- ナノ -

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9月の半ばに熊本で行われる、"熊本火の国やまなみレース"。

これまでは出場を断ってきた箱根学園だけれど、今年は総北も出場するという事で私たちも参加する事になった。
もう見る事はできないと思っていた、今年のインハイフルメンバーでのレースは、私を含め部員全員が心を躍らせていた。

いよいよ当日の今日、天気予報で熊本の気温をチェックした私は、気合いを入れる為に髪をひとつに結って来た。
・・・前に山岳が、カワイイって言ってくれたポニーテール。でも多分、あいつはもうそんな事も覚えて無いだろうな。

出場選手とマネージャーの私は新幹線での移動という事になっていて、集合場所は駅の構内だった。




「おはよーございまーす」

最後に到着したのは勿論この男、真波山岳。もはやお馴染みというか、遅刻しなかっただけヨシという空気の中、靖友さんだけが「遅ッせーよ!!」と律儀にツッコミを入れている。

すみませーん、とへらりと笑う山岳と不意に目が合うと、彼はその綺麗な瞳をすこしだけ見開いた。

新幹線の座席に向かう通路で、たまたま横に並んだ山岳が「今日、ポニーテールなんだね」と言って、ふわりと笑った。




・・・そんな、たったひとことが、私は嬉しくてたまらなくて。


なんだか、二人にしかわからない秘密の暗号みたいだった。
べつに、カワイイとか言われたわけじゃない。
あの自転車で二人乗りした日の事を、まだ覚えてるよって直接的に言われたわけでもない。ポニーテールなんだねと見たままを言われただけに過ぎない。

それなのに私は、その一言だけでも胸がいっぱいだった。泣いてしまいそうになって、思わずうつむいた。





乗り込んだ新幹線は指定席で、山岳の隣は靖友さん。私は泉田の隣の席で、山岳の真後ろではあったけど隣ではなくて、ちょっとだけ残念だった(泉田、ゴメン)。

泉田は新幹線が動き出すや否や、大きなバッグからいそいそとダンベルを取り出している。



「泉田、こんなトコでまでトレーニングするんだね・・・」
「名前さん、迷惑じゃないかい?」
「私は大丈夫だけど・・・まぁ確かに、移動中の時間が無駄にならなくて、効率良いかもね」
「名前さん、キミはやっぱり話がわかるね!そうだ、ボクは前々からキミとは語らいたいと思ってたんだ。名前さんのトレーニングメニューは、本当に無駄が無く美しい!」



意外にも泉田との会話が弾んで、あっという間に時間は過ぎていった。

そういえばあんまりちゃんと話した事無かったけど、泉田はおそらく来年のインハイもレギュラーだろうし、次のキャプテン候補だなんて部内では囁かれてる。そうなれば私もマネージャーとして関わる機会は多いにあるだろう。今回こうしてお隣さんになったのは良い機会だったのかもしれない。

私たちはトレーニングメニューや筋肉について、途切れる事なく語らった。
泉田の、筋肉に対する知識と情熱はすさまじいものがあり、また彼も私の話を一生懸命に聞いてくれた。

話していると、泉田は本当に真面目で、丁寧で誠実な性格がみてとれた。
ちょっと、変わってるけど。・・・いや、かなりか。




「あ、そうだ泉田。道中長いからって思って、わたし小腹に入れるもの作って来たんだ。もしよかったら、ハイ、どうぞ。」
「えっ、すごい!これ、全部キミの手作りかい?!」

それはささやかなお弁当だったけど、泉田が大げさに声をあげるものだから前の席の靖友さんと山岳までこちらを振り返った。


「へぇ、名前チャン。コレ、唐揚げ?オレ大好物なんだよネェ!」
「名前さん、すごいじゃないか。揚げ物なんて、手間もかかるのに」

靖友さんと泉田が喜んでくれるのは嬉しいんだけど、それは唐揚げじゃなくて・・・。

私が言い出せず真っ赤になっていると、靖友さんの隣にいた山岳が可笑しそうに吹き出した。


「あははっ。荒北さん、泉田さん。それ、たぶん唐揚げじゃないですよ」
「ちょ、ちょっと山岳・・・っ」
「あぁ?!どー見ても唐揚げだろ、またテメェは不思議チャンな事を・・・」
「名前さん・・・じゃなかった、名前先輩の作った唐揚げみたいなやつは、たぶんハンバーグです」


それを聞いた靖友さんが眉間にシワを寄せながら、私の"ハンバーグ"をひとつ口に放り込んだ。



「・・・マジで、唐揚げじゃ無いじゃナァイ!!」



靖友さんの一言に、泉田はなんとか私をフォローしようとワタワタとしてるし、山岳はさっき以上に大笑いをしている。

私はその時、口ではハンバーグの言い訳をしながら・・・内心、山岳の笑顔に胸をほころばせてた。


山岳、前に屋上でお弁当食べた事、覚えてくれてるんだ。
しかもそれを隠そうともしないで、こんなふうに言葉にするなんて・・・


・・・期待、してもいいのかな?

山岳はひょっとしたら、まだ私の事を好きなのかも、って。




−−−もしかしたらこの前、グラウンドにいる山岳と目が合ったのも。

ポニーテールに気付いてくれたのも。

お弁当の事、覚えててくれたのも。

っていうかそもそも、私の事が好きじゃなくなってたのなら、あの日花火大会に誘ったのはおかしいもん。まさか振るためだけにわざわざ選んだ場所とは思えないし。

あの花火大会の日、あなたは「勝つ為の事以外は全部捨てる、全部忘れる」と言った。
でも・・・まだ、忘れてない。
捨ててないんだよ、ね?



『じゃあ、私の事は・・・まだ、好きだってことなの?』

あの日、返って来なかった質問の答えが、私はすこしだけ見つかったような気がして。



・・・なのにどうして、別れようなんて言ったの?
もしもお互いに好きなら・・・、どうして。

勝つために必要だって、あなたは言った。
・・・本当に、そうなのだろうか。
ロードの楽しさも、ライバルと戦うワクワク感も、全て捨てる事が?

・・・けれど私は、あんなに近くにいたのに何ひとつしてあげる事ができなかった。
それだけは、まぎれもない事実なんだ。



私はその時の彼の笑顔を、苦しいくらいに胸をつまらせながらただ、見つめる事しかできなかった。





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