- ナノ -

天使 2




『お前は全力を出して負けた。それでもその結果がお前を苦しめるなら・・・簡単だよ、真波。そのジャージを脱げばいい。』

『言ったはずだぞ、真波!自由に走れと!それがお前にもっともふさわしい走り方だからだ。理屈や順位にこだわって、眉をひそめて走るお前など 見ていて気持ち悪い!』



引退する3年生の「追い出し親睦ファンライド」で東堂さんがくれた言葉は、オレの心を軽くしてくれた。

東堂さんて、やっぱりすごいんだ。
登りの走りはモチロンだし、あとすげー人の事見てる。まっすぐな言葉で、いつも導いてくれる。・・・ちょっと、いやかなり、口だけはウルサイけど。

オレもいつか、あんな先輩になれるんだろうか?


一旦校舎にもどってボトルを満タンにしたオレは、再びロードにまたがって山へとペダルを踏んでいた。

さっき名前さんも言ってたけど、この頃はほんとうに日暮れが早いから登れる内に登っとかないと。


−−−今日の風、最高だ。
肌寒いけど、でも感覚が研ぎ澄まさせられるこのカンジ・・・すっごくイイ。
今日は、どこまで行けるかな?
オレはわくわくをめいっぱい抱えて、前へ前へと坂を登った。



やっぱりオレ、ロードが好きだ。

ロードに乗る意味は、それだけで充分だった。こんなに簡単な事だった。
気付かせてくれた東堂さんに、オレは心から感謝したい。
それだけじゃない。いま全ての道や、お日様や、風に・・・それから、ライバルにも。ぜんぶにありがとうって思える。
ロードにめぐり合えて、オレはほんとうに良かった。


空を見上げると、すこしずつ夕暮れが近付いてきているのがわかった。
今日も、もう終わりかあ。さみしいな。・・・でも明日も明後日も、オレはロードに乗れる。
同じ道を走ったって、同じ風は二度とは吹かない。
同じレースも、二度と無い。ロードレースに"絶対"は無い。・・・だから、楽しい。


オレはうれしくなって、また自然と笑顔でペダルを踏む。




けど・・・今のオレには、絶対的な何かが足りない。


それが「何か」、なんてモチロンわかってる。


それに、本当はいちばん「ありがとう」を言わなきゃいけないのは、あの人なんだっていうのもわかってる。


でもその前に、まず言わなきゃいけないのは・・・「ごめんなさい」、だとも思ってる。




−−−オレは・・・名前さんに、謝りたかった。




それは名前さんのあのノートを見てからずっと、心に引っかかっている事だった。

けれどノートを見た直後のオレは、彼女の本当の気持ちには気付かなかった事にしてやり過ごそうとした。

ファンライドが終わって、この頃はやっと自分以外の人の事にも目がいくようになってきて・・・彼女ときちんと向き合わなくちゃいけないと思っていた。
オレのしてしまった事は、あまりに一方的で。・・・たくさん、本当にたくさん傷つけてしまったと思う。


けど、だからといって元の関係に戻りたいなんて話をするつもりはない。
ロードに集中したいからって言って別れたくせに、やっぱり名前さんがいないとダメでした、だからまた付き合ってください〜なんて、そんな自分の都合で彼女を振り回すわけにはいかないもの。


ただ、謝りたい。それだけだった。





実はさっき、ボトル補給で校舎の玄関先で会ったときもその話をしようか迷っていて。
この頃は、ずっとそのタイミングを見計らってた。
けどいざとなると、わからなくなった・・・どんなカオして、なんて話をしたら良いのか。


−−−でも、ダメだ。こんなんじゃ、インハイで負けた後と同じじゃないか。


あの時だってほんとは、すぐに名前さんと話をしていたらこんな事にはならなかった。
それなのに・・・オレが逃げてたから。
けど、オレは勝手に彼女の「本当」が書いてあるノートを見ちゃったんだから、オレだって「本当」のコト言わなくちゃ男じゃない。

彼女にこれからは・・・いや、最後くらい、真っ直ぐに向き合いたい。
・・・うん。明日こそ。


心を決めたオレは、日の入りを確認するためにもう一度空を見上げた。
すると・・・ふわりふわりと、やわらかな何かが降り注いで来た。



「わ・・・雪だぁ!」



オレは思わずルックを山道の脇に停めて、手のひらでそれに触れてみる。
箱根は山だから、都心に比べたら雪が降る事は珍しくは無い。だけどこんな早い時期に降るなんて、滅多に無い事だった。

それはまるで真っ白な鳥か、天使の羽根みたいに綺麗な雪で・・・あ、ルック。キミとも、おんなじ色だね。
空から無数に降り注ぐ情景はとてもキレイで、この瞬間を山で見れたなんてラッキーだと思った。



・・・名前さんも今、どこかでこの雪をみてるだろうか?



積もったりしたら明日の部活のメニューを変更しなきゃ!なんて、あわててるかな?

それとも・・・。綺麗!って言って、笑ってるかな。
・・・そうだと、いいなぁ。



ふわふわと降り注ぐ雪はやむ気配も無く、空には橙が霞んで夕暮れが近付いている事を知らせてる。
雪の中で山道を走る事にちょっとだけ好奇心が疼きながらも、滑って転んだりしたら洒落にならない。・・・仕方ない、そろそろ学校へ戻ろうか。


オレはもう一度ルックにまたがって、速度は落としながらゆっくり、雪が舞う箱根の下り坂を降りていった。





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