- ナノ -

私、宮原といいます




 お昼休みが終わって教室に戻って来た私の幼馴染はえらくご機嫌だった。珍しい。いつも学校では、起きてるのだか寝てるのだか、やる気なくぽけーっとしているのに。
珍しい事は、それだけじゃないのよ。
山岳はこの頃、毎朝ちゃんと学校に来ているのよ!
一体、何があったのかしら。それとも、いつもの気まぐれ?

 ああ、申し遅れましたが私の名前は宮原。真波山岳の幼馴染です。


 最終のホームルームが終わって、一日の終了を告げるチャイムが鳴った。クラスの皆は一斉に、はやく部活に行かなきゃとか、放課後どこか行こうとか、急に教室が賑やかになる。
そんな中、私の視線は真っ先に山岳の姿を捉える。
べ、別に好きとかじゃないわよ。長年のクセみたいなもので、今日のノートはちゃんととれてたかとか、部活もいいけど勉強もするのよ、とか。そういう事は山岳には私が言ってあげなきゃいけないんだもの。


「山岳。これ、今日のノートよ」


山岳の机まで行き、いつもと同じように声をかける。
けれど目の前には信じがたい光景があった。

「さ、山岳・・・!?それ、ノート・・・山岳の字?あなたまさか、自分でノートとってたの!?」
「あはは。委員長、びっくりしすぎ」

だってだって、まさかあの山岳が!
学校に来ているだけも良い方で、もしも来たって居眠りをしているし、大概は遅刻か無断欠席なんだもの。・・・その彼が、まさか朝から来て一日真面目に受講しているだなんて。
本当にあなた、どうしちゃったの!?
私は何だか、涙が出そうな程に感慨深かった。

「せっかく放課後に、名前さんが勉強みてくれるから。オレも、できることはやりたいって思ったんだよね」
「ああ、名前さんってあの・・・」

 先日、彼にその”福富名前さん”の事を聞いたときも、とても驚いた。
今まで山岳の勉強は、昔からの習慣のようなもので私が見る事が多かった。
それをわざわざ、部活のキャプテンが直々に考えてくださって、その妹さんが教えてくださるとか。何でもその妹さんも、大変優秀とかって。

箱根学園の自転車競技部が強豪チームだって事は、自転車のことがよくわからない私も知っていた。ましてやキャプテンが、末端である一年生の追試のことまで気にかけてるだなんて。
成る程、そんな部だからこそ、結果を残しているのかもしれない。

 でもその事を昨日山岳から聞かされて、山岳がその名前さんという先輩に迷惑をかけているのでは?という事は長年の付き合いから安易に想像がついた。まさかいつもと同じように遅刻だの居眠りだのしてたら、大好きな部活にも居られなくなるわよ!って渇を入れたのだった。

「昨日、委員長に言われたとおりプリントやっていって良かったぁ。名前さん、びっくりしてたけど、嬉しそうだったもん」
「それは良かったわね。山岳が勉強に精を出す日が来るだなんて、夢にも思わなかったわよ。よっぽど教えるのが上手なのね、その名前先輩、って方は」
「うん!名前さんといるとわくわくするっていうか…勉強が面白くないのは相変わらずなんだけどさ。ああ、聞いてよ委員長!今日の昼休み、食堂に名前さんがいてさ〜!友達と何か話ししてて。内容はわかんなかったけど、近づいたらすっごく慌てていてね。反応が楽しいからちょっと意地悪しちゃった。ふふっ、おもしろいんだよー名前さんって」
「もうっ…先輩に対して、失礼でしょう!?」


ーーーちくり。
胸が痛むような感覚に襲われた。
なにかしら、この感覚?さみしいような、妬ましいような…。
でも、どうして?山岳の勉強を見るだなんて面倒事、私の手から離れるだなんて良い事のはずなのに。

「今日もオレ、名前さんと勉強なんだよね。そろそろ行かなきゃ」
「そう、行ってらっしゃい…って、あなた今日掃除当番よ!?」
「げ。あー…今日はパス!って事じゃ、だめかな?」
「ダメに決まってるでしょ!」
「あはは、だよねー…うーん、じゃあ、名前さんにメールで、遅れますって言っておこうかな。って、あれ?オレ携帯、家に忘れてきたかも」
「もうっ!山岳、あなたってどうしていつもそうなの!!」

山岳を叱咤していると、いつもの二人のリズムが戻ってきたようで安心した。
そう・・・山岳には私がついていなきゃ、って思ってきた。
勉強だって、私が見てあげなきゃって・・・。彼はいつだって、自転車のことばかりだったから。

それが、ここ数日のあなたはどうかしら?

私が、あんなに躍起になってさせていた勉強を、”名前さん”は自主的に机に向かわせているっていうの?−−−で、でも。いくらなんでも部活を何日も休ませるってどうなのかしら?
勉強を教えてくださるのはありがたいけど、山岳の事、何もわかっていないんじゃない?まあ、出会ったばかりだから仕方ないのかもしれないけど。

それにしても、最近の山岳は本当におかしい。山だの坂だのって今まではそればっかりだったのに、この頃は口をひらけば「名前さん」なんだもの。
彼が最近きちんと授業に出ているのも、学校で楽しそうにしているのも、”名前さん”が原因って事かしら?

ーーーちくり。

最近の山岳は”名前さん”でいっぱいで。認めたくないけど、それは事実。
そしてその度に、私は胸がちくちくとする。でも、どうして?私にとって山岳は、ただの幼馴染じゃない。

−−−ああそうか。
きっと私、山岳には自転車に乗っていてほしいんだわ。幼馴染として、彼の部活を応援したいんだわ。ええ、きっとそう。そうに違い無いわ。

 おーい真波、掃除始めるぞー、というクラスメイトの声に、山岳が曖昧な返事をした。ちらりと彼の顔を見ると、困ったように眉を下げている。
・・・もう、しょうがないわね。

「・・・山岳、名前先輩って何組なの?私、先輩の教室まで行って、言付けしてきてあげるわよ。山岳は掃除当番なので、遅くなりますって」

そう言うと、ぱっと山岳の表情が明るくなった。

やっぱり、どう考えてもおかしい。
だって山岳は、いつだって自由で・・・誰かの都合に合わせたり、何かに縛られたり、しない人間のはずなんだもの。

 かくして私は、名前先輩のおられる2年生の教室へと向かうのだった。一体どんな人なのかしら?すこしドキドキするけど、でも、会ってみたい。私は片手の指先を揃えて丁寧に眼鏡の角度を整え、いざ2年生の教室へと向かった!




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