熊本レースは、全部のリザルトを箱根学園が獲って初日が終わった。
競り勝ったとかってワケでは無いけど、オレも山頂のリザルトを獲る事ができた。
「オイ真波、オマエも入って来たらどうだ?温泉、なかなか良い湯だったぞ」
初日を終えた夜。
旅館の布団に転がって携帯を眺めていたオレに、お風呂あがりの東堂さんがタオルで髪をかきあげながら声をかけた。
「あー・・・ハイ。・・・そうですね」
オレはさっきから携帯で、とあるページを開いたり閉じたりをしていた。・・・でも、そうだよね。いつまでもこうしてるわけにいかない、そろそろ行かないとだよね。
「なんだ?携帯とにらめっこなんて珍しいな、いつも携帯不携帯のオマエが。どうした、声を聞きたい相手でもいるのか?」
東堂さんはなんの気無しに言ったのかもしれないけど、図星だったオレはギクリと肩を揺らして、そのはずみで誤って携帯の発信ボタンを押してしまった。
−−−ヤ、ヤバッ。
慌てて通話終了のボタンを押したけど・・・間に合わなかったかもしれない。
開いていたページは、名前さんの連絡先だった。
・・・本当は、別れてからずっと名前さんの声がききたくてたまらなかった。いつだって。
それに今日は、レースで勝ったからなおさら・・・。
でも電話はしようかどうしようか、ずっと悩んでいて。
付き合っていた頃は次の日もまた会うクセにいつまでも話した。用事が無くたって、ただダラダラと話してるだけでも楽しくて仕方なかったなぁ。
もう今は違う・・・恋人じゃ、ないんから。
自分から別れを伝えたクセに、今さら電話するのなんておかしいと思う。それも、あんなに一方的な別れ方で。
それで携帯とにらめっこしてたワケなんだけど、まさかホントに発信ボタンを押しちゃうなんて!あぁ、マズイなぁ。たぶん名前さんの携帯に着信残っちゃってるよなぁ・・・。
そんなオレの様子を見て、東堂さんは何かを察したように眉をひそめた。
「・・・言いたい事があるなら、言えるうちに言っておいた方が良いぞ。・・・その相手の声が聞けるうちに、な」
名前さんもだけど、オレの周りはスルドイ先輩ばかりで時々困ってしまう。
・・・東堂さん、巻島さんとの事を言ってるのかな。今回も、一緒に走れるのあんなに楽しみにしてたのになぁ・・・。
「東堂さん・・・。」
「・・・さて、オレは旅館の売店でも見てくるか。ファンの女子に土産を頼まれていてな!まぁ女子人気ナンバーワンのオレは、ファン全員の分を買えるワケでは無いのだがな!!」
オレの心配も虚しく、東堂さんはいつもの調子で高笑いをして部屋から出て行った。
でも・・・東堂さんは、やっぱりすごいや。
・・・色々あるのは、オレだけじゃない。なんにも無い人なんていない、皆それぞれ色んな事を抱えながらロードに乗ってる。
・・・がんばらなきゃ、オレも。
来年のインターハイに、東堂さんはいない。
ぜんぶ、オレが背負って走らなきゃ。今年東堂さんとインハイを走ったクライマーは、オレだけなんだから。
いつまでもクヨクヨしてるわけにいかない。
オレが立ち止まっている間にも、時はどんどん流れてく。3年生はいなくなっちゃうし、そうしてきっとあっという間に次のインターハイがやってくる。
オレが、来年は・・・来年こそは、勝たなきゃいけない。
オレはもう一度、携帯電話の画面を開いた。
そこには名前さんの名前と電話番号がさっき開いたまま表示されていた。
やっぱりどう考えても、今のままじゃ別れた意味が無い。
切り出したのは自分のくせして、こんなに好きなら別れようなんて言わなきゃ良かっただろ?
そしたら優しい名前さんは、同情でもずっと隣にいてくれただろう。
でも・・・それが辛かったから。彼女のためにならないって思ったから、別れを告げたんじゃないか。
付き合う前の関係に戻ったくらいじゃ、やっぱりダメなんだ。
こんなふうに片想いしてたんじゃ、別れた意味が無い。
はじめは、彼女のためって思ってた。でもこれはきっと、オレにとっても・・・。別れた事は、間違いじゃなかった。
速く走る為には、荷物は軽い方が良い。そんな当たり前の事に、どうして気付けなかったんだろう?
全部置いて、ここからは一人で登っていかなきゃいけないんだ。
名前さんへの気持ちは、−−−消さなきゃいけない。
強く、もっと強く・・・そう、いっそ忘れてしまうくらいに。
オレはしずかに目を閉じて、そしてもう一度ゆっくり瞼を開ける。
携帯を操作する指先が迷う事は、もう無かった。
"連絡先を削除しますか?"
カチ、と一度ボタンを押す。
"削除された連絡先は復元ができませんが、よろしいですか?"
もう一度、ボタンを押す。
"『名前さん』を削除しました"
−−−たった、それだけの事だった。それは思っていたよりも、ずっと簡単で。
さようなら、オレの大好きな人。
・・・大好き、だった人。
オレの胸はもう、前みたいに痛む事は無かった。
これできっと、もっと速く坂を登れる。
もっと強くペダルを踏める明日が、きっと来るから。