その翌日のお昼休みも、私は購買に来ていた。
お母さんのお弁当を前の日から断って、そして友人とのランチタイムも2日連続で断ってまで。
連日、同じパンを買ってるなんて・・・側から見たら、よっぽどあのパンのファンだと思われるだろうか。
・・・今日はべつに、あの子と約束したわけじゃないのに。
でも、また食べたいとは言ってたし・・・。
またこのパンがあれば会えるんじゃないかな、なんて大いに期待をしてしまってる。
「クッソ〜〜〜!また、売り切れかよ?!」
購買前の物凄い人だかりの何処かから、聞き覚えのある声が響く。−−−間違い無い、あの子の声だ。
それは、何度も聞いた事がある声なわけじゃないのに。
けれど私は昨日から、魔法にでもかかったみたいに彼と別れた後に何度も、彼の言葉をひとつひとつを繰り返してた。
耳や脳にまるで、こびり付いたみたいだった。
−−−だから、姿が見えなくても彼だとわかってしまった。
人混みをかき分けて、私は声のする方へと進んで行く。
私、今日もパンを買えたよ。
だからまた、一緒にお昼休みを過ごせるかな?
また色んな事、教えてほしい。
自転車の事、部活の事、それから−−−キミの事。
パンを求める総北生達の中に、私は一際目立つオレンジ頭を見つける。いたいた、あの子だ!
ねぇ、と声をかけようとした瞬間−−−彼の肩に、女の子の手が触れる。勿論それは、私の手では無い。
「ねぇキミ、このパン狙ってた?もし良かったら、アタシのあげようか?」
キミって呼んでるって事は、初対面?・・・すごいな、私は初めての人にあんな風に気軽に声をかけたりできない。ああいう子なら彼ももっと話しやすいのかななんて瞬時に考えてしまう。
人影の隙間から、その女の子の表情が見えた。
花が咲いたかのような、かわいくて、明るい笑顔だった。−−−まるでその影が落ちたみたいに、私の胸は味わった事の無い息苦しさに襲われる。
私は彼に声をかけるのをやめて、人混みの中を引き返して行く。
彼はきっと、大喜びであのパンを受け取るだろう。
しかも彼に似合いの、華やかなタイプの女の子。
もしかしたら一緒にお昼を休みを過ごすのかもしれない。
だとしたらこのパンを届ける必要は、もう無いから。
それに−−−あの場所に、一秒だって居たくなかった。
購買の人だかりをなんとか抜けて、ひたすら真っ直ぐ歩いた。
向かう場所は教室なのか何処なのか自分でもわからない。
でも、ここじゃない何処かに今すぐ行きたかった。
「オイ!!」
すると、後ろから声がして−−−私は立ち止まって、そのまま振り向けずにいた。
振り向かなくたって、声だけでそれが誰だかわかってしまったから。
「オイオイ、なんで無視すんだよ!さっき目、合っただろ!」
グイ、と肩を掴まれて強引に向き合わせられる。
振り向いた先に居たのはやっぱり・・・、彼だった。
でもその手には、パンはひとつも持っていなかった。
「・・・パン、譲って貰わなくて良かったの?」
「あぁ?!なんの事だよ」
「さっきの子、くれるって言ってたじゃない。良かったね。キミって、あのパンくれるなら誰でも良いんでしょ。それにどうせ貰うなら、私なんかじゃなくてああいう子の方がキミも良いよね」
私の一方的な言葉に、彼は困惑したように眉を寄せている。
私自身、自分で自分の言ってる事がわからない。どうしてこんなに感情的になってるんだろう。
彼にとって私は、大人気のパンをたまたま買って来てくれただけの人。
明るくて楽しくて、人懐こい彼にとってそれは特別な事じゃない。
きっと、彼を可愛がってくれる年上なんて他にも沢山いるのだろう。
後輩もいなくて人見知りの私が、一人でその気になって舞い上がってただけだ。
「オイ、何怒ってんだよアンタ?!パンなんか、もらってねぇって!!」
「え?でも・・・さっき、女の子に・・・」
「あぁ?!あー、アレ見てたのか。・・・もらってねーよ。オレが知らない女からなんて、もらうワケねぇじゃん」
私はなんだかホッと安心する反面、彼の話の矛盾が気にかかった。
「・・・でも、私からはもらったじゃない」
「ああ、まぁそうだな。なんつーか・・・嫌じゃねーよ、アンタからもらうのは・・・」
「・・・変なの。好きなんだよね?」
なんだかおかしい。
だって彼は、あのパンをずっと食べてみたかったはず。そして昨日初めて食べて、気に入ったから今日も買いに行ったんじゃないの?
私からもらうのは嫌じゃない、って言ってくれるのは嬉しいけど・・・なんだか、彼の話が噛み合わない。
私が「好きなんだよね?」と聞いたのはそういう意味で、だ。あのパンが好きで食べたいのなら、誰からもらうかなんて関係無いもの。口を付けた物なわけじゃないし。
なのに彼の顔はみるみるうちに真っ赤になって、しばらくの間言葉も出ない様子で口をパクパクさせていた。
「は、ハァ?!お、オイ、何でわかった?!まさか、段竹から聞いたのか?!」
なぜだか異様に慌て始める彼に、私も驚いてしまって言葉が出ない。もしかして何か、勘違いしてるんじゃ・・・
「オマエの事なんか、す、す、好きじゃねぇよ!!女子の事なんか、スキなワケねぇだろ?!た、確かにアンタと話してんの楽しいし、女子と話しててあんなに楽しかったの初めてだって思ったし、あれからずっとオマエの事考えて・・・って、だからって好きなワケじゃねぇからな!!第一、名前も知らないオマエの事が好きだなんて・・・そんなの、オマエに信じてもらえるわけ・・・」
−−−ひとりで暴走する彼の言っている事は・・・これはもしかして、もしかしなくても告白ではないか。
あまりの急展開に私は目を白黒させながら、やっと消え入りそうな声で「パンの事なんだけど・・・」と呟くと、彼の顔は更に真っ赤になって湯気が見えるんじゃないかと思う程だった。・・・か、可愛すぎる。
彼はその後、随分と落ち込んだ様子で「ハァ、まじかよ、こんな風に言うはずじゃ...」なんてブツブツと唱えていた。それから意を決したように私と真っ直ぐに向き合った。
「・・・鏑木一差!」
「・・・、え?」
「オレの名前!!・・・オマエの名前も、教えろよ。それから、オマエの気持ちも・・・その、聞かせろ・・・聞かせて、ください。ってか、まさかこのオレの事キライだなんて言わせねぇ!」
なんだか中途半端に強気な物言いに、思わず吹き出してしまう。「どうしようかなぁ」なんてわざとイジワルに言ったら、鏑木くんはちょっと焦ったようにしてから真剣な顔つきに変わって、「・・・マジだから」と言った。
・・・パンが結んでくれた恋、なんて色気が無いのかもしれないけど。
私はこれから訪れる夏を、どうやらあのパンのお陰で−−−可愛くて、そしてとびきりカッコイイ年下の彼と過ごす事になりそうだ。