- ナノ -

消えた王子様 4


「名前さん、ではまずこのバス停からバスに乗りまして・・・、」
「ば、バス!?そんなの待ってらんない。走って行こうよ!」
「ええっ、何言ってるんですかっ。学校から家まで、どれだけ距離があると思ってるんですか」
「え、でも・・・山岳だっていつも、自転車で通ってるよね?」
「山岳はトクベツですよっ。それにあの速い自転車だし・・・じゃなきゃ、この箱根の山道を自転車で通学してる人なんていないですよ!」

そうだったんだ・・・
私、山岳のことなんにも知らないんだな・・・。

「わ、わかった。じゃあ、バスで行こう!えーと、次の便は・・・」
「時刻表によると、今から20分後ですね」

20分!?そんなに待てるわけが無い。だってもし彼になにかあったのなら、すぐに駆けつけてあげたい。

「・・・宮原さん。家の住所教えて!」
「え・・・ハ、ハイ。良いですけど、どうするつもりですか・・・?」
「自転車で行く!」

確か自転車部に、新入生への貸出し用のものがあったはず。私の発言に戸惑う宮原さんを押し切って、自転車部に飛び込んでお兄ちゃんに借りたそのロードは、山岳に無理やり連れられて山道を登ったときのものだった。あの日、初めてロードバイクに乗る彼を見た。あそこから全てが始まった。

教えてもらった住所へ向かう道のりは、箱根の温泉街を抜けてひたすらな下り坂だった。正直、バスを待つのとどちらが結果的に早かったのかはわからない。でも、居ても立っても居られなかった。

程なくして現れたその町は、観光地というよりは人の住む町という雰囲気がそこらかしこに漂っていた。
お土産屋さんや旅館の建ち並ぶ箱根町の中心に比べ、お惣菜屋さんや眼鏡屋さん、会計事務所なんかがこじんまりとひしめき合っている。

−−−山岳は、この町で生まれ育ったのだろうか。
どんな子ども時代を過ごして、何をみて生きてきたのだろうか。
私は山岳の事を何も知らないんだと、今日はどこまでも思い知らされる。




住所通りの場所を目指すと、真波と書かれた一軒家を見つけた。

好きな人の家だなんて、もしかしたら初めて訪れるのはめちゃくちゃドキドキするものなのかも。
でも私は今、そんな事考えてる余裕は無いわけで。
なにか思うよりも先に、指先がインターホンを鳴らしていた。

インターホンごしに女性の声が聞こえて、もしかしたらお母さん?と思いながら私は簡単に自己紹介をして、山岳くんは今家にいますか?と訪ねた。
するとその方は「あら、ちょっと待ってね」と言ってからドアを開けてくれた。

山岳がいつもお世話になって・・・と言うその女性は、山岳にどことなく似ている。やっぱり、お母さんだ。


「山岳ね、居るには居るんだけど、ずっと寝てるみたいなのよ。あら・・・、あなた、すごい汗・・・大丈夫?」
「大丈夫です。あの、寝てるって・・・具合が悪いとかですか?」
「私も泊まりの用事があってさっき帰って来たんだけど・・・山岳に聞いたら自転車で転んだみたいなの。ここ数日あの子、夜に自転車乗るのよ。危ないからやめてねって言ってあったんだけど、あの性格でしょ?全然聞かなくて、案の定よ。今はゆっくり寝ているんだけど・・・小さい時身体が弱かったから、その時の影響もあったのかもしれないわ」

転んだ、って?身体が弱かった、って?
さっきまで火照っていた身体に、嫌な汗が滴る。

「ちょっと待ってね。山岳に、会えるか聞いてみるわね」

お母さんを待ちながら、私は頭の中で状況を整理する。山岳はまた、夜に自転車乗ってたというの?昼間は勉強ばっかりしてたからその反動?どうして…危ないって言ったじゃない…。
そして、転んだって…どんな状況なのだろう。ずっと寝てたって、そんなに悪いのだろうか。
情報が整うどころか不安が募るばかりだった。そうしている内に、お母さんが玄関に戻って来た。

「まだ動ける状態じゃないみたいなの。ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに・・・」


コツンと、道路に何かを弾いた音が広がる。ああ、私の手のひらからあの指輪がすり抜けた音だ、とぼんやりとした意識の中で思った。




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