インターハイがおわってからというもの・・・部の雰囲気は、大会前とまるで違った。
お兄ちゃんが言ってた、「ロードレースの1位と2位は天と地ほど違う」っていうのはこの事だったのだと、私は身をもって痛感した。
インハイ後から、その数が益々増えたのではないかと思われる山岳の女子ファン達はそんな事も知らず「真波くん、準優勝オメデト!」なんて、夏休みだというのに足しげく練習に通って黄色い声を張り上げていた。
その度に山岳は、なんともいえない曖昧な顔で会釈をしていた。・・・複雑、だろうな。
インハイが終わってから・・・山岳の様子には、すごく違和感があった。
そりゃあ、あんなすごい勝負で・・・全力を絞り切って、負けてしまって。悔しいに、決まってる。
しかも、王者と呼ばれる箱学の優勝のかかったゴールで。3年生の、最後のインターハイで。
きっと、本人にしかわからない想いが胸の中には抑えきれないくらいあるのだろう。
このごろの山岳は、思い詰めたように眉間にシワを寄せるか、眉を八の字にして悲しげにしているかのどちらかだった。・・・私とも、ロクに話もしないで。
どれだけ悔しいのか、
どのくらい悲しいのか。
それはきっと、戦った本人にしかわからないんだと思う。
でも、私は正直・・・、山岳のあの走りは誇って良いんじゃないか、って内心思ってる。
王者陥落なんて囁かれるこんな部の雰囲気の中、決して口にはできないけれど。
だって、すごいよ!
選ばれるだけでも大変な箱学レギュラーに、1年生で成って。出場できるのも一握りのインハイに出て。
普通に漕ぐだけでも辛い登りを、ギアを何弾も上げて全力のクライミングをして。
3日間走り切るだけでも苦しいレースを、最後のゴールまで本気で戦った。
それも、あんなに・・・見ているこっちまで身体が痺れるような、集中力の限界のような鬼気迫る走りで。
山岳、あなた、ものすごい事をやってのけたんだよ。
・・・どっちが勝ったって、おかしくなかったよ。惜しかったね、なんてファンの子たちみたいに気軽には言えないけれど・・・。
私はあの日の走りを、ずっとずっと忘れないだろう。本当に、かっこよかった。
私も元々はスポーツをやってたから、負けて悔しい気持ちはわからなくはない・・・でも、見ていてもどかしい。
いつまでしょんぼりしてるのよ、山岳のばか。
「名前、まだ帰らないのか?」
部室で机に向かっている私に、メニューを終えたらしい隼人さんがタオルで汗を拭きながら声をかけた。
最後のインターハイが終わったとはいえ、3年生はまだ出場するレースもある。"追い出しファンライド"のある12月頃までは、ちらほら顔を出してくれる事になってる。
隼人さんに言われて窓の外を見ると、陽はもうとっぷりと暮れていた。
「げ、もう真っ暗だったんですね・・・外走ってるの、隼人さんが最後でしたか?それならもう、部室の鍵閉めちゃいましょうか」
「いや、まだ・・・真波が一人で、走ってるな。」
「山岳が・・・?」
山岳たちクライマー組の今日のメニューは、平坦コースの予定だった。
インハイが終わってから、山岳の様子がおかしい事のひとつに、練習態度があまりに熱心すぎる事もあった。
今までなら平坦練習なんてだいたいサボりか、たとえ参加したって軽く流すくらいだった。
それなのに、ひとりで居残ってまで走ってるだなんて・・・。
「・・・名前と真波は、本当に仲がいいんだな」
隼人さんが私をジッと見て、突然そんな事を言い出した。あまりの脈絡のなさに、私が「なんですか、急に」と返すと、隼人さんはため息まじりに答えた。
「おんなじ顔してるぞ、この所のおめさん達は。・・・真波が悲しげなときは、名前も悲しそうだ。ちなみに今のおめさんは、外走ってる真波とおんなじ、しかめっつらだぜ」
え、ウソウソ。
まさか私までそんな顔してただなんて。
「・・・す、すみません。やっぱりつい、気になっちゃって・・・らしくないんですもん、最近の山岳。」
「うん・・・そうだな。おめさんも、心配だよな。」
隼人さんは少し困ったように眉を寄せて、私の頭をポンと撫でてから「じゃあ、オレも着替えてから帰るな。戸締まり、頼んでいいかい?」と言った。
「もちろんです、おつかれさまでした。」
隼人さんが、ヒラリと手を挙げて部室から出て行こうとした時−−−ちょうど扉が開いて、山岳が入って来た。汗だくのサイクルジャージで・・・頭にタオルを被ってるけどその下は勿論、どこか思い詰めたようなしかめっつらだ。
「あ・・・新開さん。名前さんも・・・。オツカレサマです」
隼人さんは、そんな山岳の頭もタオルごしにポンと叩いて「おつかれ」と、どこからかパワーバーを取り出して渡した。
隼人さんが部室から出ていって、パタン、と閉まったドアの音がやけに大げさに響いて、私と山岳の二人きりになる。
私は、そんな気まずい空気にあえて気づかないフリをしてなるだけいつも通りを意識して振る舞った。
「山岳、おつかれ。随分遅くまで走ってたんだね。」
「うん・・・インハイ負けちゃったのは、オレのせいだしね。もっと練習しないと」
・・・そんな私の心がけ虚しく、山岳がぽつりぽつりそんな事を言うものだから室内の雰囲気はますます張り詰めてしまった。
・・・どうしよう。山岳だけのせいじゃない、ってわざわざ言われるのも嫌だろうし。
平坦練習なんていつもはサボってばっかなのにね、ってふざけられる雰囲気では1ミリもない。
気の利いた返しもできず私が目を泳がせていると、山岳は益々眉間にシワをよせて俯いた。
「・・・最近の名前さん、元気無いですね。すっごく悲しそうな顔か、難しい顔ばっかり・・・それってオレのせい、だよね。・・・ごめんね、お兄さん達の最後のインターハイ、台無しにして」
さっき隼人さんに言われた事、山岳にも言われてしまった。・・・私、知らないうちにそんな顔してたんだ・・・まずいなぁ。
私はすぐに、そんなわけないでしょ、と言ったのだけど、山岳は悲しそうに瞳を揺らすだけだった。そんな姿に、ひどくひどく心が震えて締めつけられた。
・・・らしくないじゃん、こんなの。
ばか。・・・山岳の、ばか・・・。