと舐めた。・・・ふわりとした甘い香りは、私がモンブランに使ったバニラエッセンスだろうか。
−−−かちり、と彼の熱を帯びた視線とぶつかる。
すると今度は口の端ではなく、山岳は私の唇にかぶりついた。
「んっ・・・さ、さんがく・・・?」
「っ・・・名前、」
山岳は口内で私の舌を探り当てて、自身の舌と絡め合うように深い口付けをした。時折、キスの隙間から信じられないくらい甘い声で名前を呼び捨てにされて、その度に脳まで痺れるような感覚がした。
・・・彼はこの頃、私を呼び捨てにする事がある。
無意識なのか...、おそらくあまり深い意味は無いのだろうが、こんなタイミングで呼ぶのは卑怯だと思う。
ただでさえ心臓がやぶけそうなくらいドキドキしてるのに、まるで追い打ちのようだった。
彼の変化は、それだけではなかった。
この頃の山岳のキスは貪るように求めるだけのソレではなく、明らかに私の反応をみている。私が甘い息を漏らした箇所をみつけては、その部分を何度も責めた。
付き合いたての頃の奪うようなキスや、気持ちをぶつけるだけのキスでは無くなっていた。
私を喜ばせる為の・・・気持ちよくさせる為の、キスなんだろうって・・・そう思うと、彼への愛しさで胸が軋んだ。
「・・・さ、さんがく、」
「・・・カワイイ。名前、トロットロな瞳になってる。・・・ね、大好きだよ」
唇に触れた彼の息が、すこし熱を持っているのを感じてゾクリとする。
私は床に置いてあったクッションに座っていたのだけど、腰の力が抜けていってそれだけでは支え切れなくなってきてしまった。
両手をおしりの横に着いて身体を支えると、山岳は私が逃げ出すと思ったのか頬に添えていた両手を私の後頭部に回して、更に深いキスを続けた。
−−−これ以上は、まずい。
リビングにはご家族がいるはずだし、それに今日は元々試験勉強のつもりで来てるのだから。
頭ではわかってるけど、胸いっぱいに込み上げる彼への愛しさはもう、止まらなかった。すきですきで、仕方なかった。たぶんもう、キスだけじゃたりないんだ。
もっと触れたいし、触れてほしい。
・・・本当は、一緒にいられるだけで幸せで。それは、嘘じゃない。
山岳の気持ちはいつも、胸が壊れてしまいそうなくらいに伝わってくる。こんな幸福は、ないと思う。
なのに・・・これ以上の事を求めたら、バチが当たるだろうか。
さっきみたく山について語ってる、ほわほわした笑顔も大好きだけれど・・・
キスしてるときの甘い瞳の、その先を見てみたいって思うのは、欲張りだろうか。彼女の方からこんな事を求めるのは、みっともない事なんだろうか。
・・・もう、約束なんてどうでも良いよ、山岳。
これは、周りの子がしてるから私もしてみたいとか、そんなくだらない好奇心でも見栄でもない。
私はもう・・・ただただ、この先へ進まないと伝らないくらい、あなたへの気持ちがふくらんで止まらないんだよ。
私は思わず、山岳の着ている学校指定の薄黄色いセーターの裾を、キュッと掴む。
「ねぇ・・・山岳。あのね・・・私、もっと・・・」
自分でも信じられないくらいに甘い声で、すがるように彼を見上げる。
「・・・・名前さん。じゃあ・・・そろそろ、しましょうか?」
山岳が、熱い瞳を揺らしながらそう言った。
私はゴクリ、と唾を飲み、ひとつの覚悟を決める。
「・・・うん、いいよ・・・私ね、山岳となら・・・」
「じゃあ、やりましょうか。勉強!」
うん、もう心の準備はできて、・・・−−−って、ええ!?勉強?
赤面している私を他所に山岳は淡々と、床に置いたローテーブルに教科書を出しはじめた。
「・・・あれ?どうしちゃったんですか名前さん、固まって。・・・あ、もしかして・・・何かもっとえっちな事、期待してました?」
「なっ」
「あはは、図星?・・・あ、さては名前さんって・・・ムッツリスケベ、ってヤツですかぁ?」
「はぁ!?だ、だって、山岳の口から、勉強しようなんて言葉が出るなんて思わなかったっていうか・・・」
「あははっ、まぁ確かに。名前さんと初めて会った時は、そうやって怒られてたのはオレの方でしたもんねぇ。・・・でもさ、なんか・・・これ以上したら、止まんなくなっちゃいそうだし」
ご、ごもっとも。
だけどまさか、山岳からなだめられてしまう日が来るとは...!?これじゃ完全に彼の言う通り、ムッツリスケベと言われても反論できない。
・・・ああ。だめな先輩でごめんね。
でも・・・私の期待を知って、どうして山岳はやめてしまったのだろう。
"キスより先はもうすこし待ってほしい"というあの約束は、私が願ったものなんだから・・・私の覚悟が決まれば、彼は喜んで先へ進んでくれると思い込んでた。...うぬぼれだろうか。
正直、ちいさく安心しながら・・・でも、心にもやもやと寂しさも広がりはじめてる。
もしかして・・・
この先に進みたいって思ってるのは、私だけなのかな。
山岳は今はもう、そんな事思ってないの?
こんなにドキドキして、いっぱいになって、もっと触れたいなんて思うのは私だけなの・・・?
ふいに、友人達の声が脳裏をかすめる。
『彼氏の方がしたがるんじゃないの、普通』
・・・そうなんだと思う、きっと・・・"フツウ"は。
男子運動部のマネージャーを始めた私は、男子高校生とはどういう生き物なのか、一緒に過ごしていて前よりはわかってるつもりだ。
部活中は真剣でカッコイイ彼らだけど、ひとたびジャージから制服へと着替えて部室を出ればグラビアだの下ネタだの話してるのを知らないわけじゃない。
山岳だって、興味が無いわけない・・・と、思う。だって前はあんなに、求めてくれてたのだし。
−−−山岳が、"この先"を今望まないのは・・・
私に、魅力が足りないから?
人として好いてくれるけど、女の子としてはドキドキし足りないって事?
ふ、と・・・さっき山岳にチョコを渡してた女の子の姿が思い起こされる。そうだよね、彼の周りにはいつだってああいう可愛くて素直そうな子が、たくさんいるんだ。それに比べたら、私は・・・
・・・いや、良くない事をあまり考えるのはやめよう。
こんなに、幸せなんだから。
山岳はただ、約束を守ろうとしてくれてるだけかもしれないし。
「・・・ようし、やるよ!勉強っ!」
「はあーい。・・・あ、名前さん。ごちそうさまでした、すっごく美味しかったでーす」
「モンブランのこと?それは良かったー。山岳には、色々としてもらいっぱなしだったから・・・ちょっとでもお返しできら良いなって考えてたから」
「なんかさー、どんどん好きになっちゃって、もっともっと食べたくなっちゃうんですよね〜。だから・・・なんていうか、勢いとかじゃなくてちゃんと大事にしたいなーって。・・・心配しないでくださいね。オレ、キミの気持ちもちゃんとわかってるから」
・・・・えーっと。
モンブランのこと、だよね?