- ナノ -

翼 2


山岳の背中だけを追ってペダルを踏み込んでいると、気付けばかなり山を登って来たようだった。
学校がまだ近くにあった頃は、下校中の生徒やランニング中の運動部の姿があったけど、今は人影は無い。
ただただ一本道続くと、生い茂る木々が広がるのみだった。
そして案の定、誘った張本人はかなり先を走ってる。アイツ絶対、私に合わせる気無いでしょ!

私はムキになって、ペダリングにやる気と意地を込めてとにかく踏みまくった。っていうかこっちは、カバンもしょってるんですけどっ!

でも、やっぱり・・・自転車に乗ってる山岳って、いいなぁ・・・。


程なくして、前方にいる山岳が速度を緩める。私はようやく、彼に追いついた。


「んー。やっぱり、昼間に登る山は最高ですねぇ」
「山岳っ、あんたほんと、いいかげんにっ…」


ゼェハァと肩で息をする私に、山岳は涼しい顔でドリンクを手渡す。

「どうぞ。アクエリだけど良い?ねぇ名前さん。オレ、名前さんと出会ってからの方が自転車楽しくって」
「はぁ、はぁ…。な、何?急に。私と走ったのなんて、まだこれが2回目でしょ…」
「なんていうのかな…いつも心の中に名前さんがいるんだ。一緒にいなくても、ひとりで走っていても。自分ひとりが楽しかっただけの自転車が、名前さんが笑ってくれるきっかけになってから、オレ、益々自転車が好きになったんだ。それから、」


−−−あなたの事も。

そう言って、山岳は私に合わせた速度でゆっくりとロードバイクを漕ぐ。そして、隣に並んだ。
その横顔は相変わらず涼しげで、汗ひとつかいていない。


「オレの周り、結構女の子って多いんですよ」
「何それ、急に自慢?ふふ、知ってるよ。王子様だもんね」
「応援してくれる人も、助けてくれる人も、なんでか沢山いるんですけど。でも、あんなに振り回されたのに最後まで信じてくれる人も、こんなにワクワクさせてくれる人も、この世界に名前さんだけです。なんていうか…委員長とも、違うんですよねぇ。委員長は、恩人っていうか。名前さんとは違うんだよなぁ、大好きだけど」

・・・嬉しい、って私は素直に思えた。
言ってる事ぜんぶ、本当なんだろうなぁと思えたから。
山岳はどこまでも自由で、わけのわからない事ばかりで。
でもいつだって本能の声に従って生きてる。
だから、心に無い事は言わない人だ。

だから、そんな彼がたくさんの人の中から、私と過ごす事を選んでくれている事を、素直に受け取ろうと思った。部活の事とか、宮原さんの事とか、気がかりな事は沢山あったけれど…山岳が、そして私が、それぞれに選んで決める事だ。余計な気遣いは、むしろ失礼だと思う。



「名前さんは、どう?」

「私も山岳の事が好き」


箱根の緑に囲まれて。澄んだ空気の中で。隣には、大好きな人がいて。

私は息をするみたいに自然に、想いを口にする事ができた。


「初めて会ったときは・・・私、お兄ちゃんに心配かけたくなくて、同情されるのが嫌で、この先生役を引き受けたの。入学早々追試なんて、どんな問題児かと思ったけど、想像以上だったよ、ホント」
「あはは、すみません」
「私、部活辞めてからずっと、自分の事ばっかり考えてた。だけど、あの日・・・あなたの走りを見て。力になりたい、って思ったの。だけど山岳といたら、予想もつかない事ばっかりで・・・振り回されてるうちに、気が付いたら夢中になってた。あなたと出会ってから、毎日が楽しい。あなたの事を好きになった、ってただそれだけの事なのに、全てが変わったの。・・・ひどい事も、いっぱい言っちゃってごめんね。・・・出会って間もなくて、しかも年上の私があなたの事が好きなんて・・・おかしいかもしれないけど」
「名前さん・・・」


私はすこし緊張しながら山岳を見ると、彼はちょっと驚いたように瞳を大きくさせていた。


「・・・素直な名前さんって、気持ち悪いですねえ」
「えっ?!ひ、ひどい・・・!」
「あっはは、冗談です。ホント、恋ってすごいですよねぇ。オレも名前さんの事ばっかり考えてるんですよ」


のんきな声で人ごとのようにそう言って、山岳は優しく笑いかけてくれた。


「名前さん、オレの彼女になって?もっと、もーっとキミの事、笑顔にさせてあげる。ドキドキも、わくわくも、世界中の誰よりもあげるから」



−−−その時。

ふわ、と後ろから風が吹いた。

彼とふたり、大きくロードバイクが前に進む。

一瞬、山岳の背中に羽のようなものが見えたのは・・・気のせいだろうか。





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