- ナノ -

1分08秒 4



熊本レースの1日目が終わった日の夜。

インハイ同様、私は今回もひとり部屋での宿泊だった。

今日は全部のリザルトを箱学が獲って、私は大満足で今日のレースをレポートにしていた。
山岳も獲れたし・・・少しずつでも、前に進めると良いなぁ。

うん、・・・そうだ。

今はきっと、それで良いのかもしれない。

彼はいつかまた、笑顔で自転車に乗れる日が来る。
その日まで私はこの場所で、できる限りの事をしよう。

もしも本当に、彼が私の事を好きなのに別れを告げたのだとして。それから、別れた理由が他にもあるのだとしても。それを話せない理由も、あるのかもしれない。

それを私は、山岳が話してくれるまで・・・話したいって、思ってくれるまで。私は待ちたい。信じて、待ってみたい。





レポートがひと段落した私は、メールのチェックでもしようかと携帯に手を伸ばした。
画面を開くと、一件の不在着信が。
・・・そしてその発信先は、



"真波山岳"



画面にそう表示された文字の並びを見ただけで、私の胸はドキンと高鳴った。



えっ・・・う、うそ。山岳から?

何だろう・・・?!




着信があったのは、今から30分程前だったようで。・・・何の用件だろう?

−−−山岳からの電話なんて、別れてからは勿論初めての事だった。

部活の業務連絡?・・・それとも、もしかしたら。
山岳が本当の理由を話してくれる「その時」が、早くも来たのかも?
今日はレースで結果も出せたし。それに、久しぶりに笑顔も見せてたし・・・!

私はつい今しがた、"話したいって思ってくれるまで、待ってみたい" なんて思ってたくせして、この着信に期待を感じずにはいられなかった。


ドキドキドキ、と私はやぶけそうなくらい心臓を高鳴らせて、発信ボタンをクリックした。
胸いっぱいの緊張と、そして期待を膨らませながら。

しばらくの呼び出し音の後、山岳が出た。
私はこの気持ちに気付かれないよう、はやる心をぐっと抑えて静かに携帯を握りしめた。


でも・・・−−−山岳の第一声は、私の予想だにしない言葉から始まった。




『・・・ハイ、もしもし?どちらサマですか?』




−−−え?

・・・ど、どちらさまって。


「ちょっと、何ふざけてんのよ。・・・私だよ、名前ッ。・・・携帯からなんだから、名前が表示されてるクセに。」
『あ、名前先輩ですか?・・・すみません、誰からか分からなくて。』
「えっ・・・?冗談じゃなくて、ホントにわからなかったの?だって、前に何度も電話した事あったし、登録してるはずじゃ・・・」
『・・・あぁ。前は登録してたんですけど、別れたから削除したんです。・・・で、何か用ですか?オレ、明日も走るし早く休みたいんだけど。』


−−−ドクン、と心臓が大きく高鳴る。


さっきまで浮かれ気分だった私は一転、目の前が真っ暗になったような切なさに襲われた。


「・・・えっと・・・今から30分くらい前に、山岳から着信があったから、掛け直したんだけど・・・」

震える声でどうにかそう伝えると、山岳は少し間を開けてから、何か思い出したように『あー、その頃ちょうど、委員長に電話しようと思って発信履歴のトコ見てました。ウトウトしながらいじってたから、間違って名前先輩に掛けちゃったのかも!ゴメンね、先輩。』って、ばかみたいに明るく言った。



私は恥ずかしくて、みっともなくて、みじめでたまらなかった。

電話を切った後の画面には、"通話時間 1分08秒"と無機質に表示されている。
付き合っていた頃は用事が無くたって、次の日もまた会うクセにいつまでもダラダラと話した。
お互いにずっと声をきいていたくて、どっちから電話を切るか押し付けあってそこからまた何十分も通話が続く事なんてよくあった。
それなのに・・・今日は。
私が最後に、じゃあ明日もがんばってね、と言ってる途中であちらからプツンと通話を切られてしまった。
−−−もう今は違う、恋人じゃないんだ。そんなふうにこの"1分08秒"という数字に諭されているかのようだった。



もう私たちは、恋人じゃない。

おそらく彼の心の中に、もう私はこれっぽっちも残っていないんだ。

信じたくなかった現実に、私はやっと目をむける事ができた。


彼は、本当の事を言ったら私が傷つくと思ってロードを別れる理由にしたのかもしれない。たぶん、それだけの事だったんだ。それなのに私は勘違いして、いちいち舞い上がって・・・。
今朝のポニーテールの事も、新幹線でのお弁当の事も、もう私の事なんて本当になんとも思ってないからこそ、彼はフツウに言えたんだ。花火大会に誘ったのだって、本当は嫌々だったのかもしれない。

でもこの頃のアイツの走りをみてたら、勝つ為以外の事は捨てたいっていうのは本当かもしれない。
けれど実は私の事をまだ好きなんじゃないかとか、そんなのは自分の良いように考えてただけで・・・ばかみたいだ。




私は真っ暗な心で、携帯の画面をしばらくぼうっと見つめていた。山岳の明るい声が、耳にこびりついたみたいに離れなかった。

そういえば、宮原さんに何の用で電話したんだろう。
山岳がこの先、宮原さんと付き合うとかもありえるのかな。
宮原さんは、幼馴染だし・・・いいこだもんね。
・・・もう私たちが恋人じゃないって、そういう事なんだ・・・。



−−−いつか私も、違う人を好きになる日が来るのかな。
・・・そんなのって、今は想像もできないけど。

だって山岳みたいな人は私にとって、どこにもいないから。
自分勝手で、気まぐれで。礼儀も常識もなってなくて・・・でもだからこそ鳥みたいに自由で。一緒にいると、私も心に羽が生えたみたいに楽になれた。
山岳に振り回されているうちに私は辛かった日々から抜け出す事ができて、そして・・・はじめて、恋をする喜びを知った。
かわいいなって和む事もあれば、死ぬかと思うくらいカッコイイ瞬間がたくさんあった。
私はそのひとつひとつに、いちいち振り回されては心臓が破けそうな位ときめく日々をすごした。
・・・終わりが来るなんて、夢にも思わずに。




あんな人にはきっと、もう出会えない。
たぶんこんな恋を、わたしはもう一生できない。




その日私は、身体中の水分が無くなるんじゃないかってくらい、声を挙げてわんわんと泣いた。


恋がこんなに辛いなら、二度としたくない。


恋を知ったのは初めてのクセに、私はそんなふうに心の底から思った。






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