- ナノ -

奇跡の鐘 3



「山岳は今まで、全部一人で抱えてたでしょう。インターハイの後だって、一人で泣いてからテントに帰って来たよね。一年生で、初めて出たインターハイで・・・あんな大きな結果を背負うには重すぎるに決まってるのに、絶対に言い訳も、誰のせいにも、しなかった。周りには・・・私にさえ、弱いところはひとつも見せなかった」
「そんなの、当たり前じゃないか。好きな子の前で、カッコ悪いとこなんて見せたくないもの」
「かっこ悪くなんかない」


名前さんは向かい合ったオレの手を握ったまま、ゆっくりと口を開いた。
口調は穏やかだったけど、俯きがちな表情の、綺麗に伸びたまつ毛の奥に輝く瞳が真っ直ぐで、彼女の強さを感じた。


「私がソフト部だった頃は、負けたときはよく人のせいにしてたなぁって。キャッチャーだったんだけど、『あのコースをストライクに取らない主審が悪い』『私のリードは完璧だったのに、応えられないピッチャーが悪い』って。そしたらお兄ちゃんにね、『人のせいにしている内は、絶対に強くなれない』って言われたのよ。あの頃の私は、その言葉の意味がわからなかった。『私はこんなに頑張ってるのに!』って、思ってた。でもさ、山岳は負けた事、誰のせいにもしなかったでしょ」

「・・・だって、あれはどう考えたってオレが・・・。それに、ロードレースとソフトボールは違うし、」

「ううん。"普通の人"は、誰かのせいにするのよ。それが、一番楽だから。でも山岳は、全部自分で背負った・・・それって、すごくかっこいいよ。山岳を見ててやっとお兄ちゃんの言った言葉の意味がわかった・・・だから、"ありがとう"。それまでは、怪我した事さえ『なんで私なの?』って思ってたよ。あなたのした事は、強くなきゃできない事だと私は思う」


そんな風にまっすぐにオレの全て受け入れて、認めてくれるなんて、思ってもみなかった….。
東堂さんもそうだった。受け入れてくれた上で、山を登るのも、ジャージを脱ぐのも、オレの自由なんだと言ってくれた。


「だから私はインハイの後も、山岳の事すごいなぁって思ってた。かっこいいなぁって、思ってたよ。・・・だけど、心配と・・・あと本当は、−−−寂しかった」



彼女の瞳からも、涙がこぼれる。



「山岳は辛そうなときだって、大丈夫ですって笑うだけで。私、そんなに信用ないのかなって」
「ち、ちがうよ、名前さんはなんにも悪くない。あの時のオレは・・・ひとりで前に進まなきゃって思ってたから。それに、そんな事したら余計にキミの迷惑になるって、思い込んでたから」
「私は、山岳が好き」

迷いのない瞳が、まっすぐに見つめる。

「あの時も好きだし、今も好きだよ。これからも、ずっと好きだよ。だから、信じて。・・・ノートに書いたことは、全部本当だよ。嘘じゃないし、ましてや同情なんかじゃない。だからこれからは、私の事もすこしは頼ってよ。好きな人に頼りにされて、迷惑に思う女の子がいると思う?・・・私が、なんのために一緒にいるのよ」




名前さんが、頼ってほしいって思ってるなんて・・・オレは、これっぽっちも気付かなかった。


−−−それに、『これからは』・・・って。
まだオレと、一緒にいてくれるって事だろうか?



「山岳に、もっと頼ってもらえるように私も頑張りたいんだ。私が心配したり寂しがったりしてたのが、全部出ちゃってたから・・・そんなんじゃ山岳は頼りたくたって、頼れないよね。・・・ずっと、ひとりで戦ってたんだよね。それに勘違いとはいえ、距離を置いたのって私の為を想ってしてくれた事だったんでしょう?・・・それがわかって、すっごく安心したよ。本当のこと話してくれて、ありがとう」



名前さんはそう言うと、両腕をいっぱいに広げてオレを抱きしめた。


名前さんから抱きしめられるのなんて、初めての事だった。
付き合ってた頃、名前さんは自分からスキンシップのような事をしてくる事はほとんど無かった。


−−−ぎゅう、と抱きしめる彼女の腕から。

真っ赤になってる、耳から。

・・・すこしだけ震えてる、身体から。


『大好きだよ』
『だからもっと、頼ってよ』
・・・そんな彼女の気持ちが、胸が痛いくらいに伝わって来る。



−−−ホントにオレの事を好きでいてくれてるんだ、って。

もう、疑う余地も無かった。それはノートよりもどんな言葉よりも確かだった。息が、くるしくなる。
実感が涙となってあふれて、彼女の美しい髪にぱたぱたと落ちた。



−−−ねぇ、名前さん。

オレはまた、キミの隣にいても良いのだろうか。
・・・そうだとしたら、オレにとってこんなに幸せな事って無い。

・・・でもオレは、彼女を抱きしめ返せずにいた。




オレは名前さんが好きだし、彼女もまだオレを好きでいてくれた。
だからまた一緒にいる、それで良いのだろうか?そんな簡単な答えが、本当に正しいのか?

今のままのオレがキミの隣にいたって、同じ事を繰り返すんじゃないか。
・・・やっぱりオレがもっと、成長してから・・・その時に改めて、頭を下げて迎えに来るべきなんじゃないのか?



オレは行き場無く彷徨った手で、名前さんの髪に優しく触れて、さっき落としてしまった涙を拭った。

すると名前さんは、すこし驚いたように顔を上げて、オレを見つめた。

至近距離で目が合うと、彼女の雪のように真っ白な肌がふわりと紅く染まった。
さっき泣いたせいなのか、潤んだ瞳をまるで真冬の夜景のようにきらきらと輝かせながらオレを見つめる。
−−−それは名前さんが、オレにしか見せる事の無い表情だった。



「名前さんって、やっぱり不思議ですよね」
「・・・な、なによそれ。っていうか、あなたに言われたくないんだけど」
「だって・・・こんなオレの事が、好きだなんて」
「ふっ・・・あはは!なによ、ソレ自分で言うの?・・・ふふ、そうだよ。ねぇ山岳・・・私も、おんなじなんだよ。好きで好きで仕方なくて・・・止めようと思っても、忘れられなかった。山岳と一緒にすごせない毎日なんて、何の意味も無いんだ−−−山岳は私のために距離を置いてくれてたのかもしれないけど、私にとって一番の幸せは、嬉しいときも辛いときもあなたの隣にいる事なの。・・・それ以外に私、なんにもいらないんだよ」

名前さんはそう言ってすごく幸せそうに笑って、瞳を揺らした。







その瞬間、ああ・・・世界に色がついた、と思った。



それはオレが−−−ずっと、ひとりで探してたものだった。







その、笑顔を・・・ずっと、勝利の先にあると信じてたっていうのに。
だから、ひとりで強くなろうと思ってた。

・・・本当は、こんなに近くにあっただなんて。





−−−オレはまだ、間違ってたのかもしれない。

迷惑だって思い込んで、離れ離れに進むのも違った。
オレがひとりで先に進んで、強くなってから迎えに来るのも、違くて。

・・・一緒に進めば、良かったって事?
ふたりでいることが、お互いにとって一番良かったって事なの?


−−−こんなに、簡単なことだったなんて。


オレはもがいて、あがいて、キミを傷付けて、ひとりになって・・・やっと、見つける事ができたのかもしれない。

オレは、戸惑っていた両腕をようやく、彼女の背中に回した。







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