- ナノ -

花火大会 5


「うわーっ。夜だってのに、まだ暑いじゃん」
「あはは。そうですねぇ」

山岳の着替えも終わって二人で外を歩くと、むわりとした熱気がまとわりついて来た。
彼は私の言葉にちいさく笑ったけど、でもその表情にやっぱり元気は無くて。

・・・こうやって山岳と一緒に帰るのは、いつぶりかな?
熱気こそあるけど、やっぱり昼間よりは過ごしやすい。夏の夜、こうして好きな人と歩くっていうのは良いものだなあ。
この頃はひとりでどこか遠い世界へ行ってしまいそうだった彼が、今こうして私に歩幅を合わせながらゆっくりロードを押し歩く。
私の心の中には拭いきれない心配と、そしてこの瞬間への幸福感で満ち溢れていた。


うれしくなった私は、なんとなく空を見上げる。
すると、美しい夏の星座が広がっていた。

そういえば、前に帰った時も星空が綺麗な夜があったなぁ。あれは確か・・・私が山岳の勉強を見てた頃。そうそう、追試の前夜だったっけ。季節はまだ、春だった。


「ねぇ、山岳、」


星がすっごく綺麗だよ、と、私はそう伝えたくて、隣を歩く彼を呼んだ。
すると山岳は、まっすぐに前だけを見て・・・

「・・・名前さん。オレ、大丈夫だから。」

って・・・
私、なんにも聞いてないのに。
彼は突然、そんな事を言うのだった。

なんだかザワザワと、胸騒ぎがする。
こういう、お気楽・・・もとい、前向きな男が聞いてもいないのに『大丈夫』だなんて、あえて言う時・・・それは、かなりマズい状態なんじゃないか。


でも、なんて言葉をかけてあげたら?
−−−そんな風に思ったとき不意に、どこかから『ドン、ドン』と大きな音が鳴った。

これって、もしかして・・・?
私はもう一度夜空を見上げると、そこには鮮やかな火の花が大きく咲いていた。


「わっ、花火!そっか、今日って花火大会だったんだ!」

「・・・名前さん、行きたい?」

今の山岳がまさか、そんな事を言うなんて・・・私がビックリして振り向くと、彼は優しく瞳を細めて言った。

「いま始まったって事は、多分一時間くらいやってると思うし。ここからなら、会場も近いはずですよ」
「おおっ、山岳詳しいっ!なんで?地元だから?」
「それもあるけど・・・オレ、小さいとき身体が強くなかったでしょ?この時期は、暑さでとくに具合が悪くて。花火の音はずっと、部屋のベッドの中で聞いてたんだ。」
「そっか・・・。じゃあさ、なおさら行こうよ!あっでも山岳、大丈夫?疲れてない?」

山岳はちいさく笑って、「本当にあなたは、優しいね」って言って頷いた。
・・・それって、どういう意味?
でも、久しぶりに山岳の笑顔が見れて、しかも一緒に花火に行けるだなんて!
私は足取りも軽く、会場を目指して歩いた。







「すっごい人・・・。」


会場が近づくに連れて、だんだんと人が増えて来た。浴衣の女の子達も大勢いて、すれ違いざまに山岳を見て頬を染めるのはもうお馴染みとしか言いようが無かった。
・・・箱学の王子様は、ここでも健在とは。
こんな人混みでも、いやだからこそ、背も高くて顔立ちも整った山岳は嫌でも目を引くんだろうな・・・。本人、全然気にしてないっぽいけど。


それにしても・・・浴衣って、かわいいなぁ。

私ももし、浴衣で来たら・・・山岳は「かわいい」って、言ってくれただろうか。

そういえば最近、あんまり褒めてくれなくなったな・・・ってイヤイヤ、構ってちゃんか私は。
でも、前はうるさいくらいに言ってきたし、キスだってばかみたいにしてたのに、今は全然・・・。

ふと隣の山岳を見ると、ロードを押しているのは片手だけで、私側のもう片方の手はぶらりと空いている。
最近は、手も繋いでいなかった。
・・・繋いでも、いいかな?
い、いいよね。
だって、すごい人混みになってきたし。

私は混雑を言い訳にして、すこしドキドキしながらそっと手を伸ばした。
山岳の指先に触れた瞬間、彼はピクリと手を揺らして、振り返って言った。


「っ・・・名前さん、この辺りで見ない?」


えっ・・・
もしかして、さけられた?
手を繋ぐ事すら?
・・・偶然、だよね?


「そ・・・そうだね、山岳。多分もう、座って見るような場所はいっぱいだろうしね。」
「ここのガードレールに腰掛けて見よう。それなら、ロードもわざわざ停めに行かなくても良いし。・・・名前さん、平気?スカート汚れない?」
「うん、大丈夫。」


制服を気遣ってくれる山岳の優しさに、やっぱりさっきのは気のせいだと私はすこしホッした。
私たちは、花火の上がる河川敷沿いにあるガードレールに腰掛けて見ることにした。


二人で見上げる花火は、悲しいくらいに綺麗だった。

花火の最中、隣にいる山岳の横顔を、私は何度かこっそりと見つめた。
夜空に光が舞う瞬間にだけ見える、彼の表情。
それはどう見たって花火を見上げるような顔ではなくて、私はハッとする。

切ないような、苦しいような、一言では言い表せない彼の表情・・・。ただひとつわかった事は、彼の心はここではない何処かに置き去りにされたんだと、私はやっと気がついた。

何か、言わなくちゃ。

山岳が遠くへ行ってしまう。

「ね、ねぇ山岳。こんな事言われたくないかもって思って、ずっと黙ってたんだけど・・・インハイの時の山岳の走り、すっごくカッコよかった。」

「・・・・・。」


もしかしたら花火の音で、聞こえていないんだろうか?
花火が上がる度に照らされる山岳の横顔は、私の言葉なんてまるで届いていないみたいに見えた。


「本当に、すっごくかっこよくて・・・初めて山岳の走りを見たときの事、わたし、思い出したんだよ。感動して、涙がいっぱい出て・・・確かに、悔しい気持ちとか、いっぱいあると思う。私にはわからない位。でも、あの走りは誇って良いって私は思う。別に励ましてるとかじゃなくて・・・山岳、本当に立派だったよ。」

「・・・優しいんだね。」



私の言葉が終わるのを待って、山岳がまたそんな風に言った。

優しい?何よそれ、まさか同情とでも思ってるの?

私が声をあげようとした時、−−−山岳がこちらを向いて、笑った。

でもそれは、眉を下げた・・・ひどくひどく、悲しげな笑顔だった。




「ありがとう、名前さん。でも、もうダメみたいだ。」




名前さん、オレたちもう終わりにしましょう。




−−−山岳は確かに、そう言った。
花火の音のせいにして聞き返す事もできないくらい、はっきりと、真っ直ぐな声で。





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